ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第70回「財界の野望」 1991年7月10日
財界の居丈高な政治介入は目に余る。
平岩外四経団連会長は多国籍軍の九十億ドルの戦費負担を「消費税率を上げて払え」とハッパをかけた。
海部首相は「掃海艇は派遣しない」と言っていたが、経団連正副会長会議が掃海艇を派遣すべきだと見解を発表したら一転して掃海艇の出動準備を命じた。
農民に大打撃になるコメの自由化も、平岩が「首相に決断させた」という。
小選挙区制も金丸信は「次の内閣がやる」と言っていたが、経団連が「海部の任期中にやれ」と要求したのである。
ある新聞の試算によると、衆議院の議席配分は自民党が二八〇から三四八に、 社会党は一四〇から六七に、公明党は四六から二六に、共産党は一七、民社党は一三、進歩・社民連と無所属はゼロになるという。大企業はほしいままに法律・政治を操ることができるわけだ。
日経連の亀井副会長は「土井たか子みたいにバカなことを言う者が出てくる」と護憲運動をののしり、石川日商会頭は海外派兵のために「憲法や自衛隊法を変える事も考えろ」と記者会見で公言している。財界は「やれる時にやっておけ」 と野望をエスカレートさせている。
民主と平和の無いところに労働者の権利はない。戦前を見れば明白だ。
敵は私たちに向けて弾丸を射っているのだ。みんな忙しい身体だが、情勢を話題にし、自衛・反撃の闘いを進めよう。
全国の仲間と手をつないで財界・自民党の野望を粉砕しよう。 (実)
(画像は護憲を貫いた土井たか子元社会党委員長)
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注釈
・経団連
経済団体連合会の略
日本の財界を指導する代表的な組織。1946年創立。経済界各部門の連絡、調整をはかり、財政、経済に関する内外の意見をまとめて政府や国会に建議し、その実現をはかることを目的とする。2002年に日経連を吸収し、日本経済団体連合会(略称「日本経団連」)となった。
・平岩外四
(1914年~2007年)財界人、経営者。東京電力会長、第7代日本経済団体連合会(経団連)会長
参考
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【平岩外四】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A9%E5%A4%96%E5%9B%9B
・海部首相
当時の海部俊樹第76・77代内閣総理大臣。(1931年~2022年)
PKO法案を国会に提出し、軍事大国化を強力に推し進めた。
参考
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【海部俊樹】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%83%A8%E4%BF%8A%E6%A8%B9
ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第65回 「戦争参加を許すな 湾岸戦争」 参照https://note.com/minoru732/n/n66e338f0b5cf
・「掃海艇を派遣」
湾岸戦争後の1991年にペルシャ湾に海上自衛隊の掃海部隊(ペルシャ湾掃海派遣部隊)が派遣された。この作戦は「湾岸の夜明け作戦」と名付けられた。
他国領海付近における掃海作業は朝鮮戦争での海上保安庁の特別掃海隊による活動(1950年)以来、また日本国外での実任務はマリアナ海域漁船集団遭難事件に対する災害派遣(1965年)以来のことである。また練習艦隊等による遠洋航海以外の海外実任務で、日本海軍・海上自衛隊の艦隊がインド洋を渡るのは、第一次世界大戦の地中海派遣、第二次世界大戦のインド洋作戦以来の出来事であった。
参考
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【自衛隊ペルシャ湾派遣】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E6%B9%BE%E6%B4%BE%E9%81%A3
・「コメの自由化」
米国のジョージ・ブッシュ(父)大統領と海部俊樹首相が1991年7月の首脳会談で、コメ輸入の段階的自由化について議論していたことが、後に公開された外交文書で明らかになっている。外務省は当時、議論は行われなかったと説明していた。
当時、日本はコメの輸入を食糧管理法で事実上禁止していたが、多角的貿易交渉「ウルグアイ・ラウンド」の対象となり、解禁を求める米国との間でやりとりが行われていた。
後の細川護煕首相が1993年12月、部分開放の受け入れを表明した。
参考
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91年日米首脳会談でコメ自由化を議論、外交文書で明らかに…当時は「行われず」と説明https://www.yomiuri.co.jp/politics/20221221-OYT1T50236/
・「小選挙区制」
1980年代後半、衆院選における中選挙区制の問題点が指摘されると小選挙区制導入の論議がなされた。
リクルート事件後の1991年、海部俊樹内閣および自民党執行部は小選挙区300、比例代表171の小選挙区比例代表並立制導入を企図するが、小泉純一郎らが反対を表明し推進派の責任者だった羽田孜に猛反発するなど党内調整が難航し、導入は見送られ、内閣は総辞職した(海部おろし)。
その後1994年の公職選挙法改正で衆議院選挙において小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が導入され、1996年の衆院選から実施された。
参考
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【小選挙区制】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6
・日経連
日本経営者団体連盟の略称
日本経済団体連合会(日経連)の前身団体の一つ。業種別・地方別経営者団体の全国組織として1948年に発足。「経営者よ、正しく強かれ」をスローガンに労働問題に取り組み、賃金交渉への対応などを通して労使関係について経営者側にアドバイスを図った。2002年に経済団体連合会と統合。
・亀井副会長
亀井正夫(1916年~2002年)日本の実業家。住友電気工業元社長、会長。関西国際空港株式会社元会長。社会経済生産性本部元会長。国鉄再建監理委員会委員長。政治改革推進協議会会長。「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者。新しい日本をつくる国民会議元会長。
亀井は悪名高い国鉄再建監理委員会の委員長であり、「国労と動労を解体しなければダメだ。戦後の労働運動史の終焉を、国鉄分割によってめざす」(『文藝春秋』1985年9月号、内藤国夫「国鉄落城前夜の修羅場」)と公言していた。
参考
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【亀井正夫】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E4%BA%95%E6%AD%A3%E5%A4%AB
足立実の『ひと言』第32回 「国鉄労働者の闘いを支援しよう 修善寺大会」参照https://note.com/minoru732/n/n8e237a1b78a8
・土井たか子
(1928年~2014年)衆議院議員(12期)、第10代日本社会党委員長、第68代衆議院議長、第2代社会民主党党首を歴任。日本初の女性の衆議院議長、日本初の女性の政党党首を務めた。
社会党から社民党の代議士として一貫して「護憲」を掲げていた。
参考
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【土井たか子】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E3%81%9F%E3%81%8B%E5%AD%90
・石川日商会長
石川六郎(1925年~2005年)日本の実業家。鹿島名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。日本を守る国民会議顧問、日本会議顧問を務める。
参考
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【石川六郎】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%85%AD%E9%83%8E
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背景
湾岸戦争が起こった1991年当時、「財界の総理大臣」と呼ばれる経済団体連合会(経団連)の会長は、東京電力の会長である平岩外四(がいし)であり、日経連(日本経営者団体連盟)の副会長はあの悪名互い亀井正夫、日本商工会議所(日商)の会頭は鹿島建設会長の石川六郎であった。
この経団連や日経連、日商が政治に居丈高な注文をつけてきている。
その内容はコラムにある通りである。
これにより、1991年4月に日本はペルシャ湾岸に掃海艇を派兵。
※ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第69回「アメリカは日本の盟主ではない」参照https://note.com/minoru732/n/n4d50bc972e04
そして、その後の1993年には米市場の部分的開放を強行。また1994年の非自民の細川護熙内閣で公職選挙法が改悪され、衆議院選挙において小選挙区比例代表並立制が導入され、1996年の衆院選から実施され、大政党の自民党が少ない得票で多くの議席をとることが出来るようになった。また、1997年には消費税率が3%から5%へ引き上げられた。
さらに1991年当時社会党(現在の社民党の前身)の委員長は憲法学者の土井たか子氏で護憲を旗印にしていたが、1994年に自民党・社会党・新党さきがけ3党の連立内閣として社会党委員長の村山富市氏が首相になると、村山首相は自衛隊を合憲にするなど、今までの社会党の見解を変えた。(少なくともこれ以前は社会党は「自衛隊違憲合法論」であった)
また、2006年の自衛隊法の改悪では防衛庁が防衛省に昇格し日本の事実上の軍隊の自衛隊の機能が強化された。
このように当時の財界の横暴がこのコラムには挙げられており、2023年現在において財界が実現できていない「野望」は改憲のみである。
これをみると、この1991年の湾岸戦争を境に日本の労働者と資本家の力関係が変化していったのかもしれない。
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筆者はこのような敵資本家や政府自民党の攻撃を「敵は私たちに向けて弾丸を撃射っている」と表現し、「民主と平和の無いところに労働者の権利はない。戦前を見れば明白だ」と警鐘を鳴らし、政治学習や政治闘争への参加を呼びかけている。
2023年現在においても政府自民党=岸田政権は財界の意向をくんで改憲の野望を捨てていない。
改憲阻止に向けて今が踏んばり時である。全国の仲間と連帯して「自衛・反撃の闘い」を進めねばなるまい。