
足立実の『ひと言』第34回 「中曽根康弘の罪状」 1987年2月10日
中曽根康弘の五年間の罪状を数えよう一 「不沈空母」発言、アメリカのグレナダ侵略支持、トマホーク導入、日米共同軍事演習の推進、SDI(宇宙軍事計画)への参加など日本を米国の軍事戦略に深く組み込み、戦争の危険を増大させた。
二 「行政改革」で公務員をいじめ、自民党がつくった財政赤字の責任を国民に押しつけて人事院凍結や増税をやり、公約を破って売上税を国会に出した。
三 国鉄の分割民営化で独占資本家に大儲けさせ、国鉄労組つぶし労働者殺しの大不当労働行為をはたらいた。
四 軍備だけは毎年増やし、GNP一%を破って軍国主義化への道を開いた。
五 健康保険の一割自己負担、老人健保の改悪など福祉切り捨てで、貧乏人に医療を受けられなくし、老人をいじめた。六 雇用均等法、労基法改悪で資本家の搾取を助け、女性労働者をいじめた。
七 「貿易摩擦解消」でレーガンの要求をのんで農民をいじめ、円高不況、製鉄、造船、炭鉱などの大失業をつくった。
八 「教育改革」で教員をいじめて反動教育をやらせ、少年少女を自民党と資本家の奴隷にする教育を推進した。
九 靖国神社公式参拝、教科書検定など侵略戦争を賛美してアジア諸国人民への侵略教育をやった。
十 「戦後民主主義の総決算」を公言し、戦前なみの警察国家の再現を進めた。
中曽根を憎む声は、いま人民のなかに急速に広がりつつある。私たちも、ともに中曽根打倒の闘いに立ち上がろう。(実)
(画像は人民の敵、中曽根康弘の死を報じる毎日新聞号外 2019年11月29日)
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注釈
・SDI(宇宙軍事計画)戦略防衛構想( Strategic Defense Initiative, SDI)とは、アメリカ合衆国がかつて構想した軍事計画。
衛星軌道上にミサイル衛星やレーザー衛星、早期警戒衛星などを配備、それらと地上の迎撃システムが連携して敵国の大陸間弾道弾を各飛翔段階で迎撃、撃墜し、アメリカ合衆国本土への被害を最小限に留めることを目的にした。
これらの兵器を用いる事がスペースオペラ張りであるとして、アメリカ映画『スター・ウォーズ』に擬えられ「スター・ウォーズ計画」と呼ばれた。
・一の罪状について
『ひと言』第6回 「戦争犯罪人レーガンを糾弾しよう!-アメリカのグレナダ侵攻」参照https://note.com/minoru732/n/n3eefdac538f7
『ひと言』第15回 「平和を守るのは誰か」参照https://note.com/minoru732/n/ne1f0033247e0
・売上税
売り上げ額を課税標準として課される税。
中曽根康弘は1987年2月、消費税と同様の大型間接税である売上税の導入を柱とした関連法案を国会提出した。しかし、前年に行われた衆参同日選で中曽根首相は「国民が反対する大型間接税と称するものはやらない」「皆さん、この顔がうそをつく顔に見えますか?」などと遊説で発言していた。このため国民が強く反発し、売上税法案は5月に廃案になった。
しかし、1989年4月から売上税の一種である消費税が竹下内閣によって導入された。
・二の罪状について
『ひと言』第14回 「敗戦記念日に」参照https://note.com/minoru732/n/n2a996a30a999
・三の罪状について
『ひと言』第22回 「責任転嫁を許すな-国鉄分割・民営化」参照https://note.com/minoru732/n/nbcaead8db8db
・「軍備だけは毎年増やし、GNP一%を破って軍国主義化への道を開いた。」
日本の歴代内閣は防衛費を国内総生産(GDP)比でほぼ1%以内に収めてきた。1954年に自衛隊が発足して以来「防衛費が無制限に膨らむ」との懸念が国内外にあったためだ。田中角栄内閣が歯止めとなる基準づくりの議論を始め、76年の三木武夫内閣で国民総生産(GNP)比1%を「超えない」と閣議決定した。
1980年代に入ると冷戦の緊張が再び高まり、中曽根康弘内閣は87年度から1%枠を撤廃し「1%枠の精神を尊重する」などと表明した。実際に87~89年度予算で1%を超えた。現在もGDPを基準にした明確な枠は定めていないものの、90年度以降で1%を超えたのは2010年度の1度だけだった。
しかし、現下の「ウクライナ」情勢を受けて自民党などが「防衛費GDP比2%達成を5年以内をめどに」などと提言している。
・五の罪状について
『ひと言』第27回 「おごる中曽根は久しからず-老人医療費負担ひき上げ」参照https://note.com/minoru732/n/n602779222060
・「貿易摩擦解消」
いわゆる日米牛肉・オレンジ自由化問題
牛肉・オレンジの自由化をめぐる日米交渉を指す。この問題は、1971年の日米貿易経済合同委員会で、アメリカから自由化要求が提示されたことに端を発する。その後日本は幾度か輸入枠の拡大に応じてきたが,アメリカは自由化を主張、交渉は進まなかった。しかし 88年6月の交渉でようやく合意に達した。その内容は、牛肉・オレンジとも1991年4月以降自由化するものであった。これに対応して国はミカン畑の転換や牛肉価格の安定制度の充実などの対策を進めた。
・八の罪状について
『ひと言』第12回 「学校へ行こう」参照https://note.com/minoru732/n/n2fe57f8802c4
注10・靖国神社公式参拝
『ひと言』第24回 「中曽根はハリコの虎だ」参照https://note.com/minoru732/n/nfd4e5733241f
・「戦後民主主義の総決算」
中曽根が掲げたいわゆる「戦後政治の総決算」のこと。
「政治の見直しと新しい政治の建設のため」、そしてかねてより主張していた「たくましい文化と福祉の国」の実現のため行った、「行政経費の節減と予算の効率化、補助金や人員の削減、公債依存度の引き下げ、電電、専売、国鉄の民営化、医療や年金の改革等の諸改革」のこと。
中曽根は1985年の第102回国会における施政方針演説で、「私は、内閣総理大臣の重責を担って以来、戦後政治の総決算を標榜し、対外的には世界の平和と繁栄に積極的に貢献する国際国家日本の実現を、また、国内的には二十一世紀に向けた『たくましい文化と福祉の国』づくりを目指して、全力を傾けてまいりました。このような外交、内政の基本方針を堅持し、国民の皆様の幅広い支持のもとに、これをさらに定着させ、前進させることが、私の果たすべき責務であると考えます。」と述べた。
しかし、これらの政策はすべからく反人民的であり、内政的には筆者の言うように民主主義が破壊され「警察国家化」が推し進められた。
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中曽根内閣が任期五年目をむかえ、中曽根康弘に対する反人民的罪状を列挙している。
ちなみに中曽根内閣はこのコラムが書かれた年の1987年11月まで続いた。
その罪状のほとんどが今までのコラムで取り上げられたものである。
当然ながらコラムの最後には「中曽根を憎む声は、いま人民のなかに急速に広がりつつある。私たちも、ともに中曽根打倒の闘いに立ち上がろう。」と中曽根政権打倒を呼び掛けている。
中曽根はその後、生き長らえて2019年に死没した。
人民の手によって打倒出来なかったことが何とも悔やまれる。