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ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第78回「無名の英雄たちの二五年 組合結成25周年」足立実 1994年1月1日
私たちの組合の歴史を創ったのはケーテー製作所からスーパーたじまに至る約千人の老若男女の労働者である。
組合結成が三一回あった。みんな資本に対する憤りで不安を乗り越え、妨害や弾圧と闘って組合を結成した。
結成後は会議や職場闘争、団交やストライキで賃金や労働条件を改善した。重要なことは労働者の団結で資本家と対等の地位を獲得し、『物も言えない』 みじめな立場から脱却したことである。
波乱もたくさんあった。どこかの職場で問題が起きる度に、全支部の労働者や職員が寄ってたかって支援し、闘いを有利に転換させた。
地域や全国の相互支援に出ていって、たくさんの労組・団体との信頼関係を強め、労働者の利害にかかわる政治闘争に私たちの組合の組織力を発揮した。
『工場・職場闘争の戦術原則』は勝つための指針だが、これは延べ何千人の実践の総括だ。『政治・思想活動』は団結の保障だが、これも不団結に悩み団結を求めた何百人の努力の結晶である。
指導的活動家は自分の努力だけで成長したわけではない。組合員から責任を負わされ、活動を指揮するなかで組合員に育てられたのである。
組合員一人ひとりの二五年の汗と涙、智恵、敢然たる闘いをぬきに現在は語れない。約半数の人が病気や帰郷や工場閉鎖などのために去ったが、その仲間もふくめて千人の無名の英雄の実践が私たちの組合の歴史を書いてきたのである。
東部労組は八人の労働者が未知の世界に挑戦することから始まり、六〇倍になった。大会で東部と南部で二万人という 『長期方針』を決めたが、五〇倍だからできない相談ではない。 皆がやる気になれば必ず達成できる。
(画像は1968年7月、ケーテー闘争で社長に抗議する労働者。この年管理人は産まれたばかりの0才であり、その歴史を感じさせる)
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このコラムは厳密にいうと「ひと言」ではない。
「ひと言」は1992年11月から1998年3月に至るまで約5年間休載された。
このコラムはその間に到達した組合結成25周年を記念して1994年の機関紙新年号に掲載された筆者のフルネーム入りの署名コラムである。
東部労組創立のきっかけとなった1967年12月の墨田区の自動機械メーカーのケーテー製作所の組合結成から、当コラム執筆時直前の1993年末のスーパーたじま支部結成に至るまでを俯瞰して、初代委員長として組合を25年間牽引してきた感慨が行間にうかがわれる。
その歴史は「千人の無名の英雄の実践」で書かれていると述べられている。
この間に著者先頭に東部労組が組合結成と争議の実戦の中で培ってきた「戦術原則」を筆者が著した『工場・職場闘争の戦術原則』を「勝つための指針」であり、「延べ何千人の実践の総括だ」と振り返っており、また、『政治・思想活動』は「団結の保障」でありこれも「何百人の努力の結晶である」と総括している。
そしてこの25周年をスタートラインとしてさらなる組合の「長期方針」である「東京東部と南部で二万人」の目標を掲げ、その「達成」を誓っている。
まさしく記念碑的コラムである。