【情報リテラシー論レポート2024 11】Xに絵を投稿している人間が呪詛を吐く
なんと、丸つきの数字が10以降出てこなくなったので、表記をあとでまとめて直す羽目になりました。見切り発車が過ぎる。
さて、実は研究テーマの中に画像生成AIに関する項目があるので、今回主に画像生成の観点からレポートを書きたいと思います。近年画像の認識も出力も大変精度が高まってきて便利になりつつあるのですが、如何せんAI絡みなのでちょっと忌避感が存在するのは本音です。
情報リテラシー論第13回目の授業レポートです。
あんだけ生成AI嫌ってただろうがよ!(Grok使ってるユーザー見ながら)
はい。
X(旧Twitter)にてGrokというAIが利用できることはご存知でしょうか。おそらくご存知かと思います、最近めちゃくちゃ生成画像が流れてきました、おすすめ欄に。
Xの利用規約が11月の中頃に変更され、ユーザーの設定次第とは書かれているのですが(今もう設定変更できないらしいが)投稿内容を生成AIの学習に用いることもある、という話でめちゃくちゃに荒れに荒れたのを覚えていらっしゃいますでしょうか。
私も絵描きの端くれですので、ウォーターマークや無断転載および無断学習禁止の文言を入れたり、わざわざ別サイトにイラストを掲載してそのURLをXに投稿する、なんてことをやっていたりしますが正直面倒臭いです。
これの何が面倒臭いかというと、別に、学習されることに100%嫌悪している、という話明けでもないのです、実のところは。この現代、正直なんと記載していてもネットの海に作品を放出しているわけですから、どこかで勝手に使われたり取り込まれたりトレスされたり、みたいなことが知らないうちに行われているだろうという、そういった覚悟は持っています。大体人間「バレなければいい」精神でいろんなことやりますもの。
面倒臭いのは、公式がそういった規約にしたことによって、ウォーターマーク等を入れて対策をしていないと、果てにはXにイラストを投稿すること自体、生成AIに学習されることを許可していると思われることです。
確かに腹は立ちます、人間がペンを握りしめて必死にやれバランスだパースだなんだと狂いを修正し理想のイラストに近づけていく過程を全部すっ飛ばしてポーンと出されてしまうんですから、それを「描きましたー」なんて出された日にはもう、怒り狂います。そこに至るまでの苦労を知れ。一枚に10何時間かかったりするんだぞこっちは。
ただもう電子の海に流している時点で、AIが画像生成の域に達している時点で、ある程度諦めというものはついてしまいました。世の中にイラストを描き投稿する人間がいる以上、きっと、技術力描画力だけなら人間と変わらないくらいにまで生成能力は上がるでしょうし、学習を完全に止めるなんてできないのです。
何が気に食わないって、真面目に描いている人間側が、学習予防のために自分が必死で、あるいは楽しんで描いたものに対してノイズを上にベターっと貼らなければいけないという環境です。それをしないと学習されるけどいいのかと言われるような現状です。何が悲しくて、色味の変わってしまうノイズやせっかく描いた描き込みが潰れるような注意書きを入れなければならないのか。なんで人間側がこんなに肩身の狭い思いをしなければならないのか。
で、そうして騒いでいた人間たちはなんで平気でGrok使って遊んでいるのか。
散々生成AIとかさあーって言ってたじゃんよ!!!
人間喉元過ぎれば熱さ忘れると言いますか、それは使うんだ、みたいなこと平気でやりますね、大体みんなやってるから、面白そうだから、って理由で。この辺り民度とかリテラシーの低さとか、最近かなり感じました。やってること割とAI絵師と変わらんだろうに。
結局使う人間次第
呪詛を大量に吐きましたが、実はAIに対してというよりは人間に対して、といった感情の方が強いです。人間の使い方が不快だ、という言い方をするとあれなのですけれども。
前々回の授業出た、合成音声の話。真っ先に悪用されるのでは、という頭になったのですが、実際は声が上手く出せない人のためのものであって、善意で開発されているものです。この辺りに全く危機感を持たないでいるというのはそれはそれで問題ですが、本来の目的というもの以外に、別の利用方法を考えてしまうのもまた問題というか、人間らしく歪んでいる、とひしひしと感じています。
俗にいう「おもちゃにする」というやつですね。
本来の目的とは違って「面白いから」「できるから」で使うということ。切り貼りしたり、遊んだりするということ。別の使い道が頭に浮かんでしまう。良いものも悪いものも。それだけものの可能性を広げられる発想というものを持っているばっかりに、大喜利に乗っかって生成AIや加工を使ったり、言ってもいないことを言わせてみたり、そういったことが起こりうると頭から考えてしまっている。
インターネット社会で生きていくためには必要な警戒と歪みではあります。だけどもうこの、ツールやAIに対する認識がかなりマイナスで忌避感すら持っているというのは、フラットな視点からものを見ることの妨げになります。結構苦労している。もう「便利で助けになりそうなものできたんだねー」ぐらいの認識では、私はAIを見ることはできなくなってしまいました。