見出し画像

30年ぶりに改めてありがとう。

映画を観た。号泣した。
学生時代の記憶が気持ちが蘇った。
中学時代に仲の良かった友達のこと。
女友達が好きな相手で、よく目の前でイチャイチャして嫉妬させて遊んだもの。
というくらいイチャイチャしていた。
席も前後で、授業中ですら、どこかしら触れていた。
後ろにはいつも奴がいた。
とはいえ、その時は、好きな女の子がいたので、ゲイとしてではない、はず。
それは中学二年の出来事。
中学三年になった時には、クラス替えで離れてしまった。寂しかった。


18歳まで住んでいた東京の片隅の町。
今住んでいるところから車でそう遠くはない。
平日休みを利用して、車で出かけて散歩をした。
小学校の学区域。
20数年ぶりのその町はすっかり様変わり。
変わらない道もあれば、道すらなくなっているところもある。

ここら辺、あの人の家だったよなとか、表札を見ながら歩いていく。
中学二年の頃の友達の家はまだあった。
表札を見ても苗字は変わらず。
建物は覚えがないから建て替えたのかなと。
まだ人が住んでいる気配もあった。
そうだ、手紙を書いてみよう。
ご両親が住んでいれば、転送してくれるはず。
そう思って手紙を書くこととした。
お元気ですか?と。

彼とは、高校は別々に進み。
20代の頃の同窓会で一度あったきり。
中学の頃から考えると約30年ぶりに昔の友人に連絡をしてみた。


トップの写真はそんな街のとある道路。
ここで車に連れ込まれてレイプされた。
中三の夏。
記憶が曖昧。
中学三年生という一年自体の記憶も曖昧。
レイプされたことなんて誰にも話せなかった。
テレビではゲイという言葉が認識され始めていた頃。
タモリ倶楽部でさぶという雑誌が出てきていたのを思い出す。
また海の向こうの話として、エイズがゲイの病気として報道されていた頃から日本でもドラマになっていた頃。
男が男にレイプされたなんて到底言えない。
誰にも言えない。
1人で抱え込んでいただけ。
約30年前の出来事。


小さい頃から勉強はしなくても成績は優秀な方。
トップクラスに位置していて、学級委員とか生徒会とかそういう類のものに選ばれるような方。
親からも周りからもしっかりしていると言われ、それに応えようと誰かに甘えるとか頼るとかできなくて。
中二の時の、友達が常に後ろにいる感覚が、守られているような安心できる環境で嬉しかった。
多分相手からしてみたらどうってことはないことで、意識なんてしてやいない。
自分も振り返ってみてそう思うだけで、中二の真っ只中にはそんなこと思ってもみなかった。
ただ、いつも後ろにいるってだけ。
そのありがたみに気がつけなかった。
中二の時の記憶といっても、ほぼ彼のことだけ。


レイプされた後、精神が不安定になっていくのは、高校に入ってから。
中三の秋冬は、なんとか保っていたというか、多分、勝手知っているところだから保てていたのだと思う。
人間関係も場所も。

彼とはクラスが違うからほとんど会わない。
会って話をしても、高校はどこにいくのかってそういう話くらい。
一緒の高校に行きたかった。
できれば一緒の高校に、そう強く思っていたけど、彼の判断は違った。
自分が進学した高校は自転車通学ができて偏差値はグループトップで、彼が選んだのは、電車通学で隣のグループ。偏差値的には一つ下位。
一緒に進めてたらどうなっていたのかなって今更ながらに思う。
そして、それよりも、中三の夏の出来事を話せてたら、と。
約30年前の後悔。

とはいえ、同級生に話しても、きっと受け止められるわけもなく。
負担になっていただけだろう。
もしくは、嫌悪されてもっと嫌な記憶になっていたかもしれない。

約30年経った今、彼と連絡をとってどうしたいのか正直わからない。
ただ、中二の時に仲良くしてくれてありがとうってそれだけ伝えて、コロナが落ち着いたら飲みにでも行きましょうって。それだけ。
彼には彼の生活がある。子供3人のパパ。
自分がゲイとして生きていることなんて知りはしない。
ましてや風俗要らずと呼ばれていたことも。
今の彼にこの話をしても、拒絶はしないだろうけど、受け入れてもくれない。
別の世界の人の話で終わる。
30年間交流もなかったのだから。
もともとお互い連絡不精。だからこちらから連絡しなければ、また連絡を取り合うこともない。
一瞬だけ30年ぶりに交差しただけ。

30年も昔の話を蒸し返して何がしたいのだろうと思う。
ただ、手紙を書いて、久しぶりに連絡が取れて、あの時は仲良くしてくれてありがとう。そう伝えられただけでもよかったかもしれない。
本当にありがとう。


いいなと思ったら応援しよう!