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「集中していない」と言われてしまう──すべきこと・すべきでないことと発達特性(くしろマイノリティ研究所研修会レポート)
くしろマイノリティ研究所のnoteは、釧路にあるNPO法人地域生活支援ネットワークサロンが取り組んでいる、ダブルマイノリティ(LGBTQと発達障がいの両方)をメインテーマとした休眠預金事業の一環として開設しています。
くしろマイノリティ研究所では、2024年9月にオフライン+オンラインで研修会を実施しました。その様子を一部抜粋してお伝えします!
この研修会のテーマは「発達障がい」で、現在NPO法人ふれあいの理事長で子どもの発達支援を長年行ってきた佐々木さんが講師として参加してくれました。また、発達障がいの当事者であり、同時に発達障がいのあるお子さんを育てているところでもあるなぎさんが参加して事例を提供してくれました。
その中で、なぎさんが自身の職場での状況を教えてくれた流れから、状況の中で求められる「すべきこと」と「すべきでない」ことと発達特性の関係について話しました。
トークメンバー
佐々木さん(以下、佐々木):
子どもの発達支援や保護者支援の現場一筋で数年前に定年退職。今は地元足寄のNPOの代表をしながら、様々な子ども若者支援の現場の応援をしている。本プロジェクトのアドバイザーの一人。
なぎ:
札幌の定時制高校在学時にネットワークサロンにつながり釧路で若者活動の草創期のメインメンバーとして参加し、現在は兵庫県在住。今回は事例提供者として参加。軽度知的障がいと発達障がいの当事者であり、同時に発達障がいのあるお子さんを育てている。
日置:
くしろマイノリティ研究所の事業を行っているNPO法人地域生活支援ネットワークサロンの代表。困難を持つ子ども家庭の応援やそこでつながった若者たちとの社会活動をライフワークにしている。
マルチタスクがむずかしい
なぎ:
仕事でいろいろ気をつけれない。気をつけなきゃいけないっていうのは分かるけど、気をつけれないことが多い。
日置:
それはマルチタスクが苦手ということと結びつく? 「AとBのタスクに同じくらい気を遣う」みたいなことが苦手なのかな。
なぎ:
そう。仕事ってマルチタスクがすごく多いじゃないですか。それに適応しないといけないし、いろんなこと言われて、一個ずつこなすというより同時にいろんなことをこなしていかないといけないんだけど、それができないから結果一個ずつやるし、めっちゃ慎重にやるから、それが会社では「集中してない」と言われる。
日置:
本当はすごく集中してるのに、結果だけ見て、ゆっくりやってるように見えるから「集中してない」っていう言い方を、周りからされてしまうのかな。
佐々木:
世の中で言われる「集中」って実際はマルチタスクなんですよね。
いろんな刺激はあるけれど、それを削ぎ落として「今はこれ」と判断して、向かうべきことに向かうということが「集中している」と見なされる。だから、本人は一つ一つに真剣に意識を向けているんだけど、周りから見ると「今はこれでしょ」っていうものに向かえていない場合は、「集中していない」と言われてしまう。自閉スペクトラムのタイプの人たちが、こだわって一つの物事をずっとやり続けて、周りが見えないというのは「集中」というよりも「こだわり」になる。
衝動性が強いタイプの「集中できない」
佐々木:
それから、「集中できていない」と言われやすい別のタイプもあって、あっちで楽しそうなことがあると気づくとぱって行っちゃうという子がいますよね。衝動性、行動のコントロールまたは制御が苦手なタイプですね。
そういうタイプに対しては、周りの人は、ちょっと声をかけてあげるだけでぽんと向かえる場合もあります。置いといて座らせとけば集中するってものじゃないので、声かけをするっていうのはすごく重要かなって思います。
日置:
「集中しなさい」って言ってるだけでは駄目ということ。
佐々木:
そう。「いまは⚪︎⚪︎に向かったらいいんだよ」っていうのを投げてあげると、それだけでやれることもある。またすぐ集中は切れるんだけど。それを続けていくことで、注意を向けておける時間が多少は長くなったりもします。そういうことは親御さんにもよく説明しています。
考えも衝動的で、危険な行為をするタイプ。でも、別にこれは危険な行為をしようとしてするんじゃないんですよ。まずやってみて、やってみたら危険だったってということなんですよね。
「この高さから飛びおりたらどうなるんだろう」ってジャンプしちゃうタイプ。「これ振り回したらどうなるかな」と思った時には、もう振ってて物壊してるとか、そんなタイプの子たち。
普通は危ないからしないでしょと思うかもしれないけど、衝動性が高いと、そういう行動をしちゃう。大人の中にも結構こういうタイプがいます。
不注意とも似てるんだけど、思いついたらぽんと別のことを始めちゃったり、動き始めちゃって、気づいたらまったく違うことをしていることもあるし。
ただ、これは衝動的に動いているので、本人も説明できないことが多々ある。「なんでこれしたの?」って聞かれても、「いやいやいやしてないし」、みたいになる。周りから見れば、「いや、やってたでしょ、今」となるんだけど。
衝動的に動いてる場合は、行動の言語化ができていないことが多いです。
だから、子どもの行動に対して「やったやらない」「勝手にしたしない」という話によくなっていて、「いつも俺のことばっかり怒る」みたいに子どもが言っている場合、衝動的にやっていて子ども自身も自分でとらえられていないことがある。大人もそうだけどね。衝動性はね、周りが何を伝えて、何を抑えるかっていうのを計画的にやらないと揉めごとばっかり増える。
日置:
「何度言っても同じことを繰り返す」みたいに思われてしまっている人っているけど、こういうタイプだという可能性もある。「この前もあんなに言ったのにまたやった」って言われ続けて、本人としては、たぶん言われてることもよく分かんないし覚えてないし。本人の中では気をつけようと思ってるんだけど、衝動性が勝っちゃうからまたやってしまう。
佐々木:
さっき言ったように、衝動的に動いて言語化されてないから「やったでしょ」と言っても「やってない」と言うんだけど、そうすると「あなたはいつもそうやって嘘をついて、こういうことをやってたでしょ」って言われてします。
でも、本人としてはやったってことが記憶されてないわけよ。
でも、大人を納得させないと終わらないことはわかってるから、大体の子どもたちは最終的には「はい、分かりました。すいません」って言うようになる。何にも残らないけど謝って終わるんです。
でも、本人は言語化されないままだし、記憶も残っていないから、その数分後には同じことやってるっていうね。
怒るのではなく、ただ「言語化する」
佐々木:
問題は言語化されないまま区切っちゃうということなので、うちでお願いしているのは「言語化するだけで終わらせる」ということなんです。「今、⚪︎⚪︎をしたんだよ」と言う。大抵、言われた子は「俺してねえ」って言うけど、「いや、⚪︎⚪︎したんだからね。覚えといてね」とだけ言う。そこに良し悪しの評価をするのではなく、まず言語化をする。言語化することで意識化できるようにしていく。そうしないと、その次のことをいくら伝えても意味がないですよね。
なぎ:
子どもには「今テレビ見てたよ」ってだけ言ったらいいってことですね。疑問形で「テレビ見てたの?」じゃなくて「見てたよ」っていう感じ。
佐々木:
そう。やってる行為を「こういうことしてたんだよ」って言語にする。そうすると「俺がテレビ見てたんだな」っていうのが分かってくるから、その次に、「テレビを見すぎると……」って話ができるようになってくる。感覚で見てるだけだから、「今テレビ見てるでしょ!」って怒って言われたりすると……。
日置:
防衛的になるよね。
佐々木:
「見てねえ!」みたいに言っちゃう。
なぎ:
そういうとき、子どもに「見てない」と言われると、嘘に聞こえちゃうから、「なんで嘘ついてんの」ってなっちゃうんです。
佐々木:
そうそう。だからこのタイプの人たちはずっと嘘つきって言われてしまいやすい。これは大人も結構いると思うんですよ。だから言った言わない、やったやらないになる。そういう場合はね、大体、相手に記憶がないです。
日置:
衝動性だったり、認識がうまくいってない場合に、過剰防衛っていうか、いつもいつも怒られて、そうやって人に責められる言葉ばっかりかけられるから、誰かに何か言われた時は、とりあえず反抗的に反論するようになってしまっていたり。二次的な障がいになると思いますけど。
佐々木:
あとはとりあえず従順に「はい、分かりました」って言って終わらせるとか。
日置:
「ごめんなさい」って。でも、何回ごめんなさいって言っても改まらないから周りは余計に腹が立つ。
佐々木:
あれは、本当に追い込まれてるだけだから、負のスパイラル。「そういうふうに責めるやり方は全然意味ないよ」って保育士たちにもよく言っています。
あと、同時に必要なのは、認知の仕方を理解してあげること。何が得意で何が苦手かっていうことは知らないといけないですね。
目で見る情報が得意なのか、耳で聞く情報が得意なのか。
一般に、発達障がいの子は視覚的に優位で、目で見るのが得意ということが多いんだけど、たとえば学習症の中のディスレクシアのタイプの子たち、書字障がい、読字障がいの子は目で見るのが苦手なので、いかに言葉で説明するかっていうふうにしないといけないわけで。どっちがこの子の理解のしやすさかなっていうのは常に考える必要があるということです。
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