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【小説】Ⅰb.(b)004

 唐突と思われるかもしれないが、私は子供の頃からゲームのテトリスが好きだった。ブロックの隙間に形の合ったブロックがうまく嵌ると、胸がすっとすくような想いがした。私の両親は、ゲームは子供の可能性を潰すと信じて疑わなかったので、自宅にはゲーム機が一つもなかった。だから、私は父親がテーブルや玄関の下駄箱の上に置きっ放しにした小銭をこっそりと持ち出し、駅前のゲームセンターに通って、テトリスに興じた。ふと隣を見たら、けむくじゃらのおじさんがズボンを脱いでいたり、好きなもの買ってあげるからとスーツ姿のお姉さんが色っぽい声で話しかけたてきたりしたけど、私は頑としてその場を動かなかった。テトリスを心置きなくプレイすることが、ゲームセンターのいる理由の全てで、テトリスがなければ、こんな辛気臭いうえに変な臭いのする空間はいるのも嫌だし、こんな所に棲息する人間も信用ならなかったのだ。
ただ、小さい私はテトリスを愛していたが、得意だったわけじゃなく、時間が経つにつれて、ブロックの落ちるスピードが早くなってくると、あっという間にブロックは歪な塔のように積み重なり、あっけなくゲームオーバーになった。
 いまヘッドハンティングなんて綱渡りのような仕事をしているのも、片方のクライアントのポストに必要な人材が不足しているのを、別のクライアントからそのポストにぴったりと嵌る人材を探し当てるこの仕事が幼い頃のテトリスの原体験ならぬ原快感を刺激するからだろうか。
 あぁ、いけないいけない。ここは客が絶え間なくやって来て、馬車馬が水を飲むようにガバガバとコーヒー、カフェラテ、フラペチーノを胃の中に流し込みながら、長時間滞在し、大して生産性が上がらないのに、試験勉強やPC作業をする空間で、私はこれから一人のアプリカントに会うんだった。頭を切り替えないといけない。
私は頭の中でアプリカントのプロフィールを反芻する。
 まず名前、1番重要。顔が出てくるのに名前が出てこない偏重さが著しい私は、思春期のノートの余白のように時間さえあれば資料の端にアプリカントの名前を書き出している。もちろん相手に渡す書類には余計な意味が生まれてしまうので、その様なことはしない。
青田すばる
ブロッコリーLABのチーフ研究者で年齢は42歳、あっ、厄年だ。
私の頭にはアプリカントの出生地から学歴、家族構成に至るまでのべつ隈なく頭に叩き込まれてる。漏れているのは性癖ぐらいかしら。でも、性癖は度が越さない限り、仕事に支障を及ぼすことはないから大丈夫、ふふ。
約束の時間が5分過ぎた頃、対象のアプリカントは現れた。そして、何も言わずにすっと私の前の席に座る。遅れて来たくせに一言もない、コミニュケーションに難ありと私は私のチェックリストに書き込んだ。
「本日はお忙しいところ、わざわざお会いしていただい」
「前置きはいいです。条件を教えてください。」
 どうやらこのアプリカントは根っからの研究者肌であるらしく、いささか社会人として逸脱しているようだ。だが、それならそれでいい。この手のタイプも私は問題なくハンドルできる。私はクライアントとアプリカントを繋ぐマッチポンプだ。今回クライアントは、人間性について条件をつけてない。タスクへの熱意とそれを遂行する専門的なスキルが求められているだけだ。ならば、私もそれに則って話を進めよう。
 私は咳払いを1つしてから話し始める。
「今回、クライアントからのオーダーは2点です。1点目は、極めて高品質な人工頭脳の開発者であること。これについて、青田様は、先に行われたArt Braコンペティションにおいて最優秀賞を獲得してる実」
「あのコンペは僕になんの断りもなく営業が勝手に出品したもので、TŌKO1137は未完成だったんだ。」
青田氏は顔をしかめ、吐き捨てるように言った。私は私で、それはいいんだけど、クイズの早押しじゃないんだから、人の話にカットインしてこないでよと心の中で思ったが、顔には出さず、咳払いをまた1つして、話を再開した。
「不本意であったかもしれませんが、先方のクライアントは青田様がお作りになった人工頭脳をとても評価しておりまして、つきま」
「それで、もう一つの条件って」
「おい」
 あっ、マズい。私が私を抑えきれない。もう1人の私が座っている座席の右斜め後ろに立ち、私の左肩のジャケットを右手の人差し指と親指でつまんで、座っている私を止めようとしている心象が視えているのだけれど、私は私を止められない。
「えっ」
「人の話は最後まで聞けよ。何さっきから割り込んできてんだよ。えっ、なに?言論統制仕掛けてきてんの?」
「いや、そんなつもりは」
「じゃあ、話終わるまで黙ってろ。」
「……」
青田氏が私の変容ぶりに押し黙り、私は落ち着きを取り戻す。そして、また元の調子で、気持ちストロークを十分にとりながら見せつけるように話し始める。
「もう一つの条件を申し上げます。現在、クライアントは青田様の人工頭脳技術と別のアプリカント様の専門技術を組み合わせた事業展開を計画しております。これまで青田様は御社で実験体の脳を研究し、自由に人工頭脳の生成プログラミングを行えていましたが、もし、クライアントの企業にご転身した場合、共同開発になりますので、お相手に合わせてお仕事をすることになります。」
「……話しても構わないかな?」
「どうぞ。」
私は手を差し伸べた。
「私以外のそのアプリカントやらは複数人いて、我々はプロジェクトチームを組むということなの?」
「アプリカントはもう1人だけです。間接的にメンバーになる人間は他にもいるかもしれませんが、共同開発はお二人のみです。」
「あい、分かった。あとは、そのもう1人の人間が、何を研究して、クライアントは何の開発を目指してるのかを教えて欲しいね。」
「それは……現段階ではお話することができません。」
「なぜ?」
「クライアントからの要望です。事業の全貌は青田様が雇用契約を結ぶまでは伏せておいて欲しいとのことです。」
青田氏は文字通り爆笑した。顔をのけぞらせ、手を叩き、可笑しみに身悶えるように目をつむり、眉間に向かって顔面の皮膚が皺となり押し寄せている。呼吸は止まったり、過度に吸い込んだりして不規則なため、ついにはしばらく咳き込んだが、その後も余韻がしばらく抜けずに表情は弛んでいた。私はその間、姿勢を伸ばし、鋭い目つきで睨みつけるように前を向いたまま、口は重く閉じて、沈黙していた。
「そんな馬鹿なことがあるか。スタートアップ企業の中身も働く相手のこともブラックボックスのまま、転職してこいという。曲がりなりにもブロッコリーLABは国が指定する最先端研究所だぞ。」
 シー・チェンジ…立場は完全に逆転し、今度は私が劣勢に立たされている。詰まるところ、ヘッドハンティングは主導権争いだ。現状のアプリカントの不完全燃焼が、新天地であればたちまちに燃えて灰になれるし、収入も増える、未来はこんなにも光り輝いているとアプリカントの血肉を湧かせなければならない。実際は、そんなに事はうまく運ばない。転職した後も仕事の内容は退屈かもしれない、提示してあった収入額は、実績が伴わないからと下げられ、トータルでは元の方が収入が良かったなんてことがあるかもしれない。眩い光りは夕日の斜陽だったかもしれない。
 アプリカントは対岸の夢に浮かされ、橋を渡るのだ。この青田氏の夢は一体何なのだろう。
「全く以ってその通りです。通常であれば考えられません。私もその条件を聞いたときは耳を疑いました。だけど、この業界、クライアントの言うことは絶対なんです。だから、仕方なくないですか?」
「まぁ……当のあなたがそう言うなら仕方がないんでしょうね。」
青田氏は困惑しながらも同意する。
「ですよね。それでさっきの青田様の仰ったことに戻るんですが、確かにブロッコリーLAB様は企業価値があり、国内でも屈指の研究施設です。就職ランキングでも上位の常連であり、学生からの人気も高ければ、国家機関からも公認されているから年配の信頼も厚い。非の打ち所がない国を代表する会社です。しかし、それではそんな会社の中枢といっても過言ではない所で働いている青田様はなぜ転職の可能性を検討するこの場におられるのですか?冷やかしですか?自分の足場の強固さを確かめるために、他を見て回っている?まさか、違いますよね。青田様の中で満たされない何かが存在しているからじゃないんですか?」
 糸に食らいついた魚のように、あるいは第四コーナーを回った競走馬に鞭を入れるように私は青田氏に質問をぶつけた。当の本人は、口をぽかんと開けたまま、しばらく白日夢にあっているかのようにぼんやりとした顔をしていて、あとでそれが3分続くようであれば、私は安否確認をしていたが、突然、先方は話し始めた。
「君は僕のことをどれだけ調べ上げた?」
「青田様の文字情報は全部、といって良いほどに。」
 青田氏はふうーとため息をつく。それは、この後に控える内容を話すために1ターン(ワンターン)力を込めているインテリ中年属性のポケモンのようだった。
「娘がある日、突然目の前からいなくなった。僕と妻だけになった。2人きりになって気がついた。娘の沓子が、僕ら家族の過去現在未来だったんだって。月日は経過しても、僕と妻はただただ同じ一日を過ごしている。沓子不在の一日だ。何が起こっても、楽しいことも、辛いことも、どんな出来事も沓子がいないことに比べたら、色が褪せている。これでも僕は前向きに考えている。せめて、沓子が沓子の姿は成していなくても沓子に会うことができたら、僕やいまは精神病院に入院している妻は新しい明日を生きることができるんじゃないか。そう望みながらブロッコリーLABで人工頭脳の沓子を作り続けているが、まだ、僕は沓子に会うことができていない。」
 感情が肌の紅潮で表されるように、青田氏の瞳から唇、生え際の髪の毛に至るまで哀しみが覆い、それは冷たい水色をしている。
 ここが今日の岐路になるだろうなと私は踏んだ。この青田氏に対する回答で、引っ張り上げるか糸が切れるかが分かる。私は内心興奮している。失敗の可能性が心象と共に内心を囃し立ててくる。なぜか成功イメージは出てこない。私が悲観的な人間なのだからだろうか。でも、どちらにせよ、やることは変わらない。誰からの受け売りでもない、私の本音を伝えるだけだ。
握った左手を唇につけて、咳を1つその中に入れた。パーにした左手には何もなかったことを目で見て安心してから、私は青田氏に向き直り、口を開いた。
「青田様は壁にぶつかっているのだと思います。しかもちょっとやそっとのことじゃ超えることも破壊することも敵わない大きな壁です。だけど、それは青田様自身が造り出してる壁ですよね。」
「うん、まぁそうだね。」
「その壁の正体は何なんでしょう。先程のお話から推察すると、それは娘さん自身であるということ、じゃないですか?」
青田氏は頷く。
「人工頭脳の精度をいくら上げたからといって人間である娘さんにはならない。あくまで近づけるだけで、永遠にそれが同一にはなりません。青田様の骨身を削った仕事ぶりによって限りなく近づいていますが、もはやそこが人工頭脳として娘さんに近づく限界なんです。」
青田氏はそれには肯定も否定もせずに、ただ黙っている。
「私はここで、禁を一つ破ります。これはクライアントでもなく、青田様のためでもなく、私がそう判断したからです。青田様の共同開発者もまたエンジニアです。人間を生み出すことのできるヒューマン・コードの技術者です。大学で教鞭を振るいながら、自らの理想の人体造りに没頭していました。しかし、頭に浮かんだ像形と現実となった人工体がどうしても一致しないことに苦悩しておられます。この状況、青田様とよく似ておりますね。専門分野の異なるエキスパートのお2人が組むことにより、お互いがお互いのあるべき形を成し遂げることができるかもしれません。そのためには敢えて新たな環境に投身する覚悟が必要かと。お二人の望みは、光にはなく闇の中からすくい取らなくてはならない種のものです。」
 どこかの席でカタカタと鳴るキーボードの音だけが異様に耳に入っている。人の声や物音は遠景に引いた潮騒のように混ざり合い、意味をなさないでいた。
「ひとつ、条件があるのだが・・・・・・」
青田氏は言った。
「なんでしょう。」
「君にこのプロジェクトのマネージメントをしてほしい。私やもう一人の人物の結果を巻き込んだ者の責任として最後まで見届けてもらう。」
「……」
 ヘッドハンティングがクライアントの会社のプロジェクトの一員になることなんて、これまで聞いたことがない。無理だということをどれだけ説明しても青田氏は聞き入れることがなかった。
 仕方なく、私は会社のボスとクライアントにそのまま報告すると、驚くことにどちらもあっさりと認められた。
「元々、ヘッドハンティングは個人営業みたいなもので、本来の業務を成功させるために必要であれば、クライアントのプロジェクトに参加するぐらいなんてことはないだろう。」
 ボスはなにやら上機嫌であったが、私は戸惑うばかりで、自分もまた暗がりの中へ引き摺り込まれるような気がしてならなかった。

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