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【小説】b.(b)012

 坂道から転がり落ちるように転落した私の人生の最大のつまづきは、あまりに自分を粗末に扱ったせいだ。
 今じゃどこにでもあるアメリカ資本のカフェチェーン店でお茶がしたくて、約束したのに、当日お腹痛いから行くの無理だわって日和った友達。不安だったけどムキになってわざわざドンコウ使い、何時間もかけてやってきた。
「こんにちは〜何処行くんですか?」
 声をかけてきたのは、私とそんなに歳の違わない、私と同じように垢抜けない格好をした男子だった。
「えっと、スターバックス。」
「あっ、じゃあ一緒に行ってもいいですか?喉渇いたし、新しいフラペチーノ飲みたかったんですよ〜。」
 場所も曖昧だったから、案内してもらってあとは適当に分かれようと思ってた。だけど、店は行列ができるぐらい混んでたし、店員や客が変に気取ってて、それに圧迫されて、注文どうしていいか頭がぐちゃぐちゃになった時に、横から助けてくれて、それで気持ちがぐるんとひっくり返ってしまった。
 初対面だからこそありのままの個人情報をさらけ出せてしまう。そして、気がついたら思いもよらず距離が近づいている。
 名前はカズキと名乗った相手は、その平凡な見かけに反して、女の子と一緒にいることに慣れていた。地元の同級生のような変に自らを大きく見せることもなく、ストレスなくしゃべることができた。
 だから、ホテルに行って休もうといわれたときも、うまく断ることができなかった。そのころには、この会って2時間も経たない奴のことを好きになっていたかもしれない。
 お酒を始めて飲んだのもカズキと入ったホテルでだ。理性がくらくらと揺らいで、服が脱がされるのもどこか他人事のような気分でいた。
 初体験が気持ち良かったかというと、正直よく分からなかったけど、カズキが私の中に入ってきた時に、それまでの私とこれからの私とに引き裂かれたような大きな音が内側に響いたのだ。痛みはなかったが、今までで1番デカい音だった。生きている限りずっと付きまとう私だけの音。
 sexが終わったあと、sexのせいで頭が揺さぶられて、横になっていてもぐわんぐわん揺れてしまう。カズキが冷たい水を私の口に含ませてくれて、熱を持った中の空洞を穏やかに冷まさせる。ハエが遠くでずっとか細く羽をばたつかせている音が耳にまとわりついている。つかず離れず一定の距離とリズムで繰り返される。ハエは高等な能力を持っているとハエへの認識を改めた瞬間、それが冷蔵庫の稼働音であることに気がつき、なんかスッキリしてその安心感で眠ってしまった。
 翌朝、目が覚めたとき、自分が違う人間にでもなってしまったのではと錯覚した。天井が目にした覚えのない天井だった。ベッドもそうだ。そして、頭の内側から痛みが外に出ようとガンガン叩いている未体験の頭痛だった。
 起き上がるのもしんどいので、掛け布団で全身を被りながら芋虫のように丸まりながら痛みやらそう遠くない未来の恐怖から現実逃避していた。眠気は麻酔のように上手い具合に訪れて、チェックアウトの時間が過ぎても精算しにやって来ない迷惑な客に対応する用の従業員が荒っぽくドアを叩くまで無邪気に寝ていた。
 文無しで未成年、同行者はバックレていたことが分かり、従業員はすぐに警察に連絡した。私は不思議なことにそれまでカズキがいないことに気がつかなかったのだけれど、警察に調書を取られる中で、最初から騙されていたことを知った。その辺りから周りの声がどんどん遠くなっていってやがて柔らかく萎んでいった。
 警察に迎えにやってきた母親は頭を何度も下げていた。そして、警察署を出て二人きりになると、頭ごなしに悪いのはお前だと憎しみのこもった目で言われた。家までの帰路は行きと同じドンコウで、車内では隙間なくぎっしりと責め続けられていたが、母親の声は強い耳鳴りで遮られ、私の眼は極端なクローズアップで母親の口や眼や鼻を映している。口はラフレシア、鼻はオオバナサイカクの茎、眼はセイウチに似ていた。どれも悪臭を放つ共通性なのは、肉親でありながら私の心情が影響しているのかもしれない。
 半年も経たぬ間に、両親が離婚した。原因は私だ。父も母もお互いに私の行いが相手のせいであると言ってなすりつけ合っていた。監視下に置かれて、私は自分の部屋を失い、リビングで生活することを強いられていたのだが、両親の罵声はここまで聞こえてきていて、それがワザと聞こえるようにしているのではないかと疑うほど大きかった。
 私はちょうど15歳になったばかりだったので、親を選べることができた。だから父を選んだ。理由は、父は母よりも私に関心がなさそうだから。本音を言えば父は私が邪魔だったろう。思い通りに1人で気ままに謳歌したかったのだろう。そんな心が透けて見えたからこそ、私は父と暮らすことに決めた。そして、父と暮らすようになってからはほとんど家に帰ることなく、大概外にいた。
 駅近くの終電が無くなったあとにコンビニで雑誌を立ち読みする、マックのテーブル席でシェイクをゆっくりと飲む。誰かが必ず声をかけてきたが、その誰かは男だった。スーツを着ていようが、重ね塗りをした首周りがゆったりとしたタンクトップ1枚で、腋の臭いが強烈だろうが、男だった。そんな時、私はいつもカズキのことを思い出した。だから、目の前の男にはどんな仕打ちをしてもいいだろうと思った。
 一人きりでいる私の身を案ずる男は一人もいなかったが、それはむしろ好都合だった。どの男も私と寝ることしか考えておらず、外で済ませようとするどうしようもないクズもいた。ホテルに行くことがsexすることの最低条件であることをはっきりと告げて、それで難色を示す男は、悪し様に罵るか警察を呼ぶと脅した。夜の街に男なんかいくらでも湧いているのだから。
 ホテルに着いて、相手にはシャワーを浴びてきてもらうが、私は浴びない。どうせこれから汚れるからだ。私の目的はsexにはないため、相手が私の乳房や性器を舐めようが声も出さない。
「マグロじゃねぇか。」男は怒りと悲しみが入り交じったような面持ちになるが、大きくなるものは大きくなるし、やることはやる。そしてわがままに果てていく。
 目的を遂げた男は冷たくなる。私の存在など気にかけないようにテレビを見たり、本を読んだり、仕事をし始めたりする。私はベッドの上で聖書を読む。この聖書は私が最初に男とホテルに入ったときの書き物机の抽斗に入っていたのを盗ってきた。私は男とsexした後からホテルを出る時間の間だけ聖書を読む。聖書は永遠に読み終わらないのではないかというぐらい長かった。男の用事は長くは続かない。射精した後の男は大体すぐ寝てしまうのだ。頃合いを見計らって私がベッドから出ると、待ってたとばかりに男が滑り込み、5分も経つと、寝息が聞こえてくる。この時に目が覚めたかのように嫌悪感が芽生え、私を包んでいく。透明の液体をイメージしながら私は男の金品を鞄やら着ているものから抜き取る。最初は現金だけだったが、その内、財布や腕時計も買い取りをしてくれる店を発見したので、頂くことにした。キャッシュカードやクレジットカードはなんとなく悪い予感がしたので、そのままにした。私はホテルを出てコインロッカーに向かい、その日の上がりをロッカーに入れる。そして、また声をかけてくる男を待つ。その繰り返しで夜は明けていった。
「これ、盗品だろ?」
 深く被るキャップの鍔から覗き見ると、店員がニヤニヤと笑っている。私が何も答えないでいると、店員はカウンター越しに検分するように私をじっと見つめる。
「金に困ってんなら、働き口紹介しようか?」
 お金には困っていなかったが、いい加減、夜通し男とホテルに出入りを繰り返すのにも限界を感じていたので、頷いた。
 連れてかれたのは古びたマンションの一室だった。生活感のない無機質な空間の真ん中にスチール机と椅子、そして固定電話が置かれている。
 コーヒーカップを持って奥から現れた男は、Tシャツから伸びた腕に緻密な紋様が描かれていて、色が肌によく馴染んでいた。
「歳いくつ?」
 私が正直に15歳というと、男の眼の色が透明に澄んでいく。それは底無しに冷え冷えとしていて、できるなら手に取って温度を確かめてみたいぐらいだった。
 その日から私は飼われることになる。駅からほど近い場所にある賃貸マンションが未成年なのにも関わらず住めるようになった。エレベーター、ベランダもついている。よく私はここで手すりにスターバックスのフラペチーノを置きながら、遠くから聞こえる踏切の音に耳を澄ませた。時々、強い風が吹いて、フラペチーノのカップの足を払いのけ、真っ逆さまに落下してしまう時が何度かあった。冷蔵庫、洗濯機、洗面所、トイレ、浴室にシャワーがあり、私はそれらを十全に使いこなせなかったけど、生活に事欠かなかった。
 もちろん、タダでそんな何不自由ない生活が送れるわけがない。電話一本かかってくれば、たとえ音楽を聴いてようが、2時間映画のラストシーンであろうが、生理不順で体調不良であろうが、私は外に出てかなくてはならなかった。そして、定められたホテルに向かい、いつかの夜のように知らない男に身体を明け渡さなければいけなかった。そして、今度はマグロは許されず、相手が喜ぶ仕草や行動を起こさなければならなかった。そして、それは今まで散々、夜にあった男の吐き捨てた言葉を拾い上げて、手や口で磨き上げたらいいだけの話だった。
 感情なんて1回も入れたことはない。むしろ、相手が望む私になるのには、気持ちなんて邪魔なだけだ。相手がぶくぶくに太ったブサイクだろうが、引き締まった肉体をしたイケメンだろうが、私には特に関係がない。どれもいったら客という土塊である。
 ある時、何の前触れなく入れ墨の男がマンションにやってきた。そして、はじめてsexをした。男は全身に入れ墨が入っていて、私は抱かれながら、その身体がどんな味がして、触れたらどんな肌触りなのかを確かめた。身体は鉄分とアルコールと甘いバニラビーンズがそこはかとなく混ざったような味がしたのと、温かくも冷たくもない形容できない温度が分かる。
 私は初めてこの人を受け入れてイッた。
「この街を出なきゃいけなくなった。最後に会っておこうと思ってな。」
 まだ、sexの余韻に浸っていた私は煙草の煙を追いかけていた。それは部屋の中を滞留し、どこかで諦めたように消えていった。
「私はどうなるの?」
「足を洗えばいい。そして、陽の目を浴びて生きればいい。金なら腐るほどあるだろう。」
 確かに財布の現金を抜き取った頃とは比べものにならない大金が客からあてがわれて、現金は部屋の箪笥の中に放り込んである。一体いくらあるのかは自分でもよく分からない。
 男が部屋から去っていってから、糸が切れてしまったように何もする気が起こらなくなってしまった。眼は開けているのだが、特に何を見ているでもなく、身体が無意識に反応するまでずっと座ったり、立ったりを繰り返し、ただ生きている。
 テレビもラジオも音楽も映画も本も観る気も聴く気も読む気も起きない。生というプールに浮かんで、ただ揺蕩っていた。一度だけ引き出しのお札を鷲掴みにして、デパ地下の青果店で店員が引くぐらい大量の果物を買い込んだ。そして、その時の気分で分け隔てなく食べた。皮ごと食べれるのはそのまま、外皮が固いものは引越しの時になぜか置いてあったサバイバルナイフで剥いて食べる。果実しか身体が受け入れなかった。
 誰にも合わず何もしなかったので時間に区切りがつかず、どれくらいの時が経過したのかがわからないが、果物が底をついたのが分かったので、また私は買出しに外に出た。
 日差しが凶器のように刺してくる。特に目からは出血するように涙が出てきて、痛いので、コンビニのレジ横に置かれたサングラスを仕方なく買った。
 デパートで両手に紙袋いっぱいの果物携えて、来た道を引き返していたら後ろから肩を掴まれた。その遠慮のなさに啞然として振り返ると、どこかで見たようなニヤけ方をした男が立っている。
「随分、瘦せてるからシャブに手出してんのかと思ったわ。」
 男はあっけらかんと失礼なことを言うので、私は相手の股の間を思いっきり蹴り上げてやる。男の絶叫が往来に響き渡り、通行人が怪訝な顔でこっちを見ていた。
 盗品の換金をしていた店は警察に摘発されてしまい、男は裏ビデオ屋で働いていると言った。女の子の斡旋は副業としてまだ続けているようだ。
昔の私のように夜な夜なホテルをはしごする未成年の女の子の末路を男から聞いた。私は相当運が良かったらしい。大抵の女の子は、どこかのタイミングで外れ札を引いてしまい、元に戻らないぐらい顔を壊されるぐらいの暴力を受けたり、死んでしまうこともあるのだという。
「そんなの男にとっても女にとっても不幸なことで救いようがない。だから、我々が糸を垂らして、救い上げるのさ。そして、プロフェショナルな人に身請けしてもらう。そして、思う存分働く。thats 経済活動。」
「でも、あの人は私の前からいなくなってしまった。」
「秩序の座が変わったんだ。たまに起こる。」
 私はグラスの水をゆっくりと飲む。それは私の喉から胸を通り過ぎ、お腹の泉にそっと落ちた。
 一体、誰かを支配するというのはどんな気分なんだろう。まだ生まれてから20年しか経っていないけど、その大半が他人に服従していたように思う。
 店員の男からは裏ビデオ専属女優になることを薦められて私は受け入れた。また、一つ私の首に鎖と輪っかがかかる。でも、仕方ない。こうでもしないと私はうまく生きていけない。
 撮影現場は常に嘘が転がっていた。監督も男優もカメラマンも本当はこんなことやりたくないのにやってるという不貞腐れたような態度を隠すことなく曝け出しながら撮影だけが進んでいく。作品はオムニバス形式で詰所には私以外の女優がいる。全く会話がなく、携帯を執拗にいじっている子もいれば、身体に触れるギリギリまで近づいてきて、自分のことばかりひたすら喋る子がいて、極端だったけど、男優に抱かれてるときはどの子も自然で、彼女たち、そして私にとってもああされていた方が落ち着いていられるんだろうなぁ。
 現金の置き場がいよいよ無くなってきたので、札束をゴミ袋に詰めて、近所の銀行に持って行って、口座を開設した。
 銀行員が顔を歪めながら躍起になってちんぷんかんに何かを勧めてくるので、面倒くさくて言われるがままに契約した。
 着る物には無頓着で、かといって現場の子のように下着に下着を重ねているような私服をするのは性に合わなかったから、無地のTシャツに色の薄いジーパンで過ごしていた。現場にもそのままいった。衣装まで手が回らない現場もあった時なんかは、そのままの格好で男優に脱がされ、そのままsexした。
 私の裏ビデオの売上げがいいのだと普段は顔を出さない会社の社長が現れて挨拶してきた。社長の顔は切り傷があったり、裂けた唇を縫った跡が生々しかったりで、見ていて飽きないのだが、あんまり見てると良からぬことが起こりそうで、私はぼんやりと視界を燻らせながら言葉少なめにお礼を言った。
 裏ビデオ出演の1回の出演料で丸々1年生活ができて、しかもお釣りが来るぐらいだった。せっかく口座を作ったのだからとせっせと銀行に通い、入金しようとする度、思い詰めた銀行員から個室に呼ばれ、営業をかけられてポンポン印鑑を押した。
 そのうち裏ビデオも社長が未成年とのアブノーマルな性行為が明るみになり、会計担当の社員がお金を持ち逃げしたことにより、潰れて、私はまた無職になった。
 ある夜、私は決意して外に出た。日付が変わり、終電が無くなった後の街に向かう。そして、あてもなく彷徨う。排水溝から立ち昇る残飯が混ざり合った反吐の臭い。その日1日が失われたことで街全体が喪に服したような静けさ。
 薄っぺらい明るさや騒がしさの中に私が探しているものはある。それは以前私がいた場所だから形が変わってもなんとなく分かる。
「こんばんは。」
 私が話しかけると、話しかけられた相手はちらっとこちらを見る。そして、すぐに目をそらし手元の本を読み始める。座席には灰皿とメンソールの煙草が置かれていた。私は隣の席に座り、じっとその子を見つめていた。おかっぱ頭で顔色が青白く、黒い恰好をしていて、なぜだか堪らなく愛おしい。ただし、相手が全く心を開く気配はない。膠着状態が30分ぐらい続いてたので、私は正直に言ってみた。
「ねぇ、私のこと嫌い?」
女の子の身体が一瞬ぶるっと震えた。そして、視線は本から離さず、小さく首を横に振った。
「よかった、じゃあ行こ。」
 抵抗されるかと思ったけど、引っ張った手は中身が空っぽのように軽くて、それが何とも嬉しかった。
 コンビニの籠から溢れるぐらい食べ物やお酒を買った。本気でこの店にある商品全部買い占めてやろうってぐらい気分が高揚していて、それは隣の子の表情がほころんでいることが大きく関係しているのだと思う。
「どこ行くの?」
 私のマンションの前に着くと、女の子は立ち止まり、表情が強張る。
「えっ、私ん家。」
女の子は下を向いて、地面に向かって言葉を吐き出した。
「他に人、いないよね?」
私は優しく女の子を抱きしめて言った。
「私を信じて。」
 普段、カップラーメンなんて口にしたことがないけど、女の子と食べたら美味しかった。お酒もタバコも飲んだことがないと言ったら、女の子は真面目、真面目と繰り返し明け透けに笑うので、私も同じように笑った。ふとした沈黙のときに唇にキスをしようとしたら、女の子が恥ずかしがりながらお風呂に入りたいというので、準備した。新しい歯ブラシもあったから歯を磨いて、二人でベッドに入った。同じシャンプーやボディソープを使っているはずなのに女の子の身体を通すと、別の匂いがして不思議だった。私はベッドの中で女の子の顔や身体に唇を優しく押した。女の子が静かに泣いていたから、理由を尋ねた。
「こんなに優しくされたの、はじめてだから。」
怒りを熱源にした血が私の体内に巡る。こんなにかわいい子が傷つかなければならない世界が憎かった。
 それから私は街女の子を一人一人家に置くようになった。いくつかの女の子はそのまま住みつき、いくつかの女の子は金品と共に忽然と姿を消した。もうこれより上がないのではないかというぐらい幸せな瞬間を味わうこともあれば、奈落の底にどこまでも落ちていくような苦しみを味わうこともあった。それでも私は一人一人の女の子を愛そうともがいたし、どんな結末になろうが後悔はなく、一人のときよりも日々は確実に色づいた。
「私たちいい加減働かないと。」
ある時、家にいた女の子たちがいつになく真剣な目で私に訴えてきた。
「働くってどうやって?」
「肉体労働。」
女の子たちはお互い含みを持たせた顔を見合わせる。
「じゃあ、私がオーナー。そうすればあなたたちのことも見守れるし。」
私は開店資金を作るために久しぶりに銀行にいった。そして、これまでろくに話を聞いていなかった投資状況を尋ねた。
「それはもう当行が自信を持ってお勧めしたものですから、順調に増えておりますよ。」
「OK、じゃあそれ全部資金に回します。」
担当者は突然の解約の報に白目を剥いて狼狽えていたが、そんなんで決意は変わらない。
 歩く目的が変われば街の見え方も変わってきた。これまでの人生でおよそ使ったことのない脳みその部分を使っているのですぐに疲れる。道はどこまでも途切れることなく続いていて、歩くとに慣れてない足の裏には大きな豆ができて、潰れ、血が出て瘡蓋として固まり足跡を残した。
 契約を結ぶときに、土地のオーナーと紹介されたとき、私は言葉が出なかった。あの夜から多くの年月が経過していたが、会った瞬間にその男がカズキであると私には分かった。カズキは相変わらずの見かけであったが、この土地一帯を所有する地主であることを知った。
「よろしくお願いします。」
カズキが差し出した手を私は放心したように握る。
 バスタブが真白な泡に包まれている。女の子が無邪気に息を吹きかけたり、突ついて割ったりして遊んでいる。ずっと一度やってみたいと思っていたのだそうだ。満ち足りた女の子の顔に心は洗われるようだが、店の経営は芳しくなく、私は答えを求めるようにしばらく天井を向いていた。
「大丈夫?」
我に返ると女の子がこちらを気遣っているような表情をしている。私はうんとだけ頷いた。
「奪っちゃえばいい、壊してしまえばいい。私たちから散々そうしてきたんだから。」
「そうだね、そうだね。」
 この闇の中では自分の姿すら真っ暗に同化してしまう。カズキの跡をストーキングしてたどり着いた施設が静かに佇んでいる。
 虫の盛りをマフラーの排気音が切り裂いて、どんどん近づいていく。ドライバーはスタンドを立てて、デカいバックパックから何やら出している。
 立ち上がると関節がポキリポキリなる。私と同様に関節ももう若くないんだ。
 厳重にラップが巻かれた牛丼の置き場所を変えて、死角に隠れる。時間が少し経過した後に、誰かが出てきた。
「あなたは誰?どうして血がついてるの?」
「私は、こんな風にしてずっと血を流しながら生きてきたの。」
「それは大変だったわね。」
「あなた、私たちを救うために私に拉致されてほしいんだけど、いい?良くなくてもそうするんだけど、女の子にはあんまり手荒なことしまくないんだけど、ほら私今気持ち荒ぶってるから。早く返事が欲しいの。」
「いいわよ。」
 結局、色々回り道したんだけど、あの人の身体にナイフ入れたときの感触から得たのは、最初から私はこうしたかったんじゃないかなって確かな手応え。私はいつも突かれる側だったから、突いた側に回ったら、すっと新鮮な空気が体内の隙間を縫って下から上に抜けていったようなはじめての感覚があって、それが癖になって何度もあの人のお腹を突き刺した。どんどん自分が透明になるんじゃないかってぐらい、清涼な空気が入っては抜けていった。

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