私の第二の保育園
こんにちは!
車いす大学生のみのりです。
前回の記事では、私の保育園事情について書いてみました。
お昼で保育園を帰らなければいけなかった私。
そんな私には第2の保育園がありました。
今日は第2の保育園の存在と私の体験を書いてみたいと思います。
第2の保育園とは
第2の保育園と私が呼んでいるのは、
「ことばの教室」
です。
ことばの教室を簡単に説明すると、発語などのコミュニケーションに遅れのある子が通う教室です。
ことばの教室について気になる方はぜひこちらをご覧ください。
基本的に小学生、中学生が通うようですが、私の街には療育施設が当時なく、未就学児も、そして私も通わせていただきました。
第2の保育園でやったこと
そこにいた先生たちと本当にたくさんのことを体験させてもらいました。
そこではお歌を歌ったり、
クッキーを作って、
マクドナルドごっこをして、
クリスマス会やハロウィンも。
楽しかった思い出しかありません。
今はできないかもしれませんが、大量の小麦粉を、子供用のプールに敷き詰めて、その中で裸になって遊ぶというクレイジーな経験もしました(笑)
書きながら、どんどん楽しかった思い出がよみがえります。
保育園はつらい記憶がいっぱいだけれど、こんな素敵な第2の保育園があったおかげで、全部が全部つらかったわけではなかったのです。
再び会えた
それから約15年。
20歳を迎えて、あの時の感謝をどうしてもしたくなりました。
連絡を取ることができました。
当日、先生と会うことに少し緊張もしながら、でもわくわくでいっぱいでした。
「みのりちゃ~ん!」
私の名前を呼ぶその声は、当時の大好きだった先生の声と何も変わりませんでした。
私のことをついこの前のように覚えていてくれました。
そしてあの時代が、先生にとっても、すごく楽しかった日々だったと教えてくれました。
先生にもいろんなつらいことがあって、でも今、社会福祉士の資格を取るために、仕事をしながら、目標に向かって頑張っていることを聞きました。
資格を取りたいのは、子どもたちと関わるときにもっと知識をもって接してあげたいから、と先生は言います。
こどもたちのために全身全霊、等身大で立ち向かう、昔と変わらない先生に、私は憧れています。
先生は私に素敵なネックレスをくださいました。このネックレスが似合う素敵な人に私もなりたいです。
第2の居場所
保育園から離れたその場所は、私にとってとてもかけがえのないものでした。
子どもの時の記憶は、鮮明にその後の人生に影響します。
その時に、こういう制度があること、人に出会えたこと、これはとても大切だと感じました。
このかけがえのなさは母にとってもだと思います。
私を育てることは、他のお母さんたちとは違う、大変難しいものだったでしょう。
さらに、今ほど情報がネットになかった時代に、こうして気兼ねなく話すことができる先生がいたことが本当に良かったと、母と昔話をすると必ずと言っていいほど出てきます。
何か苦しいことがあったりするときは、第2の居場所を見つけてほしいと強く思います。
それは、リアルでもネットでも。
寄り添ってくれる人は絶対どこかにいるから。
みのり