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旅するために書く

旅は当日より、むしろ準備期間が楽しかったりする。

いつからか始まった、小説を書いて旅するスタイル。取材旅行ってかっこいいなぁと憧れるのだけど、わたしの場合は妄想するのが好き。あそこに行ってみたい、あれが見てみたい。この時間がたまらなく楽しい。妄想をしつつ、本やネットで調べながら小説を書きあげていく。そのあと現地を旅する。
旅したい気持ちを盛り上げる最高の準備期間。

さて、広島県呉市音戸町を訪れた。
呉駅からバスで約30分。清盛塚駅で降りる。本土側から見たことはあるのだけど、島側に来たのは初。
想像以上に目の前が海。浜辺とかなくて急に海。船いっぱい。

音戸の瀬戸をひっきりなしに船が抜けていく。

書き上げた短編小説は、戦時中の音戸に住む女性が主人公。ハチロクで広島にいるはずの息子を探しに行く。

戦争を題材にして書いたのは初めて。
そもそも祖父の被爆体験をまとめるのに資料を集めていたのだが、その最中どうしてもある女性が気になってしまい、それならいっそのことその女性をモデルに短編小説を書いてみよう、という脱線から執筆が始まった。

頭に浮かんだ映像を書き起こす形でいつもは書いていくのだけど、今回はすぐに映像が切れた。
当時の生活から戦争に関する用語まで、とにかく分からないことが多すぎる。
調べる範囲が広い。郷土資料が頼みの綱。断片的な情報をつなぎ合わせて想像するけど、生活の細部まではなかなか難しい。
考えてみれば、今の日常生活だって、毎日の細部を言葉ですべて説明することできないし、写真や映像で記録として残そうと思っていなければ残ることもない。印象的なことは記憶にも記録にも残りやすいけど、日々の何気ない行為って忘れさられる。
わたしが子どもの頃は黒電話を使っていたけど、この頃ってもう電話があったんだろうか、そもそも島に電話線が引かれてたんかなとか、ハテナが止まらない。こうなってくると沼。
流れが見えるまではプロットを立てずに突き進むので、使わないであろうこともとりあえず調べてしまう。
脱線につぐ脱線。でもそれも含めて楽しい。

戦争について考えるときには、戦時中の日常生活の小説を書いてみるというのも一つの方法だと思う。

大人の自由研究は、思いがけない景色にたどり着いたりするんだよな。

坪井側の音戸漁港

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