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会話テストの思い出とフリートーク、会議や忘年会での話の続かなさ、そして自分なりのささやかな対処法

おつかれさまです。

会話テストの思い出💭
ST養成校で1年生の難関のひとつ(わたしがそう思っているだけかもしれないけど)、それが会話テストです。維持期・生活期の失語症のある方が外来で言語療法を受けに来ているというような設定で、先生達が扮して、学生が自由会話(フリートーク)を行うというものです。
どんな失語タイプか事前には分からないため、予想外の特徴であるときにも対応して、会話のキャッチボールが成り立つような働きかけ、質問、補助手段を用いながら、相手の話を聞く・自分の話が伝わるように工夫する=会話することがポイントでした。
当時はビデオテープに録画して、それを先生や同級生とともに見て指摘されるのですが、わたしは落ちてばかりで最終まで残ってしまった記憶があります。
実際に話している状況を録画してそれをモニタリングしてもらう、というのが勉強になりました。そして失語症状をみるだけではなくて、やはり会話なので、人と人のやり取りを大切にすることも教わりました。

でも……
今もそうですが、フリートークが苦手です。

STとしては何気ない感じの会話から、言語機能・言語能力に関する情報収集を、考えや状況、いろいろな生活歴やエピソードの聞き取りとともに行わなければなりませんから、いかに自然にそれを行うか、相手の話の流れを途切らせていないか?負担をかけ過ぎていないか?でも聞き取るべき情報を時間内でスムーズに行うにはどうしたらいいだろう?と新規の方とお会いする際はその日の業後に反省的に振り返る毎日です。

こういう臨床に関わる部分では、フリートークに苦手さはあるとは言っても、相手が少しでも話しやすくなる・話してよいと思ってくれるようになりたいと思っていますし、辛いとはぜんぜん思いません。でも臨床以外でフリートークが必要となり、フリートークが苦手なことで問題なのは年末の大イベント、、、

…そう、忘年会🍻です。

毎年参加するわけではないですが、参加したほうがいいなって年もあって行くわけですけど、やっぱり今でも同席したひとと、何を話せばよいか分からず、ぼんやりしてしまうか、ビュッフェ的ならずっと食べ物を取りに行っては食べ続けて、時間が過ぎるのを待っている笑
そして、君のいた席の他のひとはスマホずっと見たりしていたよね笑、みたいに言われてしまいますけど、いやいや、自分もわかってるんです、自分が年長者のテーブルの場合はまずいなと思って、話は振るんですよ?
振るんですけど、でも会話は続かないし、若い人たちの迷惑になってもいけないし(言い訳)、他の人達がみていて「あそこの席、誰も喋ってない笑」みたいになったらイヤだなと思っても(自意識過剰ですすみません)、だからといって互いに無理して喋るのも違うよなぁと思ってしまいます。

それは会議とか少人数での話し合いのときでも雰囲気や状況次第ではそうなので、うまく行かないときはどうしたものかなと思うのですけど……
それで、少しでも事後に落ち込まないようにするために、ちょっとした対処法を考えました。
…それは事前にうまく話せないかもしれないと伝えておくことです!
その状況や会の様子、出席者との関わり次第でもありますが、あらかじめ出席するひとに、話や議論のペース・スピードがはやいとうまく話せないことがあります、すみません、でも話や議論に参加したくないわけではないんです、よろしくお願いします、みたいな感じを伝えておくことがあります(会議であれば台本というか、伝えるべき内容をWordで作成して準備しておき、さきに見てもらうこともあります)。

自分自身、会話がうまくできない理由はいろいろあると思ってます(雑な自己分析)。
そのなかでどこのスキルなら伸ばせるか?どういう役割(ロール)なら演じることができるか?を意識しています。10年近く経って、やっと少し折り合いがつけられるようになってきました。
でも折り合いはつきつつあるけれど、研修会とか発表会を行うときには、言葉が途切れ途切れで、声も震えてしまって、ということは多いです。とくに新規の状況ではどんな立場で、何をどのように話せばよいのかが、頭では分かっていて、事前準備もしたのに、真っ白になったりします。
それでも状況によっては過緊張にならないこともあるので、もしかしたら文脈(コンテクスト)とか、緊張しない雰囲気や場面というのが自分のなかにあるのかもしれません。そしてそのコンテクストに基づいた役割を見失うと、伝える言葉が紡げなくなることがあるのかも?と思ったりします。
緊張が適度で、うまくはまるときがあって、そういう状況下だとすっと言葉が出てくるし、たとえ言い間違いをしても、次の言葉で言い直したり、修正したりすることができているな、と感じます。
そういう場面が増えていくといいなと思うとともに、自分としては、その緊張しすぎずに伝えられる自分の役割を演じられそうなきっかけを探しながら、みつけられたら意識の片隅に置きつつ、話すスピードや間合い、フィラーを意識しながら、相手の顔を見たり見なかったりして、話すべき項目の箇条書きメモや原稿を見つつ、その時々の状況で適宜選択して言葉にする、という感じの流れを作れるように気をつけています。

伝えたいときにも言葉が途切れてしまうことへの悩みがありましたが、あるひとから「訥弁(トツベン)のほうが信用されることもあるし、相手を考えて、おもって話していることが伝わるから、良いこともあるよ」というようなことを言ってもらいまして、気持ちがすごく楽になりました。その方はとても話が上手なのですが、自分は自分のスタイルで、できる限りを伝えていけたらと思えるようになりました。

わたしも、たとえば職場の同僚とかからそのような悩みを打ち明けられることがあったら(なかなかそんな状況はないとは思いますが💧)、そんなことないよ考えすぎだよって言うのではなくて、その悩みを受け取ったうえで、そのひとの話し方や話の良いところも伝えることができたらいいな、と思っています。
もちろん相手がどういう気持ちでそれを伝えてきたかによるところが大きいので、深刻さ・状況におうじて悩みの理由に注目したり、改善を望む場合には適切な療法サービスを受けたりする、勧めるということも必要ではあると思います。
ちなみに、わたしの場合はいわゆる正常範囲内と呼ばれる状態とは思いますが、それでも調子のすぐれないときや過度なストレスがかかると、日常会話での言い誤りや文構造の崩れが増大して会話(発話)に支障をきたすことはあります。あとで何を話していたか、どんな発話だったかを、厳密ではないけれどできる範囲でメモして、振り返られるようにしています。


学生時代の会話テストの思い出から、なぜか今の自分における会話状況の話しになってしまいました…

最後にフリートークについて追記します。
フリートークは状況に応じてクローズドクエスチョンや文字提示を行いつつ、でも聞き手の解釈を大きくせずに、聞き返しや確認を自然に行いながら、相手の話を聴く姿勢を持ち続ける、ということに注意を配りながら適宜対応することが難しいな、と思います。
でも、自由会話の形式でお話しをうかがうと、話してくださる方の、予想外の話題とか、経験に裏打ちされた鋭い洞察、話し相手への気遣いなどが垣間見えて、こちら側の望む反応や情報を引き出すこととは違うというところで、フリートーク(自由会話)の奥深さと言語活動における重要性を感じています。
話すことにはエネルギーを使うけど、構えずに話を聞きにうかがう時間や機会を増やしていきたいです。そしてその状態を作り続けるために頭を切り替え、エネルギーを補填していけるようになりたいと思います。

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