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《文脈病》について/随想

こんばんは。お疲れさまです。

唐突ですけれど、私事ですが生徒時代に引きこもりだった期間が数年ありまして…
昔、爆問学問という番組を見ていたら、引きこもり研究者・精神科医の斎藤環氏が出ていて、診察室?で話していたことが印象に残っています。

ときは過ぎ…

STとして働いているなかで“言語”を知るためには精神医学や精神分析学の領域について触れなければならないと思ったことがあり、探しているなかで見つけたのが、斎藤先生著「文脈病━ラカン、ベイトソン、マトゥラーナ」でした。
この本は「文脈/コンテクスト」概念について様々に論じられた本であり、現在では引きこもり関係などたくさん本を記されている著者にとってはじめての著書だそうです。
斎藤先生があとがきにも書いていますが、後半部が理論について記述されており、13章に要約が書かれているため、もしはじめて手に取ることがあれば、まずそこから読むことをお勧めさせていただきます。私は序章および11〜13章をとくに読んでいます。

以下は13章「コンテクストのオートポイエーシス」を中心に読んだことでの漠然とした話しになりますが…

言語活動を行うには脳(器質因)と気持ち(心因)のどちらも大事であるというのは、脳損傷後遺症のある方への言語療法を行うSTにとっては納得できるものであると思います。
また心因においても、通常の意味で言葉は心の表れであると思うし、気持ちを表現したり、伝えようとする気持ちやそれによる言語化が働いたりしなければ、やはり言葉はうまく生じないと感じます。

自分が学んだST養成校のカリキュラムでは、精神医学の講義数は少なかったように思います(発達心理学や言語心理学、認知心理学は詳しかったですが)し、自分自身を振り返ってもあまり言語療法と心の部分の繋がりを理解していなかった気がします。
新人の頃は言語コミュニケーションの評価においても、2次症状としての抑うつ傾向等は列挙するに留まり、その言語活動への影響を分からずに、脳の言語機能とその病態や症状を取り出してリハビリを行っていたように思います。
極端には、言葉が産生できればよいと思っているようにもみえたかもしれません。反復的な訓練としてある部分において効果はあったかもしれないですが、だけど脳損傷後の大変な状況にある患者さんには、さらに負担をかけてしまっていただろう、といま申し訳なく思います。

自分は心理士でも精神科の作業療法士でもない、けれども心の部分を知ること(それを評価するというわけではなくて)は、脳の部分の影響を理解するためにも重要であると思いました。

文脈病を読んで、(言語療法が対象とするような)言語活動において脳と心の関係は思っている以上に相補的であり、評価(その方への言語症状を分析、定義しようとする)の視点を取ろうとしなければ、両者は渾然一体であるようにみえると感じます。そしてもしかしたら渾然一体である状態そのものを捉えることも大事であるかもしれない、と言語機能(内言語)の評価を行う一方で思うようになりました。

症状化した場合(狭義の神経心理学とか言語病理学の対象となる状態)は両者を分けて捉える(あるいは1次性、2次性と捉えられる)べきであるけれども、おそらく前症状的な状況(そして普段の状況)においては、器質因と心因は互いに作動し合う関係性(文脈病の13章では器質的主体と精神分析的主体の、ふたつのオートポイエーシスのカップリングとして示されています)が仮定できるというところが、言語療法における症状の改善、学習や再編成の目的のために参考にできる理論・仮説であると思いました。

臨床的な場面においても、明確に症状が出現していて苦悩の只中に在る状況がある、という一方で、症状が全てを占めているわけではなく、僅かな、一瞬の状況かもしれないけれど、無自覚に、無意識的に、自然な状態というのもあり得る、と感じています。
だからこそ、もしその(一瞬であるとしても)普段の状況を、活動全体に押し広げることができるなら…その支えや援助を言語療法としてできるなら…その方法を理論的に捉える場合に「コンテクストのオートポイエーシス」がもしかしたらヒントになるかもしれない、と思ってきました。

もしかしたら私は間違っているかもしれません。
また、この本の利用方法としても適切ではないかもしれない。
でも、私にとってとても示唆をもらえる本であるということは本当だと今も思っています。

文脈病の12章より
…動詞の効率的な修得にはコンテクストの理解が欠かせない。そして、コンテクスト理解による学習の効率化の別名が「学習Ⅱ」であった。
 さらに私はここで、ベルクソンが失語症で障害される単語を順番に取り出した「固有名詞→名詞→形容詞→動詞」の系列を連想せずにはいられなかった。臨床的妥当性はさておき、単語の帯びるコンテクスト性は、まさしくこの順番で高まってゆくであろうからである。コンテクスト性の高い単語ほど習得しにくい。逆に一度習得されれば、損なわれにくいものになるだろう。ここにおいてすでに、器質性疾患におけるベルクソニズムの有効性が、徴候的に現れている。

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