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映画『プラダを着た悪魔』から見る人間性


『プラダを着た悪魔』とは?😈🔱


映画『プラダを着た悪魔』は言わずと知れた超有名な作品❤️‍🔥
𝐒𝐭𝐨𝐫𝐲:
主人公アンディは オシャレに全く興味のないが、ジャーナリストになるためにファッション雑誌の"ランウェイ"で働き始め、人生が激変する物語🪄.*

その物語の中で、アンディは自分の服を編集長に「ダサい」と言われてもファッションを変えることはなかった。

1.「ファッションの仕事を続けるつもりはないから、変える必要もないでしょ?」

ファッションの頂点である"ランウェイ"に身を置いても自分がファッションを変える必要なんてない、とアンディは言うが、その考えで周りを全て無視していることと、思考を遮断していることがわかる。
ファッションの仕事をしている以上(ファッション以前にニューヨークにいたら)、周りの影響を受けるのは当たり前。そも、ファッションのことを知らなければ、編集長の指示もまともに理解できず、頼まれた仕事はすぐに対応できないので、遅かれ早かれクビになる。
しかし、アンディがクビにならなかったのは、"ランウェイ"に関わること・ファッションを勉強し、編集長の指示を理解できるようになり、それを間違えることなく、頼まれたこと以上に対応できるようになったから。
そして、アンディは朝から夜まで、それこそ編集長の子供の宿題を代わりにやるというヴォーグに関係ないようなことまで、とにかく一生懸命動いたおかげで「ファッションの世界」「頂点の世界」を知った。
初めのまま周りを知らん振りしていたら、その後の人生では、きっとファッションや頂点の世界を知ることは出来なかった。
それは、アンディだけの話ではなく、私たちにも同じことが言える。

2.どの環境に置かれても一生懸命動き、花を咲かせる

社会人になってから驚いたのは、仕事に文句ばかり言って動かない人が少なからずいること。
やってられねぇ〜〜〜!!!と言いながらも仕事をこなせれば、何も言うことは無いが、ずっっっっっっっっと文句だけ長ったらしく垂れ流し、仕事が終わるのも遅く、その成果は普通(もしくは、それ以下)だったら、どこに行っても周りから煙たがれる人物になる。
また、じっっっと黙って仕事をしてる人もダメ。黙るということは、コミュニケーションが取れないということ。コミュニケーションが取れない人は、どこに行っても何も出来ない。その人は、報告・連絡・相談が一生出来ません。そして、いてもいなくてもどうでもいいと思われる。またそんな人は、ずっと暗いオーラを出して、水を何度与えられても根っこは永遠に枯れていて、花は出ない。
反対に、普段から周りと話して意見を聞いたり、情報を手に入れることができると会社内で上手に立ち回ることが出来る。
(アンディは普段からコミュニケーションを取り、知り合いを増やすことで達成不可能な激ムズ仕事をやり遂げた)
当たり前なことだけれど、その当たり前が当たり前に出来ない人が世の中にはたくさんいる。
それが何故かって言うと、「一生懸命動く」ことをしてこなかったから。
小学生の頃から、先生に言われた宿題を期限内に提出し、行事や掃除に取り組み、学校や家庭で言われたルール・躾を守って生活をして、テストにも時間を使い、プライドだけの嘘なんてつかずに何事にも誠実に取り組んでいたら、一生懸命動くことなんて当たり前に身体に染み付いて出来るようになる。
そしてその当たり前ができる人は、どの環境に置かれても自分の能力にしてしまうので、どんな指示を出されても、期待以上に対応することができて、どこにいっても重宝される。
普段から当たり前に、人から信用される。
仕事ができるので、次々に仕事を頼まれる。
様々な仕事を自分の力にするので、他の仕事にも応用することができ、自分の道を大きく切り開ける。

「出来ない」「分からない」「自分の仕事じゃない」そこで思考が止まり、自分はダメだからと口だけ動かし、次の行動ができない人は、傲慢な人。
「躾をされてないから」と言い訳をする人も同じ。

3.「野暮の罪」

齋藤薫著『だから“躾のある人”は美しい 一日一ページ読めば、生き方が変わる』には、どうしてアンディのように野暮ったい人が罪なのかが書かれている。

服が変な人を、もう信用しない

日本は、"豊かさ"の多くが"お洒落"に使われる国。基本的に情報過多の国。普通に生きていれば、放っておいてもお洒落になっていってしまう国。
そんな国のこんな時代に生きていても尚、お酒落に無頓着で、どこか野暮ったい人は、多かれ少なかれ世間に背を向けていると言わざるをえない 。人との関わりを軽視していると言わざるをえない。
しかし、服のセンスはある部分、持って生まれた能力。センスがないのを責めたりすることはできないが、自分にセンスがないことに気づかないのも、気づいているのに努力もせずに放っておくのも、 今は立派に"新しい非常識"と考えてよく、そういう人は会話でも何となく、人と話がうまくかみ合わないはずなのだ。
つまり、服が変な人は、今や人もへん。人間的センスと生きる意欲の両方があれば、お洒落なしではすまないし、周囲の人を多少とも心地よくさせようと思えば、最低限のお洒落なしにはすまされない。
お洒落しない人は、人への気配りもない人。だから、もう信用しない。

『だから“躾のある人”は美しい 一日一ページ読めば、生き方が変わる』齋藤薫

4.最後に

私自身、世間に背を向いていて、服も思考も絡まりまくっていておかしくて、コミュニケーションが取れない人だった。。😫
けれど、ダンスの先生の下で1年間アシスタントとして学んだことで、柔軟な考えができるようになったよ❤︎
きっと、こんなことは普段学べない考えなので、少しでも伝えられたらな、と思い切って投稿🥺💭
少しでも何かの参考になったら超ハッピー💓✨

🦄🩷

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