私と”私”、私と誰か
今は昔、高校生だった私は思春期特有の、或いは度を超した捻くれ方をしていた。それまで他人とどのようにして関わり合っていたのかが皆目分からなくなってしまったのである。小中学生の頃は『真面目な生徒』を装いつつもそれなりにコミュニケーションが取れていたものだ。それが、高校生になるや、どれ程の距離感を持つのが適切で、どう接するのが互いに心地良いのかを異常なまでに意識してしまうようになった。
かといってクラスメイトや部活動の仲間らと全く交流を絶って終日連日独りだった、という訳でもない。必要があれば言葉は交わす。しかし、例えば、隣席の者がペンや消しゴムを落とした時これを拾うのに躊躇いが生じるのだ。私がその文房具に触れることを相手はどう思うだろう、快しとはしないのではないか、と。或いは、そのような行動が、親切な自分を演出するものとして捉えられるのではないか、と。そんなこと相手はさして気にしないだろうし、ささやかな親切という極ありふれた刹那的な出来事として受け流しただろうに。それ程までに、知る由も無い他者の意識を私は恐れていた。
はてさて、この“他者意識”はその実、自意識に他ならなかった。存在するかどうか分かりもしない他人の意識――自己が生み出したに過ぎない”他者意識”の正体は、猜疑心に満ち、被害妄想的で、ちくちくと私を刺し責める苛のような、もうひとつの”自己”でしかない。私は”私”とだけ対峙していて、自己完結した世界――究極的自己――の中で、自己の投影としての”他者”と関わっていただけのように感じられてならない……。
そうかと思えば――集会だったか観劇会、講演会だったかの折。私達は銘々が教室から自身の椅子を体育館に持ってゆかねばならなかった。件の催しが終わると、己の椅子を持っていそいそと教室に引き揚げることになっていた。そこそこに重い椅子を携えて体育館を出、館の四方を廻る、回廊をえっちらおっちら列成して進み、教室を目指す。前後が詰まって思う様進めないこの鈍さが余計に椅子の重みを増してゆく。
出席番号が私のひとつ後のKさんは、ひと際小柄な女子生徒だった。集会等の機会に列の前後になり一言二言交わすことがあったにせよ、然程親しい仲ではなかった。彼女もまた、言うまでもなく椅子を運んでいる。彼女の後ろを、私も重く持ち辛い椅子を提げて、時折その縁と脚とが太腿やら脛やらへ当たる痛みに苛立ちを覚えつつ、一歩ずつ歩を進めていた。その時、何を思ったか、私は――。
「重くない? 大丈夫? 椅子持とうか」
と、彼女に訊いたのだった。それも、パッと思いついて即座に声を掛けたにあらず。問うべきか問わざるべきか、こういう場合には気を遣う方が良いのか、気遣っているという姿勢を明示すべきなのか、幾許の間逡巡しつつ。また、そこに「男として」とか「女に対して」などとつまらぬ”性の問題”を持ち込んで。
果たして、私の提案はごく静かに断られたのだった。そうして、上に述べたような自己考察が一瞬にして体躯を駆け巡るや、自分自身に対する嫌悪感から総身は急激に熱を帯びた。掌や腋には厭な汗が俄かに噴き出す。ブレザーの下で、それがワイシャツに滲んでゆくのを覚えると、その不快感に尚汗が追ってくる。
嗚呼、何という気持ち悪さ。深山の岩肌に滲み出す、純粋な一滴の清水の如き優しさすら持ち合わせていない言葉。自己演出や他者評価のみを意識した偽善。しかもそれすらスムーズに遂行出来ず、躊躇を経てやっと成し得る体の無さ。何より、私とて同性の中では小柄で、華奢で、非力なのだ。他人の椅子を合わせて運ぶ程の余裕なんて無い。何故に私はあんなことを言ってみせたのだろう……。
今となってみれば、「女子を労り、気の利く私」像を要求する”私”が、私にそのように言わしめたのだ、と痛感する。宜なるかな、断られることに対する羞恥が私にはあった。しかしながら、諾否に関わらず、”私”にとって重要なのは「(重い)椅子を持とうか」と唯ひと言掛けることだった。そうすれば、気遣いを示すという目的、そして気遣いの出来る自己を提示するという目的は達せられるのだから。彼女はその対象であり、媒介であったのだ。
こういう経験を経てまた、冒頭に述べたような拗らせに繋がってゆく。何でもない行動を取るにも”私”の影が差す。
然るに、ある場面では、他者存在を一向顧みなかったりもする。学生生活に関して屡々話題に上る事象に「便所飯」というのがある。持参した弁当や買って来たパンなどをトイレの個室でひとり食べることを言うらしい。このような行動を取る理由は人により様々だろうが、「ぼっちだと思われたくないから」というものがよく挙げられる。周囲が小グループを作って歓談しつつ食事する中にあっては、ぽつねんと弁当箱に対峙し、只管箸を上げ下ろしして食物を口に運ぶという運動が際立ってしまう、というのには頷ける。
他者を必要以上に意識し、且つ友人の少なかった私はどうだったかと言えば――独り粛々と食事し、およそ10分で終えるとそのまま机に突っ伏してシエスタに突入する日々を送っていた。ひとりで飯を食おうが、それを周囲がどう思おうが微塵も気にならなかったのである。実に、「便所飯」なる行動とその心理を知ったのは高校卒業後のことであって、現役高校生の私は、そんな事をしている人がこの世に存在することすら知らなかった。
あんなに他者の目を気にしていたにもかかわらず、何故ぼっちであることを憚って「便所飯」を喰らうという概念が意識の片隅にも存在しなかったのだろうか。いずれにせよ、ある意味での図太さは持ち合わせていたのだ。ただ、この気にしたり、しなかったりの違いは何に起因するのだろう。
この事もまた、究極的な自意識に関係があろうと思われる。私の中に他者は存在せず、ただ他者の振りをした”私”がいるのみ。落ちた物を拾って渡すことや、重い椅子を代わりに持つなど、具体的な他者と関わる(関わり得る)場面に遭遇すれば、特定の他者の仮面を被った”私”が登場する。そしてある行動を取った場合/取らなかった場合にどのような印象を持たれるのか/持たれないのかを想う。しかし、「ぼっち飯」を貪る私を不特定多数の他者たちがどう思うのか――憐れんだり、蔑んだり、将又何も感じないとか――を俯瞰的に想うには至らない。実体を持たない”私”も、あくまで一個体として措定されるのであって、集合体存在に変化したりは出来ない。超越的視点ないしは衆目的視点から見た自己を想像し得ない。一対一の相対、私と”私”の反目。
斯様に、様々な他者の皮を被った”私”と私から成る独りの世界に私は陥っていた。その深く昏い海の中で踠き、息切れし、溺れていた。独り錯乱し、長息し、沈鬱としていた。
今や、齢三十を目前に控えた私は、神経過敏と自己埋没を脱して他愛の無い世間話も至って普通に行えるようなっている(筈である……)。しかしながら、あの”ナイーヴさ”の喪失と人間関係を人並に熟しつつある自分を思うにつけ、一抹の寂寥感が胸に影を差しもする。大人への道程を辿りつつ、またあの煩悶からの解脱を慶びつつ、青春時代の遠のいてゆくのを惜しんでいる。
(追:”ナイーヴ”と聊か聞こえの良いワードチョイスをしているのは御愛嬌ということで御寛恕賜りたく)