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十牛図#7 「忘牛存人」

十牛図、七枚目の「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」では、牛が消えてしまいました。

牧人は牛を連れてとうとう自分の家に戻ることができました。
牛を小屋に入れて安心した牧人は庵の前でうたた寝してしまいました。
安堵からまどろんでいると、のんびり静かな時間が過ぎて牛は消えていなくなりました。

さて牛がいなくなったとは、どういうことでしょう。
「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」の問いは、まどろんでいるとはなにか?です。今回も一緒に考えましょう。 

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私たちは今、「増やすこと」が当たり前のような生き方をしています。
制限するとは「増やす」ことに制限をかけるものです。

制限することで得られるメリットがあまりにも大きいからです。

前回は「騎牛帰家」をご紹介しました。
今回、牛がいなくなった、まどろんでいるとはなにか?です。

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 帰途の旅を終えて、牛を牛小屋に入れて、安心した牧人はほっとしてうたた寝してしまいました。

気持ちの良い眠りから目覚めると牛は消えていました。
しかし、一番目の尋牛のように逃げたわけではないことを牧人は知っています。

牧人は何をどのように捉えているのでしょうか。
目覚めた眼で、事態を坐禅のように牛と自分を対象に観察しました。

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私たちの本質はなんでしょう。

「もともとのいのち」です。
「もともとのいのち」は生きているだけで、役に立っている「いのち」です。
「もともとのいのち」には、親があり、その先には、また親(祖父母)があり、その先にはまた親がいます。こうして受け継がれているのには「意味」があります。

もともとのいのちは上の図のように、多くの縁によって生起しました、
そこには自分の力はほとんど関係していません。

なかでも驚くべきは2億の精子から選ばれた、たったひとつの精子がただひとつの卵子と結合して、胎内で自分といういのちが誕生したことです。

もっとも優れた遺伝子を残すと言われていますが、実際のところどうか、どういう意思がが働き、そうなるのか、願望なのか事実なのか、よく判りません。宇宙からのメッセージかも知れません。

はっきりしているのは、2億分の1が卵子にたどり着かなかったら、いのちにならなかったことです。

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「忘牛存人」の牧人は、感謝をしているように見えます。
牛と自分が合体したよろこび、感謝を表しているようです。

合体する前の尋牛での牧人は、表層的な偽りの自分です。
牛を追いかけて発見した時、新しい自分を発見したときです。
騎牛帰家で笛を吹きながら、旅を続ける間に、信頼を培いました。

そしてまどろんでいる間に、牛と牧人は合体して、真の自分になりきりました。

このプロセスを支えたのは否定に次ぐ否定です。つまり「自灯明・法灯明」の実践です。

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ビジネス・コンサルタントとして企業にかかわった経験から振り返れば、その大半が慢心に陥って自らの手で栄枯盛衰を実践してしまうことです。

[実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があります。
力がますほど、対象にも、自分にも他人にも、ますます謙虚になることのたとえです。
否定に次ぐ否定が、いのちを極めることになります。

自灯明・法灯明は否定なしに実現できません。

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否定を繰り返すほど、真の自分に入り込むことができます。
次のステージである第八図「人牛倶忘」に進むことができるのです。

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