想像力は原動力
一年遅らせたオリパラ開幕ですね。
何はともあれ招聘したのは日本だから、礼を尽くさねば日本国民の恥です。もっとも俺は招聘した覚えはないという方がいてもおかしくないです。
私も招聘した記憶はありませんが、そこは帰属意識のことですから。
そもそも意識の基準はなんでしょう。
一枚の皿があります。不潔なものをのせていた皿をどんなに洗っても、不潔なものがのっていたという記憶が消せない限り、使おうとはしませんよね、つまり不潔という現実があるわけでなく、不潔と感じる思いがあるということです。きれい、汚いに絶対的な区別があるわけではなく、想像の世界の方が現実を上回っているということです。
過去の過ちだから許してあげたら・・・といっても許せないというのは、想像が勝ってしまうのも同じです。
帰属意識も同じ因果ですね。帰属意識があるのもないのも想像です。
1964年のオリンピックがどうだったのか、
敗戦で散々な目にあった記憶が強く残っていたはずです。テレビもないのに国民全体が盛り上がったイメージがありますが、それは復興という想像が勝っていたからなんでしょうね。
2021年のいま、希望が想像できなくなっているので反対の声が多いのかもしれません。もっとも反対が多いのが本当か嘘か確かめようもありません。
愛するというのも同じ。想像力は原動力です。
想像してもしなくても、どんな想像も、空(くう)の世界を漂っているにすぎないのです。
どうせ、想像の世界に生きているのなら、オリンピックの空に漂う一日があってもいいとも。
今日が皆様にとって素敵な一日でありますように。
Happy Olympic!
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