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十牛図#2 見跡
「十牛図」2枚目の絵は、「見跡(けんせき)」です。
牧人が探し回り、牛の足跡を発見しました。
ようやく手がかりつかんだ状態が描かれています。
牛の足跡とは、追いかける手がかりです。
本当の自分に出会うにはどうしたらいいのでしょう。
本来、人には仏心が備わっています。
しかし育て方の間違いや育った環境の影響で、歪んだ認知、歪んだ価値観を身にまとってしまいます。
これを本当の自分に戻す作業が仏道を歩むことです。
禅は仏道を学ぶためのものであり、生きる悩みや苦しみから解放するものです。
牛の足跡とは、ブッダの教えです。
ブッダの教えを法にして、自分の中にある良い資質の手ががり見つけることに他なりません。
つまり「見跡」を発見するのは道です。
道とは、すでにあるものではなく、万物の礎です。
主体的な最初の道は、自分だけの道です。
もしこの道を行かないのであれば、自分の一生を楽しむことができず、他者の楽しみになってしまうという意味が込められてます。
「自灯明・法灯明」のことです。
「自灯明・法灯明」とは、ブッダの遺言のようなものです。
ブッダが入滅された後、どうしたらいいのかと尋ねた弟子に説かれたことです。「自灯明・法灯明」の意味は、次のような内容です。
ただ誰かから聞いたからといって、それを信じるな。
何代も受け継がれたからといって、その伝統を信じるな。
たくさんの人の間で語られ、噂になったからといって、それを信じるな。
あなたが所属する宗教の聖典に書かれているからといって、それを信じるな。ただ貴方の先生や先輩の権威だからといって、それを信じるな。
しかし、観察と分析を行なった上で道理に合っていて、すべての者の利益になると貴方がわかったならば、それを信じなさい。
法を信じ、自分を信じることは、人生の楽しみであると説かれています。
仏教の本質が哲学であることが理解できる教えです。
因果関係をあらゆる角度から観察・分析することで真理(=法)が自分の内に育ってきます。
真理が自分に宿ったとき、はじめて主体的な自分に出会えます。
はじめて出会う自分とは本当の自分、新しい自分です。愉しむべき自分です。
牛探しの旅は、真実を求める旅で、いまでいう宇宙の旅のようにエキサイトなものです。
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