システム思考:氷山モデル
たとえば習慣を変えたい場合、自身のメンタルの問題にしてしまうのは、安易な解決策ですが、ブッダが煩悩を捨てようと意識すると逆に煩悩に絡め取られると説いたように失敗します。
理由は自分のイヤな部分を取り除きたいと自分の本性を攻撃するからです。
自己否定で自分を変わることは至難の技なのです。
煩悩は良い悪いではなく単純な現象に過ぎません。
「話を聞いていてドキッとしました、反省します」などと聞くことはよくありますが、改善されることはほとんどありません。
これらは全部見えている「できごと」でしかなく、「できごと」の奥にある行動パターンではないからです。
つまり結果→原因の関係にあるわけではないのです。
本人が望んでいるにもかかわらず別の行動を取ってしまう・・・繰り返し起こる行動パターンには、構造があると考えるのが解決の糸口になります。
「氷山モデル」は、できごとの奥に潜む因果律を視覚化したものです。
結果としての「できごと」は、そこにいたる「行動パターン」に起こるものです。
行動パターンは「構造」によって生み出され、そしてその構造は関係する人たちの「メンタル・モデル」によって作られています。
「売上がダウンした」場合、対策として「売上を上げるために何をしたら良いか」と解決策を打とうとします。
この場合の問題は、氷山の水面に見えている部分の「できごと」です。
リアル氷山と同じく見えている部分は氷山のごく一部です。
「できごと」の下の部分にはもっと大きい「行動パターン」があり、さらに大きな「構造」があり、さらに「メンタル・モデル」があります。
つまり下にあるものがその上のものを生み出し、最終的に「できごと」を作り出しているのです。
「できごと」は「構造」に関与した「メンタル・モデル」によって作り出されているのです。
「できごと」しか見ない者は「できごと」への対処療法しかできません。
「行動パターン」を観察する者は予測して計画的に対応することができます。しかし、問題発生の抑止することには策が及びません。
「構造」を観察する者は「行動パターン」を引き起こす「構造」を分析、働きかけることで、問題発生そのものを防止します。
しかし、構造を変えようとしても、抵抗に遭いうまくいくとは限りません。
「メンタルモデル」を観察する者は、自らのメンタル・モデルを変えることで構造に根本的な変化を創造します。
「メンタル・モデル」は認知心理学の概念のひとつで、現実を認知する前提にある思い込みや既成概念を意味しています。
4世紀のインドに興った大乗仏教の分派、瑜伽行唯識学派によって打ち立てたてられた「唯識」で説く「八識」とは顕在意識にある眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識と潜在意識にある「末那識(まなしき)」・「阿頼耶識(あらやしき)」の合計八識のことで「メンタル・モデル」に通じます。
「阿頼耶識」は、通常は意識されることのない識のことで、根本心といい、あらゆる意識の貯蔵庫で、八つの識の最深部に位置します。
「阿頼耶識」の上には「末那識」があり、自我執着心と言われています。
表層心と深層心は、相互に原因と結果の関係にあります。
表層心に怒りを起こせば、それが原因となって深層心にある「阿頼耶識」に結果として種子を植え付けます。
「阿頼耶識」の中に存在していた種子が原因になり、再び表層心に「怒り」を結果として生じます。
また表層心が分け隔てしない心のありようになれば、それが原因となって、「阿頼耶識」の中にある煩悩の種子を駆逐します。
このように「阿頼耶識」と表層心は相互依存の関係で縁起(因果)となるのです。
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