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色即是空 空即是色
「なにかに苦しんでいるなら、その苦しみには必ず原因がある。」
お釈迦様は「生まれる・老いる・病む・死に至る」苦しみの現象は「原因と結果」というご縁(縁起)の関係に生まれ、縁起に人生の「真理(本当のこと)」を見出されました。真理、道理を大切にすれば苦しみは軽減できると説かれました。
仏教とは、たったそれだけのことで現代の心理学・社会学の礎になっており、「四苦八苦」の根本解決をめざしてブッダによって古代インドの東部地域に興った学問です。
ブッダは自身の死後、学びの純粋性が失われることを懸念して、入滅前に「死後はリーダーを立てずに集団運営しなさい」と遺言しています。
出家した者が教義を深めて「自利利他」を貫けば貢献すると考えたのでしょう。
ブッダは書いた物を残していないにもかかわらず、衝撃的であった教えは弟子によって深まり広がりをみせます。
こうなると時間の経過とともに地域は拡大、インド亜大陸の北西部を経て中央アジアや東アジア、さらに東南アジアにも展開、アジア大陸の多くの部分に影響を及ぼします。
仏教の歴史は、数多くの活動や分裂を繰り返し研究が重ねられるにつれ宗派が増え、宗派によって教義もことばも違うので、理解しがたいと感じる人も少なくありません。
初期仏教では、生老病死など全ての苦の原因は自己への執着に伴う煩悩であるという原因と結果の因果律を認識した上で、苦から解放されるには、因果の流れを逆算して自身の「無明(無知)」にたどり着いて、根本原因を絶つこと、つまり、煩悩、更にいえば自己そのものへの執着を絶って涅槃に至るために「八正道」による自力救済が必要であるとしました。
「八正道」とは今風にいうならトレーニングカリキュラムで8行程あります。
ブッダが入滅されると、教義を残そうとしてブッダの教えに反して、分派が進み、上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教に分かれます。
インド大乗仏教の無著・世親の兄弟僧侶(310 - 390年)によって打ち立てられた唯識瑜伽行派は、インド大乗仏教史上、空を説く中観派とともに二大思潮を形成しますが、唐王朝の時代(618年 - 907年)の中国には断片的にしか入ってこず、仏教を学んでいた玄奘三蔵法師は、このままでは理解ができないと自ら仏典を求めてインドに密出国します。
649年、インドより経典600巻分のサンスクリット語の原典とともに帰還した玄奘は、漢語への翻訳に人生を捧げ、唯識を元に法相宗を打ち立てます。日本へは奈良時代に伝来、興福寺、薬師寺に伝わっています。
同じく672年に建立された興福寺に伝わったのが、同じ玄奘の翻訳である、思想の核心というべき「空性」を簡潔した『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう)、略称『般若心経』または『心経』です。『心経』とは大切な教えの意味。般若は(悟りに至る)智慧のことです。
こちらは262文字(玄奘訳はは260文字)となっています。
大乗仏教の特質は、出家によらない救済を肯定している点です。大乗とは船にたとえた表現で、大きな船にはたくさんの人が乗れると言う意味で、出家・在家を問わずに学べば救済できるという考えです。
反して出家主義の上座部仏教のことを小乗仏教としたのは皮肉った表現になっています。両者の顕著な違いは「お布施」の扱いにあります。
ブッダ入滅後のインド地域の経済的事情が様変わりし、組織運営が厳しくなった点があります。
『般若心経』では、ブッダの教えすら部分的に否定し、「自利利他」は「利他自利」に反転します。これも道理ですね。
唯識では、潜在意識の起こる「阿頼耶識縁起」が重要なテーマになっています。阿頼耶識の識は蔵という意味で、根本心が蔵に貯蔵されている意味になります。根本心は縁に起因するもので、主に「愛着」が挙げられます。
「愛着」とは仏教用語では「あいじゃく」といい、欲望にとらわれて離れられないこと。愛執(あいしゅう)のこと。心理学では「あいちゃく」と読み、子どもが特定の他者に対して持つ情愛的な絆のことです。
子どもに限らず犬にも顕著な心理です。
人間に対する基本的信頼感をはぐくみ、その後の心の発達、人間関係に大きく影響します。乳幼児期に愛着に基づいた人間関係が存在することが、その後の子どもの社会性の発達は重要な役割を持ちます。
愛着の未熟が縁になり、具体的な事象が生起し、混迷を深めるというようなことが起こります。
繊細な人が、大雑把な社会生活で傷つき苦労するようなことが随所で起こるのはその一例です。
三島由紀夫が絶賛した古い任侠映画「総長賭博」という作品があります。ギリシャ悲劇のような展開で、登場人物たちが、相手に深い親愛の情を持てば持つほど不幸の連鎖が深まっていく不条理は悲劇としか言いようのないものです。
仏教では、対策は「空(くう)」としました。
空とは難易度の高い概念で、「実体は実在しない」としたのです。
般若心経では「色即是空」と説いている根本教理で「色即是空 空即是色」という風にフレーズが続きます。
つまり「この世のものすべてには実体がなく、同時に、その実体のないものが縁によって、私たちの目に見える存在になっている」という意味です。
因と縁によって存在しているにすぎず本質はゼロ(空)だと説いています。
すべては移り変わる「諸行無常」と同じく、色は刻々と変化します。そこに存在があるように見えても、次ぎの瞬間には変わってしまう存在であるからこそ、空(くう)であるとしたのです。
その空もさまざまな縁によって存在が見えるのだから、いちいち判断せずに大切に毎日を過ごしましょういう教えです。
絶世の美女、エリザベス・テーラーの映画を初めてみました。1956年にアメリカで製作された映画「ジャイアンツ」。執筆に12年かけた原作を3時間半に及ぶ大河ドラマに収めた作品。保守的なテキサスを舞台に、女性の自立や人種問題、親子の価値観の違い、富の張り合いの愚かさ、今日も続く問題をしっかり描いて長いと感じさせません。音楽の使い方も効果的。
ラスト、立ち寄った白人のテキサス男が経営するレストランで、経営者がメキシコ人を差別して追い出そうとする場面に遭遇し、意見をしたことから両者は殴り合いのけんかとなります。大男同士の激しい殴り合いの結果、主人公は打ちのめされてしまう。
家で妻の膝枕でふたりの人生を振り返りながら、自分は何も思い道通りにならなかったと独白します。
妻は「私もあなたも人生の敗北者だと思っていたが、レストランで床に散乱しているサラダの上に打ちのめされたあなたを見てほこらしいと思った」と語りはじめます。
「汚れた皿に倒れいているあなたを見て、私の本当の英雄になった、100年の長い歳月を経て三代続く我が家は真の成功を知った」と目を輝かせて話します。二人の会話を見つめている白人の孫とメキシコ女性の混血の孫。
真の成功とは、「色即是空 空即是色」だと悟ったことに他ならないでしょう。
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