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釈迦の仏教・四法印「涅槃寂静」

釈迦の仏教は長い年月を経て、大乗仏教になり変容してしまい、涅槃に到達する悟りの方法は置き去りになり、バラモン教から聖典カースト制度を引き継いだヒンドゥー教と似たような教えになり吸収されます。現在発祥の地であるインドでは640万人(インド国勢調査、 2001年、人口比0,8%)が仏教徒です。 インド人口の8割以上はヒンドゥー教徒です。四法印は数少ない仏教徒にとってアイデンティティーを守る教えといえます。


釈迦の仏教

東大寺

華厳宗・東大寺の大仏さまは、正式には毘盧遮那(びるしゃな/ヴァイローチャナ)仏と言い、その意味は、知慧と慈悲の光明を遍く照し出されている宇宙仏です。真言宗では大日如来、天台宗では法身仏、華厳宗では報身仏をさします。聖武天皇は国難から日本を守るために、釈迦を光輝く太陽の象徴として巨大な毘盧遮那仏を建立されたのです。

インドのカピラ城に誕生したお釈迦様は29歳のときに出家され、以後6年間難行苦行を重ね、ついに尼連禅河(にれんぜんが)のほとりの菩提樹下で大いなる体験を得られます。
大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)』は時間と空間を超えた仏となられたその瞬間の釈尊のお姿を描いたお経で、宇宙の真理、宇宙そのものであられる広大な仏の世界は、宇宙仏からのメッセージです。人間の姿をした「釈迦」というブッダは宇宙仏のメッセンジャーなのです。

奈良六宗

釈迦の仏教は時を経て大乗仏教に変わります。六世紀半ばに大乗仏教が日本に伝わると、奈良時代には鎮護国家として奈良六宗が学派仏教として定着します。奈良六宗とは、奈良平城宮に誕生した三論宗(さんろんしゅう、中論十二門論百論) - 華厳宗真言宗に影響を与えました。

奈良六宗では、「どうすれば、悟りに到達できるか、涅槃に到達できるか」といったことは求められていませんでした。これはやがて最澄などが指摘することになります。

四法印・涅槃寂静

心の平和「涅槃寂静」

子育て、親の育てなおしの柱となる、もっとも古くて、もっとも新しい法印です。「諸行無常」「諸法無我」・・・に続く第四の法印が「涅槃寂静」です。
「涅槃寂静」とは、煩悩(ぼんのう)をなくして、悟りの境地に到達すること釈迦の教えを大乗仏教唯識派が説いた言葉で、大乗仏教部派によって涅槃滅涅槃実法印などと呼ばれています。

「涅槃」は、梵語(ぼんご)のニルヴァーナの音訳で、あらゆる煩悩や苦しみから逃れた安らぎの境地のこと。なんだかすごく難しそうですが、実はとってもシンプルだけど、絶対忘れてはいけない宝物のはなしです。

「涅槃寂静」とは、すべての存在が静かで穏やかな状態であることを表しています。
涅槃寂静に到達するためには、悟りの境地に達するために、心を穏やかに保ち、深い静けさの中で自己を見つめ、心の中の障壁を取り除くことが大切だと説かれています。
涅槃寂静は、心の平和を求めことをめざした究極の境地とされています。


昔、唐の僧侶、玄奘三蔵法師は、国の法律を無視して死刑覚悟さらに命がけの道中ででインドまで宝物を求めて旅しました。日本でも道昭、最澄、空海も命がけで海を渡り、宝物を探しに行きました。その宝物とは「お経」です。お経には、国を治めるための思想となる哲学、個人がよりよく生きる指南書が書かれていました。

法印は、他の哲学や思想を明確に区別する言うなればお釈迦様「公認」を表す印です。つまり考えに考え抜かれたすべてのひとにとって「これしかない」と言い切れる教えです。

生きることは一切皆苦。お釈迦様は一切皆苦を跳ね返してエンドレスにワンダフルな生き方を法印として提示なさいました。2500年前のことです。

そのひとつが「涅槃寂静」で、諸行無常諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたになります。

たとえば諸法無我についてほとんど誤解されています。諸法無我は、あなたの無意識に、自分の顕在意識を合わせることです。しかし現実は無意識は他者に乗っ取られて支配され続けています。その自覚さえ危険な状態です。四法印は戦うあなたの旗印なのです。

事実を自覚したら無常・無我から離れることができるので、雑念から遠のき、「マインドフルネス」になれます。なのでマンダラチャートで実践するようにしてください。実践できない場合には諸行無常諸法無我の自覚について認識の程度を図ってください。

煩悩に打ち勝つ

六大煩悩

「涅槃寂静」へのプロセスを邪魔しているのが、煩悩です。

煩悩には6大煩悩と呼ばれている貪 とん (むさぼり)瞋 じん (怒り)・ 痴 ち (ものの道理がわからないこと)慢 まん (自らを高くみるおごり)疑 ぎ (仏教の真理を疑うこと)
があり六大煩悩を根本煩悩といい、中でも貪・瞋・痴・慢・悪見を根本苦から生じる4大苦といいます。

さらに4大苦のなかでも、貪欲(どんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)を含む、仏教において克服すべきとされる代表的な煩悩の異名で、三毒と言います。

貪欲とは“むさぼり”、瞋恚とは“いかり”、愚痴とは“おろかさ”であり、それぞれを象徴する動物として、鶏、蛇、豚が描かれてきた。三毒ともいう。

涅槃寂静への邪魔をするこれた執着心に囚われない生活をするのが「修行」なのです。

貪 とん (むさぼり)・ 瞋 じん (怒り)・ 痴 ち (ものの道理がわからないこと)・ 慢 まん (自らを高くみるおごり)・ 疑 ぎ (仏教の真理を疑うこと)・ 見 けん (邪悪で誤った見解)があり、通俗的には、とりわけ「物欲」および「性欲」を指す意味で用いられることが多い。煩悩に打ち勝つには忘れるのが早道ですが執着してしまいます。

四法印プロジェクト

私たちは新たな国難とも言える少子化の現代の渦中にいます。これは男性が煩悩に支配され家庭を共有していないことが原因です。家事を女性任せにせずに積極的に主体的に労力を惜しまず投入することで事態は好転します。諸法無我、諸行無常、一切皆苦の先に涅槃寂静を迎えることができるのではありませんか?暮らし方を変えてみるご提案です。







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