星とたんぽぽ
青いお空の底ふかく
海の小石のそのように
夜がくるまで沈んでる
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれども あるんだよ
見えぬものでも あるんだよ。
散ってすがれた たんぽぽの
瓦のすきに、だァまって
春の来るまで かくれてる
つよいその根は眼にみえぬ
見えぬけれども あるんだよ
見えぬものでも あるんだよ。
十二縁起(十二因縁)は、「諸法実相」をより理解させるために説かれました。
諸法実相は仏教の真理を指す言葉の一つです。
大乗仏教の根本思想で、すべての存在のありのままの真実の姿のことです。
私達は、本当のすがた(実相)を見ないで暮らしています。 言葉によって作られた先入観、思い込みに惑わされているからです。 ものの本当のすがた(実相)、あるがままのすがたというのは、私達には、なかなか見えないのです。本当に見ることができるのは、智慧をそなえた御仏であるといわれます。 御仏というのは悟った人のことです。
それでは、大事な秘密を教えてあげよう。
とても簡単なことさ。
それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。
大切なことは、目に見えないからね
いつも『我癡・我見・我慢・我愛・我欲』という色めがねをかけて物事を見て、目先の分別で区別、比較して、喜怒哀楽のとりことなって、目を曇らせて見ているので大切なことが見えないのです。 喜怒哀楽のとりこになるのが大人ではありません。
大人とは星の王子さまのような人だと思います。
どうして星の王子さまのようになれないのか、無明(無知)だからです。
十二縁起は、その因果を整理します。
それを念頭に十二縁起を見ていくと、格別の楽しさがあります。
十二縁起には、
人間の肉体を中心とした外縁起による十二縁起(じゅうにえんぎ)と、
人間の精神を中心とした内縁起による十二縁起(じゅうにえんぎ)
があります。
1.無明(むみょう)というのは、現代でも「その方面に明るくありません」と言うように、「無知(むち)」ということです。つまり無知なる魂(たましい)という意味です。
2.『行(ぎょう)=行為』
無知なる魂は、両親(夫婦)の2.『行(ぎょう)=行為』によって母親の胎内に3.『識(しき)』が宿ります。
3.『識(しき)』
「識」とは知識の識で『生物の特性を備えたもの』という意味で人間のことです。
4.『名色(みょうしき)』
まだ人間の形になっていない不完全な識(しき)がだんだん形を整えてくると、4.『名色(みょうしき)』になります。
名(みょう)とは無形のもので、精神や心の状態をあらわし、色(しき)はその逆の形あるもの、つまり肉体を指します。
名色(みょうしき)というのは、魂(たましい)が入った人間の心身ということです。
5.『六処(ろくしょ)』
名色(みょうしき)が発達すると六入(ろくにゅう)、つまり5.『六処(ろくしょ)』と呼ばれる、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜっ)、身(しん)、意(に)、すなわち六根(ろっこん)が調ったという意味です。つまり人間として、この世に誕生する意味です。
五感(ごかん)と心、唯識論で言ういわゆる六識が発達してくると、視覚(しかく)、聴覚(ちょうかく)、臭覚(しゅうかく)、味覚(みかく)、触覚(しょっかく)などをはっきり感じられるようになります。
6.『触(そく)
このように、『身体と心=名色(みょうしき)と六処(ろくしょ)』が互いに影響(えいきょう)しあった状態で感覚器官が発達した状態を6.『触(そく)』といいます。
7.『受(じゅ)』
触(そく)の感覚器官が発達してくると、感受性が強くなってきて、好き嫌いの感情がでてきます。この状態を7.『受(じゅ)』と言います。人間の年頃で言えば、六、七歳を指します。
8.『愛(あい)』
さらに成長すると、8.『愛(あい)』が生じます。
愛にはいろいろな意味がありますが、外縁起(がいえんぎ)での愛は主に異性に対する愛情です。
9.『取(しゅ)』
異性への愛情が芽生えてくると、相手を征服して自分のものにしたいという所有欲、独占欲がでてきます。それを9.『取(しゅ)』と言います。
10.『有(う)』
また、逆に自分の嫌いなものから、離れようとしたり、嫌ったりします。
このように分ける感情が出てくることを10.『有(う)』といいます。
10.『有(う)』のレベルまでくると、生きる葛藤、苦しみがいろいろな形で表れてきます。
11.『生(しょう)』
このように、さまざまな苦楽の意識と行為を業として魂に記憶し、このような意識で人生を過ごすことを、11.『生(しょう)』といいます。
『生(しょう)』は本人だけでなく、子々孫々の『生』にも影響を与えます。
この状態が、一般社団法人いきいきゴエス協会のメインテーマ「人生はエンドレスにワンダフル」の裏現象です。
12.『老死(ろうし)』
仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負の循環を継続してしまうのです。
そして、それは一生続いて、最後に老いて死を迎える12.『老死(ろうし)』に至るのです。
十二縁起の仕組みで自己執着心が生まれてしまいます。
以上が、
人間の肉体を中心とした外縁起による十二縁起(じゅうにえんぎ)です。
無明(無知)ゆえの煩悩を焼き尽くし、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観といいます。
順観と逆観の両方を行って、人間のありように関する因果の道理を明らかにした結果、因果の道理に対する無知が苦悩の原因であったと悟ることで、十二縁起の輪廻、つまり阿頼耶識縁起から解放されます。
見えぬけれども あるんだよ
見えぬものでも あるんだよ。
大事なものが見えるようになるんだよ。