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不可能は通過点
ミスター・ジャイアンツ。ミスター。長嶋茂雄さんが聖火ランナーしたかっただろうなと、何度も思ったことがあります。毎朝走っていたと聞いていたし。脳梗塞の後遺がキツイので無理だと思っていたら、やってくれましたね。
盟友のホームランキング王貞治さんと愛弟子の松井秀喜さんにエスコートされて嬉しそうで、良かった良かった。松井さんは緊張しっぱなしの大役でしたね。
長嶋さんは天衣無縫なキャラで勝負強さがカッコ良くて絶大な人気を博したレジェンド。そんな人でも思い通りにならないのが世の中です。
パーキンソン病と戦い続けた無敵のボクサー、モハメド・アリも震える手で聖火ランナーの大役を果たした歴史があります。
「不可能」とは、
自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
「不可能」とは、事実ですらなく単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決めつけられることではない。
「不可能」とは、可能性だ。「不可能」とは、通過点だ。
「不可能」なんて、ありえない
両者に共通しているのは、人に晒したくない姿を気にせずに、ありのままに、やりたいことに突進していく姿です。
原始仏教が根本分裂後、大乗仏教中観派の言葉に「無行(むぎょう)」という言葉があります。自分の期待通りに全員が行動できることはあり得ないという意味です。
だから限られた条件で悩まずに、周囲の目を気にせずに、縁があったらありがたいと思って、あるがままに喜んで行動すれば良いという教えです。
無行の無とは、ないという意味ではなく、「思うようにはいかない」という意味。恋人であれ、子供であれ、自分ですら思うように動かせません。
諸行無常、考えすぎて悩むより、人生の川幅は大河のごとく、ゆったりと大海原へ。
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