失踪した話
小学校6年生の頃、総合の授業というのがありました。
確か、調べたいテーマをいくつかある中から選んで そのグループでテーマについて調べたりして、模造紙に書いて最後の授業に皆の前で発表する。という授業だった。
担任が、皆に希望をきき、メモしていく。
私も興味のある知りたいテーマに手を挙げた。
すると、あとで
友人から「なんであれに手を挙げたの?……言ったじゃん!◯◯にしようねって!」と言われた。
あれ、そうだったっけ……(そだったかもしれない。私は昔から忘れやすい所がある。)
それから、
その授業がくると、友人に引っ張られ、
トイレに隠れにいった。
いま思うと何やってたんだろうという感じである。
ある日、クラスメイトが探しに来たことがある。
名前を呼ばれたが、黙ってその子が去るのを待った。
なぜ、友人のいいなりになって逃げて隠れてとしていたのかと言うと、
友人に蹴られるのが怖かったから。
何か私に気に食わないことがあったり、断わったりすると トイレに引きづりこんで何度も蹴ってくる子だった。
「教室へ戻ろうよ」「こんなこと、やめようよ」と言ったら、また蹴られるんじゃないかと思ったのである。
だから、その子のいいなりになった。
そんなことを、毎時間繰り返していたのに、
クラスの子たちは特に何も言ってこなかったし、担任も知らんぷりだった。
そして、いよいよ 発表の日になった。
いつも通り、トイレへ言って隠れんぼ。
トイレから出て、どこかへ行ったような……でも思い出せない……。
授業の終わりを告げるベルが鳴ったが、私たちは教室へは戻らなかった。
「やばい」友人がそう言った。
だけど、今頃帰りの会をやっているだろう。とても戻る勇気が持てなかった。
恥ずかしがり屋の友人は逃げることしか選択肢にないようだった。
私たちは、どうしたのかというと
校内にずっと隠れ続けた。
校内放送で、名前が呼ばれた。教室へもどりなさいという内容だった。
でも戻らなかった。
「あ!いた!いました!」クラスメイトの男子に見つかったのは、視聴覚室に身を潜めていた時。
放課後、クラスメイトが私たちを探し回ってくれたらしい。
のこのこと、視聴覚室から出て「きなさい」と放送室へ促され行った。
「どうして、◯◯(友人)についてったの?」
わたしは泣きながら、「可哀想だと思ったからです。」と言った。
とても友人の前で、蹴られるのが怖かったからとは言えなかった。
私は泣くことしか出来なかった。
友人は冷めた目で話を聞いていた。
放送室の出入口に、K先生が立っていた。
私が部屋を出る時にすれ違った。とても とても 悲しそうな目をしていた。今でもよく覚えている。
その時に、あ、とても申し訳ないことをしてしまったなと痛感した。
K先生は、2年生から4年生までの担任の先生だった。友達が出来ない私にいつも良くしてくれた。可愛がってくれた。
母とも私のことを心配して話していた様だった。
家に帰り、担任から電話で母に何があったのか説明があったようだ。
私は和室に閉じ込められた。
ここで、反省してなさいというように。
『あ、だれもわかってくれないんだな。』
そう思った。
私は小学校1年生の時に、『母には相談しない!』と決めていた。
虐められた話を母にしたら、『早く帰ってくればいいのに!』と言われたからである。
その他にも理由は十分にあった。人格や行動を否定されたり両親の不仲も苦しかった。
『大人は信用出来ない』
『助けてくれない』
そう思った。そう確信した。
ああ、やっぱりそうなんだ。
そして、
『やっぱり私は失敗作なんだ』と確信した。
生まれて来なければよかった。
なんで産まれてきたんだ。
そんなことを毎日思う日常に疲れてきた。
悲しくなってきた。
いつまで私はひとりなの?
でもいつまでもしゅんとしてたら、それをまた母に『いつまでいじけてるの?!?』とか嫌な顔されそうだ。
それが嫌で、心を麻痺させた。
自分の本当の気持ちがわからなくなった。
わからないまま、ただ生きていた。
そんな小学校6年生でした。