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夢は三拠点。何となくでも、言い始めると動き出す


30歳になって、ブログを始めた時、どこかの有名ブロガー?の記事に自己紹介文に「夢を書きなさい」と書いてあった。

私は、その時、「幸せに働ける人と地域を作る」というライフミッションも書きながら、このド真面目な言葉以外にも、私らしい楽しい夢がほしいなと思いたち「夢は三拠点居住」という言葉を、なんとなく書いてみた

それから2年たち、この言葉は、本当に私の夢になり始めた。

もう、ひとつの拠点でマイホームを持って生活している自分が想像できなくなった。

私がイメージしている、三拠点は、

愛する家族や仲間がいる関東。
自分のルーツがあるふるさと富山。
そして、当たり前なんかないことを教えてくれる海外。

その3拠点で仲間や仕事やを持ちながら、暮らしていくのが楽しそうだと、何となく言った『夢は三拠点』という言葉は、2年かけて発酵食品のように熟成されて、確信めいた目標に変わっていった。


三拠点居住は決して新しいことではない

しかし、この『三拠点居住』という言葉は、決して私の発明でもなんでもない。さらに海外では決して目新しい新しいことではないと思う。

例えば、北欧ではビジネス拠点となる大都市に住みながらも、故郷にセカンドハウスを持っている人が一定層いる。そして1年に一回、ふるさともしくは、別の海外に1〜2ヶ月のロングステイをしている話を留学時代の友人たちから聞いたりする。

実際に、私が去年訪れた美食の街スペインのサン・セバスティアンでも、有名な三ツ星レストランの多くは一年のうち一定期間を閉店させている。数ヶ月の休暇があることで、シェフたちか新メニュー開発のために世界中を旅することや、故郷に帰りゆっくり休むこと、そして、農家に弟子入りして野菜の収穫を土作りから体験することができるという。そうして、来年も、新しい物を生み出すための経験や知識を広げるのだと。

『新しいものを生み出そうとする時、いつも同じ場所で頭を絞るよりも、旅をしながら頭を深呼吸させることが大切だ。』と、とあるシェフが私に問いてくれたことがある。(スペイン人らしくウィンク付きで)

(サン・セバスティアンのバルが数百件ならぶ旧市街地)


高度経済成長期の日本もそうだった!?

3つの拠点で暮らすという生き方は決して、遠い海外の話だけではなかったと。例えば、身近なところでいうと、私の祖父。

高度経済成長期真っ盛りの中、今年88歳を迎える私の祖父は、当時、富山の田舎で、複数の拠点をベースに仕事をしていた。

(ふるさと富山の田んぼ:新米を植えた記念の一枚)

一つ目は、農家の仕事

苗作りと田植えがある3〜5月。稲刈りと出荷作業がある9〜10月が繁忙期。それ以外にも害虫駆除や神社の掃除、草刈りなどがあるが、家族や親戚を総動員して働く肉体労働が中心。

2つ目は、旅行代理店の経営
農業の閑散期を狙って、年間スケジュールを調整しなが、祖父は、田植えが終わった村人たちを、ハワイやロンドン、パリや、シンガポールに連れて行く旅行代理店業を営んでいた。

3つ目は、バスの運転手やもろもろ
近隣都市の金沢や富山、そして東京の仕事をしながら、事業に投資できるお金をコツコツと集めていた。

(覚えていない近所のお祭り:世界を旅する祖父と祖母)

祖父は忙しかった。
小さい頃、私は祖父に遊んでもらった記憶もあるが、それ以上に、日本や世界を駆け巡り働いている背中のほうが記憶に残っている。

私たちが生まれたのは、富山の中でも最も小さな村の一つ。電車も1時間に一本しなく、新幹線も通っていない。周りを見渡せば人の数よりイノシシの数が多いようなど田舎だった。

しかも、当時はネットもスマホもない時代。それにも関わらず、祖父は、大きな手帳を抱えながら、田植えなどの地域の仕事もこなしつつ、東京や金沢の大都市圏のビジネスについても実践しながら学び、海外とのつながりで仕事をしていた。

そんな祖父と祖母の時代をふりかえりながらも、高度経済成長期と同じく、変化が激しい今の時代においても、地域、海外、関東と、3つを拠点に仕事をすることは、最も地に足がついた考え方なのかもしれないと思えてくる。

実際に88歳と、86歳になる祖父母は、今でも父母と農業を続けている。「人生100年働き続ける人生」とメディアが言う言葉を、人生かけて実践している生き方は、本当にかっこいい。身内びいきと言われるかもしれないが、私は心から誇らしいと思い彼らを尊敬している。

私の両親は生涯ひとつの会社で勤め上げたけど、ひと世代上を見ると、日本にも、今の時代に言われている”複数の名刺を持つ生き方”あったことを教えてくれる。

(弟の結婚式:祖父の口癖は”おばぁちゃんなしで生きていけない”ということ)

これからの時代の三拠点はどうすればいいのか?

そんな問に対して、今の私は答えを持っていない。全くのノープランである。ノープラン!

しかし、2年かけて地域の仕事の見つけ方は、私の中で何となく見えてきたので、海外での仕事の見つけ方も同じだったりするのかとぼんやりイメージしている。だから、なんとかなる気だけはしている。


■三拠点のスケジュールについて
今は富山と東京の2拠点生活(仕事ボリューム=富山:東京= 1 : 4 )でいるが、今後は、富山、東京、海外が年間通じて 1 : 3 : 1 ぐらいにしていこうかなとイメージしている。1年で2ヶ月が富山、8ヶ月が東京、2ヶ月が海外みたいな割合。

■費用について
富山と東京の2拠点でも、交通費が年間20~30万ぐらいかかるのだけど、海外を考えると1年に2回いくとしても、家族で60〜100万ぐらいかかるのかなと思っている。私は外食も買い物もあまりしないので、このために貯金もできるのではと考えているけど、継続するためには、コストをかけ続けるのではなく、価値を生む事業にすることが出来たらいいなと思ったりもしている。(これは要検証)

あと、本当は自分たちが住んでいない間、東京の家を貸せたら、その費用を当てられるのにと思うけど、民泊条例が厳しいエリアに住んでいることもあり、この経験ができるのはもう少の未来かなと


もっと自由に暮らせる世界へ

「夢は三拠点居住です」と伝えると、少し年配の方には、『いい歳で、そんな夢みたいなことを行ってないで落ち着きなさい』と言われ続けてきた。

同世代の母親である友達には、『いいね〜でも、お金もかかるし、あと子供が出来たら無理だよね〜』と言われたこともある。

ふむ、ふむ、そうか、やっぱり難しいんだな〜とその言葉を受け取る一方で、少し時間が立つと、検証好きな性分がにょきにょきと顔を出し、みんなが出来ないと思っているのは、やったことがないからだ。やってみると意外とできるのではないかな。そんな想いが積み重なり、最終的には『やってみたい〜!』という想いが勝っていく。

仲間の協力や理解は、たいせつ

『私ね、三拠点居住したいの!』

結婚前から、そんなことを行っていた私を、旦那様は半ば諦めながらも応援してくれる。

今すぐには無理だけど、いつかは、大切な家族も、地域の仲間も応援してくれるかたちで、夢を叶えられたらいいなと思う。

富山での仕事も、実際に仕事になるまで二年ぐらいかかった。やりたい仕事はすぐにはかなわないけど、言い続けると実現していく、そんなことを、過去に合ってきた地域のフリーランスの方々が教えてくれた。

自分らしい働き方、生き方は作れる時代。

相談相手は大先輩の祖父母

今年の夏から2024年ぐらいまでにとゴールを意識しながら、三拠点での生活に向けて少しずつ準備できればいいなと思う。noteでもその中でも気づきを書いていけたらなと思うが、まずは、その日までの旅路を楽しんで行こうと思う。

(旅行時代を思い出し、写ルンですを大量に購入し、結婚式に挑む祖父)

※noteに書くことをTwitterでつぶやいています


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