戦争のことを直接聞ける最後の世代
こんにちは。ゼロです。医療法人で働いています。
自己紹介やプロフィールは別のところにまとめています。
毎年8月に色々戦争関連の話をしたりするのだけど
ちょっと早めに。
戦争を美化する気は一切ない。
高齢者に敬意をはらいたい。
8月になるとテレビで戦争映画やドキュメントをやっている。思い出に残ってるのはコレ
数年前に見ました。
高齢者からきいた戦争の話。
ラバウルは第2の故郷だよ。
えっ!?ラバウルにいたことあるのですか?
あの映画のようにあの基地で戦ってた。
何人も死んだ。何人も。。。した。あの部隊のようになる前に日本に帰ってきた。
違う方の話。
ワシは潜水艦に乗ってた。
伊型潜水艦に乗ってたことがあったらしい。
ある段階で降ろされたからまだ生きている。
サイパンで撃墜された
また、戦闘機に載っていた方も知ってる。
サイパン近くで撃墜された。不時着してかろうじて生きていた。だから日本に撤退した。
共通していたことは、戦争の早い段階(1942年)で日本に帰ってきたということ。
戦況が悪化する前は日本軍も撤退していたらしい。
ワシらのあと(かわりに)戦地に向かった若者は戻ってこれなかった。特攻や玉砕、撤退することすらできなかった。
自分は日本にもどった。
その心境がいかほどのものか想像すらできない。
アメリカ軍は捕虜を大事にしてくれた。あの態度を見たときこれは日本は勝てないと思った。
空を飛ぶB29。その大きさを見たとき、日本は絶対勝てないと思ったと絶望した。
涙すらでない。
映画の「さらばラバウル」で涙する私。
実体験の話は受け止められなかった。
今は亡き父親の兄がフィリピンで戦死したことを思い出した。たったいままで忘れていた。
戦争が終わって75年が経つ。
当時、実際に戦っていた方々(当時18~25才)は今93~100才ぐらいだ。
ここ数年で直接戦争(兵士として)を経験した方の話をきくことはできなくなるだろう。
へいわってすてきだね
私の娘が老人ホームで、へいわってすてきだね。を朗読したことがある。その時、戦争の話を聞かせてもらった。
へいわってすてきだね。そう言いたかったのは、戦争を経験しているあの方々かもしれない。
敬意を忘れてはいけない。
おじいちゃん、おばあちゃん。
素晴らしい人生を歩んできた大先輩。
今の小学生。直接、話を聞ける最後の世代。
戦争は二度と起こしてはいけない。
あの友人たちのためにも。
ぼくたちはここにいる。
※さらばラバウル
主演の池部良さんがめちゃくちゃ格好いい。
実際の戦争を経験した(戦った)池部さんが1954年に戦争映画を演じた心境はどうだったのだろう。迫真の演技とか鬼気迫るとか言葉では表せない何かを感じた。CGなどない時代、特撮や映像の技術は現在とは比べものにならない。
ただ、本当に戦争で戦って生き残った俳優さんたちの演技は、戦場で失った仲間たちの思いや記憶、願いがみえるようで怖い。
戦争よりも人間ドラマが色濃く描かれている。
戦争で戦ってたのは人だから現実はもっともっとドラマだったんじゃないかと思う。
現在の日本では当たり前のことができる。ほんの少し前の日本(世界)では、当たり前のことが奪われた時代があった。
たった3世代前のこと。75年前。
感謝しようとか、あらためて話をきこうとか
そんな軽いことじゃない。
第二次世界大戦の日本の戦死者数(軍人・民間人)は310万人とも言われている。ただの数字じゃない。一人一人全員に日常があり家族がいた。
そんな日常の話、家族の話、その時の話を直接聞ける最後の世代。
もし、近くにおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんがいて戦争の話をしたことがないなら、聞いてみてください。※話したくない。思い出したくない。ことへの配慮は忘れずに。
子どものころ聞いた昔話は、ファンタジーのようだった。
大人になったいま、機会があれば
今日もハッピーな一日を
先輩たちがいるから私たちがいる
がんばろうね
ではね。
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