父は大腸癌、母は認知症 溢れる涙〜自宅での看取り 第3章
父の病気
4月になり父は腹部の不快感を感じ
かかりつけの内科を受診しました
エコーを撮ったりして検査した後
あまり良くない影がある!との診断をいただき
総合病院での受診を勧められました
此の時点で、私の有給は母の認知症の対応などで
すでにそこを突いていました
父の病気の心配もさることながら
「えっ? 私が連れて行くの?」そんな思いが先走り困惑しました
そんな私を見て夫も「協力するから」と言ってくれましたが
父としては、私に頼みたかったようで・・・
そうは言っても、私一人ではもう無理 私は途方にくれていました
そんな時、私のことを心配してくれたのは長男でした
長男は、祖父である私の父とも仲が良く、時間があれば2人で良く公衆浴場に出かけていました
長男が「病院連れて行くから」と言ってくれた時は、ありがたく
涙が溢れました その言葉に甘えることにしました
そして、何度が病院に足を運び
通院〜検査が終了し検査結果が明らかになりました
父の病気の病名は「大腸癌」でした
予期せぬ診断に唖然としましたが、高齢でもあり納得できるところはあり
今後の治療に関しては本人に任せることとしました
「大腸癌」は現在では完治しない病気ではありません
腹腔鏡手術
主治医の医師からも「大腸癌ですがまだ初期状態です。腹腔鏡手術によって完治は可能です。2週間程度で、以前の生活に戻ることは可能です。」との説明を受けました。
消化器外科の主任クラスの若き女性医師は、選択肢は「手術することが回復への最先端」として、他の選択肢を与えませんでした
本人も手術を希望したので意志を尊重し腹腔鏡手術をすることを家族で決めました
認知症の母にも、その状況は伝えました
どこまで理解してもらえたかは分かりません
父が入院することで
母のデイサービスは毎日行くようになる
デイサービスから帰ってきても父はいない
ことを伝えました そういう話は割と理解できるようで
「私は何もできないから父のこと頼むね」という言葉が却ってきました
準備が整い父は入院しました 父は至って元気でした
入院に必要なものを持って行くと、ベッドの上で新聞を広げ老眼鏡をかけ記事を読む姿がありました
病室の仲間とも和気あいあいで その時点で
手術は簡単に終わり すぐに退院できるものと信じていました
そして 大腸癌の「腹腔鏡手術」が始まりました
私はひとり 8時間 近親者代表として病院で待機しました
そして、手術は無事に終了した!と女性医師からの説明がありました
私は、急いで帰宅し、母の世話、夫の食事の支度に追われました
翌日からは、母をデイサービスに送り出し、仕事に出かけ、仕事が終わったら父の病院に行き、帰宅して母と夫の食事の支度、母の世話、母のデイサービスの準備、に明け暮れる日々が続きました
そんな日々を過ごす中、ある日父の病院に寄ってから帰宅すると
母の様子がおかしい
母が、玄関先で蹲っていました
いつもならデイサービスから帰宅すると、自分の部屋に行きのんびりしている時間帯なのに・・・・嫌な予感がしました
母は「腰が痛くて動けなくなった」と言います
とりあえず家の中に運びました
夫が帰宅次第、母の部屋を私たちの家に作りそこに寝かせました
あとで分かったのですが、母は軽い心不全のような発作を起こし、認知症であったため、その状況にも気がつかず、私が気がついたときには発作も治っていたようです
その日は、空いている部屋にベッドを運び母を寝かせました
翌朝、私は異臭に気がつき目が覚めました
母の部屋を覗くと・・・・母は夜中 動けなくなりトイレにも行けず
困っていたようです 気がつかず申し訳なかったと思いました
部屋は悲惨な状況になっていました
私は、初めてのことで どうしたらいいかわからず、とりあえず
ケアマネさんに電話して、今日はデイサービスに行けません!と連絡しました。するとケアマネさんが心配してくれ、すぐに様子を見に来てくれました。
夫も仕事に出かけ ひとり途方に暮れ どうしたらいいかわからず
涙が出るほど有り難かった 動けなくなった母をどう扱っていいのか?まったくわからなかったからです
そして、ケアマネさんは、応急処置をしてくれ、病院に付き添ってくれ
しばらく動けるようになるまで、母を施設で預かってくれると言ってくれました
デイサービスに通っていて良かった!とつくづく感じました
母を預けてすぐに、私は仕事に行くことができました
母は、1週間 施設で生活したあと日常生活ができるようになり無事に自宅に戻ってきました
とりあえず安心しました
父の手術 母の体調不良 重なる時はそんなもんで
苦しい日々が続きました それでも私は毎日仕事に行き 用事がある日は有給を使い 心の休まる時間のないまま 時が流れました
退院するはずの父が
父の手術から2週間が過ぎ そろそろ退院できるかと思っていたところ
父の病状に異変が起こります
その後父は3ヶ月入院することになります・・・いよいよ闘病生活の始まり
続きは第4章で