見出し画像

きちんと整った美しい職場•集団が肌に合わなかったお話

 秩序立ててあることや、揃っていることは、見た感じ綺麗。スッキリ美しい。わかりやすくて効率的ですよね。

 ノートや本、服などを見やすく整理整頓することは、私も大好きです。自分の身の周りを自分の納得いくように工夫したり、創り上げていくのは楽しいものです。

 ですが、既にきちんと揃えて美しく創り上げられたものの中に、自分が属するという状況は、私は苦手かも知れません。


 私は福祉系の大学卒業後、比較的大きな規模の障害者福祉施設に入社したのですが、たったの2週間で退職してしまいました。

 あの時の絶望感といったら、、、
 学生時代はわりと真面目で優等生タイプというスタイルを貫いていた私は、就職してからも無難にコツコツと仕事して、派手ではなくても堅実にお金を貯めて、社会人としてもただの目立たない優等生として生きていこうと心に決めていました。
 それなのに、入社して1週間で何かよく分からないモヤモヤがピークに達し夜中も眠れない、2週間で限界に達し、泣き崩れながら上司に辞めます宣言をしたのです。

 何がいけなかったのか、どこをどう間違えたのか、、、当時は自問自答を繰り返して、なかなか前に進めませんでした。私はこれから生きていけるんだろうか。そんな不安に推しつぶされそう、いや、ほとんどもう推しつぶされて心はぺったんこの状態だったと思います。

 不思議なことに、辞めた理由が、当時は自分でもハッキリと分からなかったのです!
給料や休み、ボーナスといった、待遇面が悪かったのかといえば、そうでもありませんでした。福祉施設にしては、大規模施設だったこともあり待遇はいい方でした。そもそも、待遇面に不満もなかったからその職場を選んだというのもありましたからね。
 ではよくある人間関係の問題だったのか、、、いやいや、入社したての時点で人間関係がいいも悪いもありません。まず、関係を築けてすらいない時点なので、問題という問題があるわけないのです。先輩は優しく親切な人が多く、同僚は真面目で頑張り屋さんでした。
 入社後の研修も無理ないスケジュールでしっかり組まれていて、残業もない。普通に見れば至れり尽くせりの、今思えば新入りには最高の環境だったかもしれません。

 こんな恵まれた環境の、何に不満があったのでしょう。
 ただぼんやりと「なんか苦しいなぁ」と思っていましたが、そんな中でも一つだけ、明確に「嫌だ」と思っていることはありました。


 私が拒否したかったのは、入社式のスーツと、仕事着(介護するのに支障のない指定の制服)など、皆と全く同じ服装でいなければならない状況でした。

全く。なんて非常識なんでしょうね。決められた服装、正装・制服という服装。それが嫌だなんて、ただの自己主張強めのわがままです。

 頭では分かっていながら、それでも、苦手なものは苦手なのでした。

 社会人なら、多くの人が制服やスーツを着て仕事をしていると思います。学生でも、制服を着る人は多いです。
 なにをそんなことくらい、と思われるかも知れませんが、私にはそれが何故か苦痛になってしまっていました。
 考えすぎなところがあるのかもしれませんが、同じ制服で同じ格好をして仕事をする、というのが、ある意味「ここからはみ出さないようにここに染まっていかないといけない 」というプレッシャーになっていました。

 私の、考えすぎて自分で自分を縛ってしまう性質は、ずっと前から変わらないところです。

「自分はある同じ目的をもった集団のちっちゃな一部分でしかない」、「ここでこれから徐々に周りと同化していくんだ」と、誰から何を言われたのでもないのに自分で勝手に覚悟を決め、

自分は個人ではなく集団の一部だ、と、勝手に何かを諦めたような気分になっていたように思います。

 とは言っても、保育園、小学校、中学校、高校と、私はすべて制服を着て過ごしてきました。保育園や学校では、そんなに制服が嫌だとは思ったことはなく、校則も守るタイプでした。
 ただ、制服を着てさえいればよかった小学校から、校則が突然厳しくなる中学校や高校にあがってからは、校則や制服ルールに違和感を覚えてはいました。


(ちなみに、これはまた別の機会にでもエピソードをお話できたらなと思いますが、私は幼少時代から、大きな集団の中にいるのが本当に苦手なタイプでした。)

 スーツや制服への嫌悪感が私の中で膨張し始めたのは、大学生の就活モードに突入してからでした。
 それまではカラフルに髪を染め、思い思いの格好をしてのびのびと大学に通っていた同級生達は、皆、揃いも揃ってリクルートスーツに身を包み、髪は真っ黒、髪色だけじゃなく髪型まで同じになってきます。
 もちろん、私も例外ではなく、です。

 綺麗に規則的に、同じような色に整った、「きちんとした集団」は、私の目にはとても歪に映ってしまうようでした。多くの「同じ色」が「不自然な色」に見えてなんだか不気味に思えて、さらに、自分が周りと同化されていくような感覚が、どうしても苦手だったのです。

 自分と集団の境目が少しずつなくなっていくのは、車酔いしている時の感覚に似ています。胃のあたりがムカムカし、息をしているのに酸素が足りないような、そんな感じです。

 もちろん、きちんとしていることは素晴らしいし、社会で生きていくためには必ず求められるべき点です。
 でも、私がそれを「好きか嫌いか」で言ったら、嫌いに近いんです。不思議なものですよね。
 

 きちんと周りに馴染んで同じような姿でいることを、親や先生や周りの社会人からは求められる、でも私はその風潮が苦手。
 反抗期か!ってツッコミたくなりますが、
、、、はい。反抗期なのかもしれません。今更ですけれど。


 あの職場を辞めた当時は自分でもよくわかっていなかったのですが、今ならなんとなく分かります。

 私は画一的なものが苦手。私は同じ色に染まった大きな集団が苦手。反発したくなる。(超遅すぎる反抗期でごめんなさい!)
 

 そして私はカラフルが好き。私は多種多様なカタチが好き。似たものがあったとしても一つとして同じ色や形がないんだって、そう思える瞬間はワクワクします。

 だから、全く同じピンクの介護服を着た職員が沢山いる風景が苦手で、それがモヤモヤの原因の一部には、なっていたのだと思います。
 全てのモヤモヤの原因は未だ解明できていませんが、、、。

 辞める時、「もう無理です!なんとなく嫌なんです!」と言って、上司や先輩を困惑させてしまったこと、本当に申し訳なく思います。
 先輩方、あなた方は何一つ悪くはありませんでした!私の考え方と価値観の問題でした!
と、今、頭を下げて謝りたいです。

 今私は、社会人として、この今の日本社会に生きる1人の人間として、ものすごく未熟な考えを持っているのかもしれません。

 それでも、これが今現在の私の価値観なのです。

 これから変わっていくことがないとも言い切れません。

 人間だから成長したり変化したりします。

 「画一的に整えられた集団が苦手」という部分は、これから克服できるかも知れません。

 でも、「個性的なものやカラフルなもの、多種多様なカタチやのびのび生き生きと自由な色で光ってるものが大好き」という部分は、きっとこれからも持ち続けます。持ち続けたいです。

 揃った色も形も美しいけれど、カラフルな色やでこぼこの形も味わい深い。

 いろんな価値観がある世界って、きっと美しいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?