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犯罪学教室のかなえ先生とメンヘラ切り抜き師の私

はじめに…


この記事をお読み下さりありがとうございます。
Twitter(X)に置いてある、マシュマロ等で質問頂いていた、死ぬ死ぬ詐欺について、私の主観から時系列にまとめました。
約3000文字になりますが、最後までお付き合いくださると嬉しいです。


2023年10月下旬


私がFFであるさくさくパンダさんが、犯罪学教室のかなえ先生から、皮肉のこもった「マロ来て嬉しいのはわかるけど、構わないでね」というリプライを見かけたことから始まります。

その後もガチ恋リスナーを名乗る、マシュマロがさくさくパンダさんの元に届いているのを認識しているにも関わらず、かなえ先生は被害者ヅラをして知らんぷりでした。
※当時のスクショが手元になかったので頂きました。

スペースを始めた時点では、さくさくパンダさん、ごっど おぶ えるめす さまは既に相互ブロック。
どうやってスペースに行けというのか状態でした。

その対応を見て私は、怒りを覚えて、このまま推しとして応援することは難しいとのツイートをしました。
その後も私は自分の意見を発言していたのですが、それを見てかなえ先生が機嫌を悪くしたらしく、ブロックされました。
私は、ブロックされた事に傷つきましたが、それだけではなく、引用RTをして、とあるツイートが2万インプレッションを超えたのを確認したのです。



普通はそんなにインプレッションが伸びるはずがなく(当時のフォロワー数100未満)、不思議に思った私は、そのツイートがかなえ先生にRTされている事に気がつきました。

その後すぐにアカウントに鍵をかけて、
当時運営していた、切り抜きのアカウントから、「死んで詫びる」との発言をしました。

その投稿にかなえ先生がどういう反応をするのかと、気になっていた事に嘘はありません。
当時のツイートにもあるように、「遊びのつもり」でした。
しかし、死んで詫びるという言葉に嘘はありませんでした。

当時すでにかなえ先生は、10万人を目前にしていたYouTubeのチャンネル登録者数と、ツイッターのフォロワーは2万人を越えていました。
それだけ多くの見ず知らずの人間に見られているという恐怖。
その後、鍵垢のツイートである、「遊びたくなった」というツイートのスクリーンショットがかなえ先生のアカウントで公開され、本当に死ぬかと思いました。


※ツイート内のスクリーンショットはかなえ先生の投稿から保存させていただきました。

私が正しかったとは言いません。
しかし、「死ぬことを冗談」とは言ったことはありません。
公開されたスクリーンショットの下の投稿にあるように、「死にたくはなってる」という言葉に嘘はありませんでした。
当時の気持ちを鮮明に思い出すのは、時が経った今では、ものすごく難しいですが、当時の私はこうやって、その時思った言葉を残す事でいっぱいいっぱいだったと記憶しています。

うつ状態になり、体は重だるく動けず、ご飯を食べるのもしんどかった。
そんな中助けてくれたのが、さくさくパンダさんや、ごっど おぶ えるめす さまでした。

2023年10月30日


お待たせしました。ようやく「死ぬ死ぬ詐欺」という単語が出てきます。

すごく怒ったと書かれていますが、先の鍵アカウントのスクリーンショットが投稿された時には既にブロックされていました。

時系列の順序を分かりやすく記すと、
本垢ブロック→切り抜き垢で死んで詫びる→切り抜き垢もブロック→スクリーンショット公開→死ぬ死ぬ詐欺
という順序になります。

怒ったと言っても、私には基本的には見えてない内容なわけです。
そして、ここから私は「死ぬ死ぬ詐欺」と呼称されるようになったのです。

2023年10月31日

こちらは翌日10月31日のかなえ先生のツイート。
こちらに関しては、トー横の問題もニュースで取り上げられていたようなので、私とは別問題かもしれませんが、その日の私のスケジュールを見ると笑えるのです。

この投稿の裏で現実世界で私は、ごっど おぶ えるめす さまに連れられて、生活保護の申請に行き、福祉支援の介入に助力してくださいました。
諸事情あり、正式な保護決定は2月となりましたが、それまでも何度か足を運んでくださり、一緒に窓口へ赴いて下さいました。

かなえ先生にネタにされ、かなえ先生の縁で繋がった方に保護され、福祉のプロの方にお願いすることが出来たのです。

窓口から帰宅した後に出した謝罪文も、こちらに遺しておこうと思います。


ここにもあるように、10月31日(正確に言うと数日後)はかなえ先生に出会うきっかけとなった、京王線ジョーカー事件の発生日。そしてかなえ先生推しを辞めた日。
ハロウィンになる度、この2年間の事を思い出すことでしょう。

死ぬ死ぬ詐欺


現在(2024年7月10日現在)かなえ先生の投稿の中から、死ぬ死ぬ詐欺という単語が入った物は全部で4つ。
先述した10月30日のツイートの他に3つ。


2024年1月 6日と13日


この2つは、何があったか記憶にありません。
というのも、この間に私は誕生日を迎えていたため、一時忘れて楽しもうと色々計画していた所に、この投稿を見た。という記憶しかないのです。

しかし、それで十分です。
楽しみだった気持ちはプッツリと切れてしまいました。
この頃から楽しいという感情が本当に分からなくなっていたのかもしれません。
色々な感情がちぐはぐになっていく。
楽しみにしていたものが壊されていく感覚。
時間は進むのに、暗闇に閉じ込められている、そんな気分でした。


2024年3月27日


この日は私の精神科入院が決まった日です。
1月に壊れた感情は、修復することなく、むしろどんどんと壊れて行きました。

この日までに希死念慮が何度顔を出したことでしょう。
連日夜中に家を飛び出し、コンビニで酒を買って、川沿いまで歩く。
飛び込みたい気持ちと、飛び込む勇気のない自分。

今の私が居るのは、この時見捨てずに話を聞いてくれた、そして入院を進めてくれた友人や行政関係の方のおかげです。
そんな大切な友達に出会わせてくれたのは、かなえ先生でした。
本当にそれだけは感謝してもしきれません。

2024年7月7日


今回の炎上の発端の日ですね。
コチラに関しては私はただの観測者だったので、多くは語りませんが、一つだけ発しておきたい事があります。

今回の件で多くの方に、過去のかなえ先生の言動を見て頂ける機会が出来たのは、私にとっては嬉しい事でした。

他人の不幸は蜜の味と言いますが、私だけに関して言えば、過去の闘った傷を抉り返されたと言っても過言ではないのです。
それでも、私が傷ついたという事を少しでも多くの人に知って貰えた、共感して貰えた、私にはそれが幸せな事でした。

さいごに…


ここまで長い長い自語りをお読み下さりありがとうございました。
先述した通り、今回の騒動で過去の言動が日の目を浴びることになったのは、私にとって転機であり、こうして当時を振り返る機会にもなりました。
そして、この文書を書き上げる事が出来たことに私は達成感と共に体調の回復を実感しています。
今後もノロノロではあると思いますが、少しずつ前を向いて歩いて行こうと思います。

2024年7月12日
ミノ虫まる 愛之介

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