最強な女
僕は未だに高校時代の親友ほど最強な女を見たことがない。
僕が軽音楽部に入部して二日目、
僕はギターボーカルをやりたいと言っていたので、とりあえずギターを練習していた。
その時たまたま、一緒にギター教えてもらうことになった女の子。
若干ケバケバしくてやかましくて、「苦手なタイプだなぁ、話しかけてこんといて欲しいなぁ」なんて思っていた。
そんな願いも虚しく、案の定、彼女は僕を見るやいなやすぐ話しかけてきて、「ギターボーカル(志望)なん!?じゃあ、一緒にバンド組もう!!」
と言ってきた。否定する術もなかったし、どうせ一時の気の迷いだろうと思ってその場は承諾した。
後にこのことを本人に聞くと
僕を見た瞬間、何かがビビッときたらしい。
僕は全くそんなことを感じなかったけれど。
1年生は6月の全学年混合バンドのライブが終わるまではバンドを組まないことになっていたので、各々のパートをひたすら練習していた。
当時コミュ力の乏しかった僕はぼっち練をしていたけれど、彼女は色んな人と話しながら練習をしていた。
彼女は上達が早かったが、僕はまともにリズムもとれないし、コードすら押さえられなかった。
ひどく引け目というか、申し訳なさを抱えていたので、彼女は上手い人たちとバンドを組んで僕のことなど無かったことにするだろうと少し不貞腐れていた。
でも、彼女はずっと僕とバンド組むつもりでいて、6月のライブが終わった後、実際にバンドを組むことになった。
バンドを組むに当たって、ドラムが全くいなかったので、クラスメイトの帰宅部だった男の子にお願いして、ドラムをやってもらうことにした。
その時のバンド編成はこうだ。
ギターの彼女
ベースの女の子
ギターボーカルの男
ドラムの帰宅部の男
そして、ギターボーカルの僕
ギターボーカルが2人いる、なんだかめんどくさい形態のバンドだった。
後に帰宅部の子が辞めたいと言いだしたことにより、バンド内の誰かがドラムをやらなければいけなくなった。
僕はそのバンドでの立場がギターボーカルなのか、ボーカルなのか、ギターなのか良く分からない感じが嫌だったし、ちょうどその頃、外バンの誘いを受けてたのでドラムをやることにした。
ドラムになってから、なにかのスイッチが入ったのか、取り憑かれたように一日中練習をするようになっていた。
目標は3週間で1曲仕上げること。
自分の高校で開かれる1年生だけのノーベンバーライブ。
別に誰かの為なんて考えなかった。
当時は楽しいともあまり思ってはなかった。
ただ単に上手くなりたい。それだけだった。
ライブは無事成功し、周りの喜んでる姿を見て、やっと楽しいという実感が湧いてきた。
その後も練習し続け、2年生になる頃にはパートリーダーになった。バンドは一時解散し、元のメンバーのうち、ギターボーカルだけ変わった。
そのバンドでは色々あった。
個々にそれぞれ傷や問題を抱えた人間で、しかも若く、真剣だったから。
特に僕とギターボーカルの子が仲良くなったり不仲になったりを繰り返し
何度も解散しようという話になった。
そのたび彼女はそれを繋ぎとめようとしてくれた。
あるときは急に電話がかかってきて、第一声目で泣き出されたこともあった。
それだけ彼女は真摯だった。
先輩が引退し、僕らの代になると彼女は部長になった。
自分らのバンドのことだけじゃなくて部のことまで悩みが増え、なんの役職にもついていない自由人の僕はときどき相談に乗ったりしていた。
僕も自分の悩みを彼女に話していた。
いつの間にか彼女を心底信頼していた。
結果的に僕らのバンドは部の代表としてコンテストに出場し、賞を受賞した。
はっきり言ってあまり上手ではないし荒削りだけど、本当にいい演奏をしていたいいバンドだったと思う。
僕らは部を引退し、受験生となった。
僕は有名国立大に、彼女は地元の国立大に行くつもりでいた。
あるとき、学校でゲストを招きパネルディスカッションをしていた。
なかなか為になる話をしていた。
その次の日、僕は彼女と2人でご飯を食べてたら、彼女は思いつめた顔で僕に言ってきた。
「昨日のディスカッション聞いてて思ったんやけど、自分のやりたいことをちゃんと考えたら、日本じゃなくて、外国に行ってきてきちんと勉強した方がいいんじゃないかって。そう思ってるんやけど、そんなん普通じゃないしおかしいかな?」
……コイツ、マジかと思った。
でも、彼女は至って真剣だから
周りにどう思われようが、ある程度親に迷惑かけようが自分がやりたいことをすべきだと言った。
それで、彼女は海外の大学に入学することになった。
日本にいるのは次の7月まで。
その時から僕の中でタイムリミットがスタートし、
残された時間を大切にしようと思うようになった。
実際大切にできたのかわからないけど。
彼女とのことで未だに鮮明に覚えてることがある。
必死で勉強していたにもかかわらず、僕の成績では当時の志望校には全く届いてなくて、
11月に行われた模試でようやくD判定を取ることができたくらいだった。
だけど初めて取れたD判定だ。ルンルン気分で親にその結果を見せた。
「全然あかんやん!何やってんよ!!」
と怒られた。
先生からも、友達からもお前は無理だ無理だって言われ続けていて、親にも言われた。
模試の度ひどく不愉快になり、落胆してた。
いつものように彼女とご飯を食べていて、模試の話になった。
リスニングが学年4位だったと自慢する彼女に対し、全教科合計学年5位だったと返すと
彼女は僕の手を握って「えー!めっちゃ凄いやん!!」と言って喜んでくれた。
思わず泣いてしまいそうになった。
周りの奴らはみんな否定ばかりするのに、なんでコイツだけは自分を認めてくれるんだって。なんでコイツだけは自分を応援してくれるんだって。
彼女だけはいつも、模試の度喜んでくれた。
彼女だけはいつも、くだらないことで笑わせてくれた。
彼女だけはいつも、僕を心配してくれていた。
それだけでいつも、僕は救われた。
だから、僕にとっては彼女はいつも最強な女だった。
去年の7月
彼女は日本を出た。
いま何をしてるのかわからない。
でも、たぶん頑張ってるだろうから
僕も死ぬ気で頑張る。
それで、帰ってきたらめちゃくちゃ自慢する。
自己満足。
それでも、
多分彼女は手を握って喜んでくれるだろうから。
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これは大学1年生のときに書いたブログ記事に、一部修正を加えて掲載したものです。
久しぶりに昔のブログを覗いたら、文章下手だったり、読者視点全くなかったり、恥ずかしい胸の内が暴露されていたりで、消したい衝動に駆られました。
でも中には、かなりの確度を持った考察や、目を背けたくなるくらいの温かな想いが込められた文章もあって、消すにはちょっと惜しいなと。そんなことを思ったので、いくつかの記事をnoteで載せてみることにしました。消すのはその作業が終わってからにしようと思います。
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