この不要が切り捨てられる世界で信じられる、最後の伝説 ~北の空が赤く染まる時四十男がこうべを垂れるの感想~
●劇の感想
その踊りはカッコいいわけではない。
その踊りはかわいいわけでもない。
大勢で踊る派手さはなく一人だし、
踊る人はイケメンでも美人でもない、今年40になるおっさんがやる、昔ダンサーだった設定でもない文房具屋が主人公だ。
だからこそ――だと思う。
だからこそ、この物語がある世界にこの人物は必要だった。
ここで問うてみる。
君は、文化の力を信じているか?
自分を強く動かしたもの、或いは世界を動かした芸術なんてものも挙げてみたりして、それで本当に文化の力は世界を人を動かすと信じることができるか?
私はそうは思わない。
文化が確かに世界を動かした例もあるだろうが、それよりずっと多くの政治が経済が文化を追いやってきたのが真実だと、私は思っている。
この世界は、踊ることが法律で禁止された世界だ。
そういう不要な動きをすることは、犯罪的であるとされた世界なのである。
しかし、この主人公は、世界がそうなってることなんて知らない程、自分の文房具屋と罪のないラジオ番組と、若い時から病気でずっと家にいるしかない変な笑い声の友人が見てくる中、文房具屋の庭でずっと踊っていた。
嫌なことがあっても、呪うことがあっても、それでも文房具が売れた時に食べられるビールと焼き鳥缶を楽しみにして生きている、罪のない40の男なのだ。
結局のところ、生き残る文化は私はこれだと思う。
カッコよさやかわいいものは、確かに力もあるが目立とうとするものだ。
しかし目立てば、この効率といじめの世界では、無数の有象無象によってどんな力あるものも消されていってしまうのが社会なのだ。
だから、こんな誰にも気づかれないような都会の片隅で、特にダンスと自分で意識しているわけでもない目立たない男の文化が、生き残ってしまう文化だと私は思う。
きっと今から先は、ろくでもない社会が待っている。
弱い者への保障が削られていき、その恨みを強い者達が文化へと責任転嫁させようとしているようなこの国の先で、だからこそ私はこの踊りをいつか思い出すことになるだろう。
そのうち忘れてしまっても、その時は想うだろう。
あらゆる文化が規制されていった先の慰めとして、どこかで誰かが、誰にも気づかれない踊りをしていると想うこと。
その最後の伝説が、私の惨めな心を癒すことになるのだ。
●踊りの感想
で、この踊りなんですが、私は見る価値があると思う。
31歳でまぁまぁ生きてきたけど、それでもこんなカッコいいとかわいいと無縁な踊りを知らなかった。
だけど、変とかふざけているとかそういうわけでなくて、緩い音楽でも、盛り上がりがなくても、その動きを見ているだけで、納得と驚きという、ダンスを見た時に人が心に思う感情は確かにあった。
そういう今まで知ってると思っていた中に、全く違うものがあると知れることは、こんな社会でも自由になれたと思える素敵な経験なのだ。
さて、一見あれ。
カッコよくもかわいくもない40のおっさんの、
だからこそ、カッコよくもかわいくもある踊りを。
11月30日までやってるよ~。