風の時代のソーシャルビジネス 友野秀樹「足こぎ車いす」で世の中の常識を変える!【職業図鑑No.19】
「足こぎ車いす」という単語を聞いて、みなさんはどんな印象を抱くでしょうか?
私は初めて聞いたとき「足が不自由だから車いすに乗るんじゃないの?」と思いました。
高齢社会の課題を解決して、新しい健康増進モビリティー(車いす)の概念を世の中に広めようとしているのは、一般社団法人シンクロプラスの友野 秀樹さんです。
足こぎ車いすがどのようなものなのか、なぜ友野さんが足こぎ車いすの普及活動を行っているのかについて、今回はお話を伺います。
人との出会いがきっかけで足こぎ車いすに出会う
ーーまずは自己紹介をお願いいたします。
一般社団法人シンクロプラスの友野 秀樹と申します。年齢は64歳です。
職業はソーシャルビジネスのプロデュースです。具体的には、足こぎ車いすを全国に普及する活動をしています。
ーーソーシャルビジネスとは、どのようなものなのでしょうか?
社会課題を解決するためのビジネスをソーシャルビジネスといいます。
足こぎ車いすの普及活動は、障害を持ち歩行困難になり自らの足で移動する事を諦めている方に希望を、そして高齢社会の課題である引きこもりや寝たきりを解決することが目的です。
ーー車いすは足が不自由な人に利用されるイメージでした。足こぎ車いすとはどのような仕組みなのでしょうか?
足こぎ車いすは、その名の通り足で漕いで進む車いすです。私たちは、通常であれば脳が足に指令を送ることで、右足と左足が交互に出て歩いています。
しかし、足こぎ車いすは「原始歩行」と呼ばれる脊髄反射を利用しています。
原始歩行は生まれたばかりの赤ちゃんに備わっているもので、足を床に触れさせると、左右の足を動かして歩いているような動作をする反射です。
脳の指令がなくても足が動くため、麻痺があって足がうまく動かせないような方でも、ペダルを漕ぐ動作が可能です。
ーー友野さんが足こぎ車いすの普及活動を始めるに至った経緯を教えていただけますか?
僕が足こぎ車いすの活動をするうえでキーパーソンになっている人が2人いて。一人目は、ベンチャー企業の精神を教えてくれたバッファローの社長です。
私は大学時代に勉強をまったくしていなくて、部活動に熱中していた学生だったんですね。
就活のときには「週休2日制で転勤がなくて、潰れない会社がいい」なんてリクエストしていて(笑)。それで、最初は電力会社の孫会社に就職しました。
営業職についたんだけど、当時の営業は官庁物件を受注するために役所に行き、担当部署に毎日名刺配りをしていました。
ゼネコンへの営業は、図面をもらいに行けば社内ゴルフや懇親会への協賛のたかりがあり、いかにズブズブの関係性を作るかが仕事でした(笑)。
同じ時期に大学の同期はアパレルの会社に行って、毎日残業やら出張やらで忙しくしてたんだよね。同期の活躍を見て、やばいと思った。
今の会社にい続けたら、ほかの会社に行ったら絶対に自分は通用しなくなるって。
そうしたら、大学を卒業してから入っていた空手部の先輩から「これからはパソコンの時代だ。一緒に仕事をやらないか」って誘ってくれたんだよね。
それで最初の会社は2年で辞めて、パソコン関係のベンチャー企業に転職しました。
新しく入った会社でも営業をやっていて、ファックスの前身になるテレックスっていうのがあったんだけど。テレックスのモデムを開発している会社だったの。
当時はテレックス専用の機械を、電電公社(現:NTT)が貿易会社へ貸し出していたんだ。パソコンのモニターでテレックスの文章を作れるパソコンTELEXだったんだよね。
しかもリースの料金がテレックス専用の機械よりも安い。だからすごくよく売れたんですよ。
でも、4年くらいで国際ファックスが登場、大手の会社が参入したんだ。そしたら会社がダメになっちゃったんだよね。
それで、新橋で会社仲間と飲んで解散式をしたんだ。当時はバブルの時代で、終電まで飲んでたんだよね。
磯子駅に着いてタクシー待ちをしてたら、後ろから僕のお客さんだったバッファローの海外事業部(五反田)の部長さんから「友野君なんでここにいるの」と、声がかかったんだ。
僕は前々からバッファローの部長さんにスカウトされてたんだけど、名古屋本社で名前も知らない会社だからって断ってたんだよね。
でも、タクシー待ちしてて再会、それが縁であらためて誘ってもらって。
名古屋に面接に行ったら、社長に「友野くんは今東京にいます。名古屋で2時間後に緊急会議があるから来てくださいと言われました。でも、新幹線も高速も分断されています。どうやって移動しますか?」って聞かれたんだよね。
頭の中では「ヘリコプターしかないじゃん」と思ってはいたんだよ。でも当時、ヘリコプターで移動してるのは西武グループの総帥である堤義明社長クラスの人だったんだ。
まさか自分が「ヘリコプターで行きます」なんて、おこがましくて答えられなかった。そうしたら「なんでヘリコプターで来ないんだ」って真顔で言われたの。
社長は、必ず実現する目的のためには手段を選ばないような考え方の人だった。それが当時の僕からしたらすごいなって思って、バッファローに転職したんだよね。
13年の間に、最初は社員数が30人だった会社が、一部上場して売上1,000億の会社に成長したんだ。
僕はバッファローの社長から、ベンチャー企業精神を学ばせてもらいました。バッファローで学んだ「道の無きところに道を創る」という精神は、足こぎ車いすの普及活動のベースになっています。
次に、僕にソーシャルビジネスを教えてくれたのが、アバンティーという会社の創業者の方です。
彼女は僕に「儲かるためにビジネスをするのではなく、社会課題を解決するためにビジネスをする」「継続する為に利益を出す。そのために智惠を人一倍働かせる!」という考え方を教えてくれました。
当時の僕は、社会課題を解決するためのビジネスという発想がまったくなくて。こんな考え方をする人がいるんだと驚きました。
で、ソーシャルビジネスについて知った直後に、足こぎ車いすを世に出した、株式会社TESSの社長である鈴木堅之さんに出会ったんです。
足こぎ車いすは、まさに高齢社会の課題を解決できるもの。
でも、介護現場にいる人や、車いすを利用する人がもっている「歩行困難になったら足以外のもので移動する」という常識が、足こぎ車いすの普及を阻む壁になっていることがわかったんですね。
ーーその壁とは......?
介護ビジネス業界は、人が弱っていくたびに貸し出すものが変わっていきますよね。最初は杖、次に車いす、そして介護ベッドのような感じで。
だから、足こぎ車いすのような、人が元気になっていくようなものはあまり歓迎されないんです。
一般的な福祉業界の販売ルートを開拓する方法は、足こぎ車いすの普及には向いていないと感じました。
そこで考えたのが、高齢社会の課題解決をするソーシャルビジネスを始める方法です。まずは「足こぎ車いすが広まったら、高齢社会の課題解決に繋がる」という考えの人とつながろうと思いました。
今は「風の時代」と呼ばれていて、波動共鳴した方が得意な事を持ち寄って、足こぎ車いすを広めるのに協力いただいてます。
たとえばWebが得意な人はWebで、デザインが得意な人はデザインで、ダンスが得意な人はダンスで、みたいな形で。
足こぎ車いすで介護業界の常識を変える
ーー足こぎ車いすが広まることは、具体的にどのようなメリットがあるのでしょうか?
足が不自由な人というのは条件になると思いますが、それ以前に「人生を諦めていないこと」というのが大事かなと思っています。
僕は、世の中には3種類の人がいると思っていて。
どんな困難に陥っても、ほかの手段でなんとか頑張ろうとする人、歩行困難になったことで夢を諦めかけているけれど、本当は叶えたい夢がある人、夢を描くこと自体を諦めてしまっている人です。
もちろん、最終的にはみんなに、足こぎ車いすを使ってもらいたいですが、まず広めたいのは人生を諦めていない人ですね。
たとえば、僕が7年前に出会った男性は、足こぎ車いすの映像を見せてあげたときに「試したい」って言ったので、実際に乗せてあげたんですね。
そうしたら「全然膝が痛くない。これで夢が叶う」ってお話しされたんです。「どんな夢なんですか?」って聞いたら「ホノルルマラソンを走りたい」って。
で、実際に2年半後に達成されて、通算3回完走してるんです。
彼みたいに、障害をもっていることに対して悔しい思いをしていたり、諦めきれない夢をもっている人に、実は諦める必要ないんだよっていうメッセージを伝えられるのが足こぎ車いすだと思っています。
あとは、機能訓練型のデイサービスにも役立つと思っています。
機能訓練型のデイサービスは、お年寄りができないことを介護するのではなく、自分でできることを増やしていけるように訓練する施設なんですね。
そこに足こぎ車いすを導入することで、健康なお年寄りを増やすことを一緒にやっていけたらと思っています。
お年寄りのできることが増えるという意味では、新たな観光サービスにも役に立つと考えていて。
たとえば、お年寄りの外出サポートをするときに、人に押してもらう車いすではなく、自分の足でこぐ足こぎ車いすCOGYを使うんです。
そうすれば、お年寄りは自らこぎながら公園を走ったり、買い物をしたりできますよね。喜びが2倍になる外出支援サービスができると思うんです。
これからどんどん高齢社会に進んで行くので、お年寄りの人数に対してサポートする人数が間に合わなくなっちゃいますよね。
そうなったときに足こぎ車いすがあれば、自分の足で出かけられるお年寄りを増やせると思っています。
ーー実際に足こぎ車いすが広まったら、多くの人が恩恵を受けられそうですね。まだ世の中に広まっていないものを広めるのは大変なことだと思いますが、仕事のやりがいはどんなところにありますか?
仕事のやりがいは、足こぎ車いすユーザーの人生が変わっていく様子が見られることだよね。
たとえば、ホノルルマラソンを完走した男性は、今は講演家になっています。
「夢を諦めなければ人と出会い、足こぎ車いすCOGYとも出会える。チャレンジすると決めたら応援者が現れて、夢は叶う!」というメッセージを、同じ障害をもつ方々に伝えています。
足こぎ車いすで人生が変わった人が周りの人に伝えて、次の人に伝わっていく。恩送りが生まれるんですね。
保守的な考えをもつ医療や福祉の現場から、足こぎ車いすの情報が当事者に入ってくることはなかなかありません。
足こぎ車いすの情報をキャッチできるって、ある意味奇跡的なことだと思うんです。
足こぎ車いすと出会って人生が好転して「こんなのがあるんだよ」って伝えてくれる人が、増えてくるのが嬉しいですね。
歩行困難で一度は諦めかけた夢がもう一度叶う車いす
ーーすごく素敵な循環ですね。お客さんに言われた言葉で、嬉しかった言葉はありますか?
私のお客さんに、脳出血を2回繰り返して半身麻痺になってしまった男性がいるんだけどね。彼は栃木に住んでいて、家に引きこもっていたんだ。
それが足こぎ車いすを使ったことで外に出られるようになって、家から駅まで2kmの道のりを1時間かけて漕いで、飛行機で奄美まで来てくれたんだよね。
それで、奄美の海を見てすごく感動して泣きながら感謝してくれたんですよね。そういう光景を見たときに、この感動とか喜びを多くの人に味わわせてあげたいなって思います。
ーー諦めかけていた夢が叶っているのを目の前で見られるわけですもんね。
そうだね。あとはネガティブなところでいうと、僕の母はパーキンソン病で施設で寝たきりだったんだ。
それでも、母に足こぎ車いすを試してほしいと思い、施設で試乗を試みました。すると、なんと、こげてしかも笑顔をとりもどしたんだ。
僕は、喜んで施設で足こぎ車いすを使わせてほしいと伝えたのだけど「ほかの利用者さんにぶつかったら困る」とか「作業ルーティンが変わる」という理由で使わせてもらえなかった。
医療や介護の現場にいる人は、安全第一はわかるけど、保守的な考えの人が多いように感じるね。それでは、必要な人に情報が届かない。
結果、歩行困難で困っている人に情報が届かない、選択肢を奪っているわけだよね。そういうのを目の当たりにしたときに、医療・介護業界の人間ではない僕が広めていかないと使命感がわいたわけです。
ーーまだまだ現場では受け入れられにくいのが現状なんですね。足こぎ車いすを広めることで、友野さんが叶えたい夢にはどんなものがありますか?
まず足こぎ車いすを広めることで、患者さん本人には夢を諦めてほしくない。そして本人にできることが増えると、周りの家族もすごく楽になると思うんだよね。
足こぎ車いすが当たり前の社会になると、社会課題が一つ解決する。そして課題を解決するためのアイテムを広めたという実績と同時に流通網ができてるわけだ。
そしたら、今は常識の壁に阻まれている別の商品やサービスも、足こぎ車いすを広めたのと同じ流通網で広められるようになるよね。
そうやって社会課題を解決するネットワークができていけばいいなと思ってる。まずは、47都道府県100か所に足こぎ車いすが体験できる拠点を作ることが目標です。
ーー足こぎ車いすの流通網をきっかけに、どんどん社会課題を解決していけると、未来が明るくなりそうですね。最後に、友野さんにとって仕事とはなんですか?
僕にとって仕事とは、自分の祖先から受け継いだ質(たち)や、使命(価値の創造)を活かすものというか、活かすべきものというか、そういう感じがします。
僕が唯一もっているものって、シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)に気づける能力です。ほぼ毎日気づくんです(笑)。
徳川幕府の武芸の指南役である柳生家に伝わる家訓に「大才は、袖すり合った縁をも生かす」というものがあります。
志を一つに、袖すり合った縁を生かし、社会課題を解決することができたら魂が喜びます。
ーー身の回りに起こることを全て活かして、今の活動をされているわけですね。友野さん、今日はたくさんお話を聞かせていただきありがとうございました!
編集後記
友野さんが人との出会いを通して足こぎ車いすに出会い、使命感をもって活動されていることがひしひしと伝わってくる取材でした。足こぎ車いすが未来のスタンダードになる日が楽しみですね!
友野さんの活動についてさらに詳しく知りたい方は、下記の動画や書籍も見てみてくださいね。
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