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友達問題

「凄く失礼なこと言ってもいい?いや、誤解しないで欲しいんだけど」

突然言われた言葉である。

失礼なこと言ってもいい?というのは、自分の興味をかなりそそられる言葉だ。それは自分がSかMかで言うと、恐らくM側に位置しているからかもしれない。自分がSかMかだなんて、極めてこの場ではどうでもいいことのひとつなのだが、それは一度置いておこう。とにかく、この言葉にはとてもそそられたのだ。

きっと、その後に続く内容が、自分の評価であることを察知したからだと思う。

「あ、絶対にこれブログのネタにするなよ?」

ブログのネタにするかどうかは自分で判断する。面白かったら、そりゃあ、ネタにするだろうさ。でも一応、「しませんよ」と笑っておこう。

「友達居るの?」

仮にこの時、コーヒーを飲んでいたら吹いていただろうし、ランチを食べていたら喉に詰まらせただろうし、花粉の季節だったらくしゃみが止まらなかったと思う。手元にはノートとペン程度しか持ち合わせていなかったので、上に書いたようなことは起きなかったのだが。

この意味を解読するのに、少しばかりの時間を要した。相手の言う「友達」の定義付けを、まずしなければいけない。言われた相手は大学の教員ということを加味して、この場合の「友達」は、一緒に昼食を取ったり、授業を受けたりする仲のことであると察した。念の為確認をしたが、その通りだったようだ。

ええと、そのくらいだったらいる。一応。

 

本当に友達が少ないのか

自分には友達が少ないという自負がある。

毎日LINEするような友達はいないに等しいし、Twitterのフォロワーである友達(と、私が思っている人)のアカウント数は片手で収まるし、なによりインドア派である。人と会わない。外に出ない。

しかしよく考えてみると、人と外食をする約束を今月だけで6件も取り付けている。うち1件は以前お世話になっていた人と、1件は腐れ縁の幼馴染と。

残り4件は、全員「友達」だった。しかも全て違う人だ。同じ人と4回、ではない。

 

いや、これ、十分エンジョイしていると言えるのではないか。本当はそこそこ友達がいて、謙遜しているだけじゃないのか。

 

それも違う。自分には友達が少ないという自負がある。

 

今月食事を共にする約束をした3件の友人たちは、全員インターネットで知り合った人である。趣味で仲良くなった人が多い。何度も会っていますから、いやいや2回目ですご無沙汰していますみたいな人までいる。

自分の中ではしっかり友人だ。でも、「友達いるの?」と聞かれたときに、この人たちをカウントすることはできない。

 

相手が求めているのは、あなたは普通に生活していて、同級生や地域の出会いで生まれた友達はいますか?だ。

 

ネッ友は友達にならない?

自分には「リアルの友達」より、「ネットで知り合った友達」の方が多い。主にTwitterのフォロワーさんなのだが、単なるフォロワーという意味合いではなく、一緒にご飯に行ったり、何かイベントに参加してみたり。九州に住んでいる人が東京に来ると美味しいお店を教えて、東京に住む自分が大阪に行くとそこに住む人が美味しいお店を紹介してくれる。ある意味、便利な時代である。

今まで「インターネットで人と知り合う」ことは、世の中的には少数派だった。むしろ、「インターネットで人と知り合ってはいけません」と教えられてきたくらいだ。インターネットで仲良くなりましたって、それ本当に仲良いの?なんて。

仲良くなきゃ、7年も相互フォロワーやってねぇよ。

でも自分は潜在意識の中で、インターネットでできた友人を「友人」の枠から外してしまっている。これは「恋人をマッチングアプリで見つけました」というのと似たようなものだと思っている。マッチングアプリで見つけた恋人は、なんとなく、同級生や親に紹介しづらい。マッチングアプリは触ったことも無いけれど、きっと世の中的にはそうだろう。

高校の同級生とは、卒業以来ほぼ会っていないに等しい。大学の知人とは、数えるくらいしか外食すらしていない。ネットで2年くらいの付き合いになる人とは、2018年で5回は会っている。単純計算で2ヶ月に1回ペースだ。

どう考えても、ネットで2年くらいの付き合いになる人の方が親しい。

どうして自分は、この人たちのことを「友達である」と胸を張って言えないのだろう。

 

リアルで出会った人だけが友達の時代では、既に無いのに。

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