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僕の見てきた世界

こんにちは。
今回は「僕の見てきた世界」というのをテーマに話していけたらと思います。
僕の今までの生きてきた人生で見てきた世界で少しでも何か共感や変わるきっかけになってくれたら嬉しいと思います。

僕の母親の感覚は「自分の感覚の中で幸せであれば良い」なのよね。
「サッカーは趣味程度で十分」って。
「強豪校、ましてやJリーガー目指すなんてとんでもない」みたいな。
地元のストライカーにシュート練でボコボコ入れられても「サッカー楽しんでくれたら良い」かな。

Aチームの奴らに蹂躙され、弄ばれ、「このクソ雑魚キーパー、ヌハハハハ」って嘲笑される。
それで、ナメられたら「なんて卑怯な奴等だ」と文句を言い、彼等を認めずに、受け入れない事もやろうと思えば出来る。

でも現実は、そんな映画みたいなことばかりじゃない。
ライバルがいたって静かに、平静に、真摯に誇り高く、態度も振る舞いも大人びていて、更にプレーは何も通用せずに全て完封され、打ちのめされ、完膚なきまでに叩き潰される。チームメイトの誰もが、どちらに敬意を払い、尊敬するかを、肌を持って味わった。

その時に敗北したら「悔しい。俺がやってたことが間違っていた」と後悔し、自分がそうさせたことに失望し、「俺もあーすれば良かった」なんて思ったりもした。今思えば僕は本当に「サッカーを心から楽しんでいたのか?」と疑問に思う。

今年に入ってから大学のサッカー部でミニゲーム大会が数ヶ月に一回位のペースでやっていて、リカバリーも兼ねてエンジョイが目的ではあるが、順位も決めて罰ゲームもあってか結構バチバチにもなるんよね(笑)
僕はそのゲームで「ヘタクソ、取られんな」「お前出んでええわ」なんて罵られて、全く楽しくない時もあった。自分では楽しみたかったんだけど。
んで何が言いたいかって、こんな所での楽しみにも力は要るんだなと痛感した。
何処に行っても、どうしても言う奴等がいるので、僕は全くサッカーを楽しめなった。

だから少なくとも「大人になって草サッカーを楽しめる、チームで必要とされるレベルになりなさい」と少年の頃の俺に伝えたい。
本当にサッカーが好きなら「言われない様に上手くなること」も重要だと思う。
どのコミュニティにも「口うるさい人」はいる。
別にそれを悪いとは言わないけど。
それも組織に必要なのでね。
ただ、その「口うるさい人」を超える実力は持っておきたい。

あくまで勘違いしてほしくないのは殺伐としているのはサッカーの世界であって、僕の生きてる世界観ではないという事。
酷い世界を見て、その現実を受け入れたからといってそれを僕が助長しているわけでもない。

要するに、これらを対処するには現実的には上手くなること、実力をつけることでしかない。
これは他の事でも言える。
例えば勉学においても東京大学に行けば、「おおなんて君は素晴らしいんだ」って世間は評価するだろう。
関東で東大は天竜人扱い。
皆が跪く。
人生楽勝。
女にモテて年収数千万で港区在住も可能だ。
就活だって会社の面接案内に「東大・京大・一橋大・早稲田・慶應は」こちら」なんて書いてあるとも多分大半の人は知らないんじゃないかな。
俺もそんな世界知らん笑。
俺からしたら雲の上の世界だ。
てか知らなかった。
父から聞いた話でしかないけど。

最近、「20代で生まれた差は一生かけても取り返せない」という言葉をよく聞かないだろうか。
恐らくみんな一度は聞いたことがあるだろう。
僕もこのブログは読んだ。
今、20代を生きている僕にとってこれから努力していかなきゃと危機感を持つことが出来た。
しかし逆行を言うようだが、僕は社会は18歳で決められてしまうと思ってる。
大概の事は。
やってみなくちゃわからないのに、やる前に決められてしまうのが今の現代社会。

例えば「こうやれば俺はプロサッカー選手になれただろう」と理解が出来るのは大人になってから。
しかし、それを実践するのは、少年時代の僕にはとても無理だった。
もっと具体的に行こう。例えば「wingsジュニア→wingsジュニアユース→市立船橋高校
からプロになれる」と大人になれば分かるだろうけど、でも、子供時代の自分の裁量で「プロサッカー選手になる為にwingsに入団する」というのは決断出来ない。
残念ながら、一人の成人というのは、殆どの場合において「周囲の大人の作品」でしかない。

これは残酷だ。
18歳以降に気付かされても改善は難しい。
子供時代をやり直す事すら出来ない。

簡単な話。
僕はサッカーをやって出会ってきた人で関東リーグでスタメンで出てる選手もいるし、勿論プロサッカー選手もいる。
その世界を今になって見ている訳だ。
それを自分に当て嵌めて振り返って見てみれば
「プロになるなんて99.999999%不可能」だったと思うよ。
うーん、なんだろ、僕は今までのサッカー人生で進路に関して導いてくれた大人はいなかったんよね。
小中高大って、自分からここ行きたい、行かせてくれと。
小学生の時も母に頭下げまくってやっとサッカーやらせてもらえたし、中学の時も10チームくらいは自分から連絡した。当時中学生の僕がね。その時なんてiPhone 5片手にgoogle一本で調べまくったもんだ。
今みたいにSNSすらやってない。
でやっとの思いで「うちでプレーする?」って言ってくれたチームも母に「あんたは向いてない」って言われて白紙にされた。

勿論、才能も無かったんだろうけれど。

子供の頃って本当に無力だと思う。
高校のサッカー部で練習時にプロテインを必ず持参しなさいってコーチから言われていた。理由なんてここに書かなくてもこれを読んでる人であれば当然理解出来るだろう。でも僕の母は違った。
「プロテインを飲むと肝臓が悪くなるのにそれを飲ませるとはなんちゅーコーチだ!」と大激怒された。
「アスリートには必要」
「体を大きくするため」
と僕が一生懸命説明するが、
「私の作ってる食べ物が気に食わないのか」
と屁理屈ばっか言われてどうしようもなかった。
結果的に父がプロテインを買ってくれたが、母が「これで民生が病気になったり、死んだりしたらどう責任とってくれるんだ」と父まで怒りをぶつけていた。
今になって思えば、母は僕がプロを目指す、そこまで言わんともサッカーを本気でするなんてとんでもないと思っていたんだろうね。
まあ仕方ない、父は早稲田の高学歴、父の兄も早稲田で家庭教師もしているし勉学でエリート目指すには申し分のない家庭環境だったからね。
社会で生きていく難しさを重々知っていたから、Jリーガーなんてとんでもないと。
僕からしたらキラキラして憧れてた職業なんだけど、よく子供の頃僕が「将来はJリーガーになりたい!」なんて言うと、母はJリーガーなんてなれたとしてもあっという間に引退する、引退してから皿洗いのバイトしてた奥大介選手の話をよく聞かされていたなあ。
お前は将来皿洗いがしたいのか!ってね。
さらに僕が小学5年生の時にJ3が出来て、バイトしながら生計立ててる選手をあんなのプロじゃないともよく言われた。
まあ子供だから仕方がない。これらのことは大人なら一瞬で解決出来たことだ。
残念ながらその事に大人になって気付いてからでは、既に手遅れなのである。
これは恐らく何でもそうだろう。
勉強だってそうだろう。
大学で一人暮らしをはじめてから、プロテインも好きなだけ飲んでベンチプレス100キロなんて余裕で上がったし、気に入らないものはすぐに止められたし、どんだけ練習しても誰も足を引っ張らない。

おお。
これが僕をとても成長させた。

しかしそれが出来たのは19になってから。
それでは手遅れ。

それまでは、僕のサッカー人生を母が邪魔をし、母が否定をし、母が拒み、母が潰して来た。
九州に来る前に一回あるクラブのコーチに会って僕と話した時、
「民生そんなにやる気あったならうち来れば良かったじゃん」
って言われた時に多くを悟った。

「もっとこうしたい」「これはやりたくない」は子どもの内は、大人が、つまり親が決めることが殆どだろう。つまり親が愚かだと、どうしようもない。自分の為になる事も出来ず、時間が無駄な事も強要される。大事なものを理解していないし、適切なアドバイスも受けられない。そして、大事な事も、人生に関わる重大な事も、勝手に親が怒鳴り散らして、一晩も考えずに、その場の思い付きで一生を決めてしまう。
「お前はここに行け」と怒りでヤケクソに決められても、子どもは実際には従うしかない。大人になれば普通に自分で選べるが。
20歳までの成果なんて、親が決めるものだと思う。「18歳で日本一になった?自分の実力ゃなくて、親の判断が素晴らしかっただけだ」と思う。「メガネを掛けていたから学校でイジメられた」という経験がある人もいるだろう。
今なら「コンタクトにしなかった親が悪い」で決まる。
馬鹿な親に育てられた場合、どうにかしようとすると20歳を越えてからしか、それを変えられない。実際には20歳から始めても手遅れだろう。世間も全く評価もしない。ところが親が賢く賢明で正しい判断をすれば、子どもは知らずに、多くの特をする。親が成功に導けば、子どもはその流れに乗っかるだけ。
ところが親が間違っていた人は「間違っている」と気付くのに時間も掛かるし、自分で始めるには費用も掛かるので大人になってからだ。
しかし、大人になってからは、子どもの頃の実績や結果で評価され続けるので、結局、どうしようも無い。
もっと教育を受けたかったと言っても、それを受けられない。では、自分で何とかするしかないが、その教育を受けられる手続きや費用が準備出来るのは大人になってから。しかし、その歳からでは手遅れで、取り返しも付かず、誰にも評価されず、教育を受けられなれなかったことを一生馬鹿にされる。
何故ならば10代の結果で一生の成果と実績と能力を評価されるからだ。20歳から学ぶ機会を自分で作っても、発揮する場所も無ければ、発揮する機会も社会から与えられない。10代から親の教育によって結果を出して来た人間だけが、20代以降もチャンスを得られる。コレが真実だ。親に恵まれなければ残酷だ。
勿論、幾らか例外はある。しかし、それは親に妨害されなかった場合だ。妨害され、邪魔され、強制され、潰された場合は、誰であってもなかなか難しい。親の扶養を外れて、他の誰かの世話になる事なんて不可能だろう。親が子どもに対して取り返しの付かない判断をすれば、子どもの人生の一生を棒に振る。
年齢には誰も抗えず、18歳で大抵の事を決められてしまい、22歳になれば余計にそう。
もし、大人になってその間違いに気付かされても、もう手遅れだったりする。資金が足りなかったのならば、自分の為に働いて自分の為に貯めた頃には30歳にもなるだろう。
もっと極端な話もある。実母に半ば捨てられ、継父に苦しめられ、高校1年で中退し、18歳で単身でキャリーケースを引いて風俗嬢になった女の子とか。彼女のその人生は本当に本人の責任なのか?僕はそうは思わない。
「僕は素晴らしい選手です」と顔に書いてある選手に出会う事もある。「確かに素晴らしい。でも、そうさせたのは、君自身ではなく、君の周囲の大人だよ」と思う。逆に全く駄目な選手にも出会う。「お前のせいじゃないさ」とも思うんだ。
サッカーにおいて、恵まれなかったからこそ、僕はそう思いたいのもあるだろう。でも、本当にそうであるとしか思えない事にも沢山出会って来た。リオネル・メッシでさえ、バルセロナが病気の治療に手を貸さなければ、今の様な功績は残せなかっただろうし。
人生は難しい。子供の成果は周囲の大人の導きによる物だとじる。そして、せめて、自分の残りのサッカー人生で少しでも良い物を残したいと思う。僕はそんなのなかったから。それをいつも残念に思っている。

じゃあなんで僕は茨の道になるであろうサッカーを選んだんだろうか。
本当に不思議だ。
こんなにも苦しいこと、辛いことだらけなのに。
サッカーをしてなければどんなに楽だったか。
でもサッカーをしている。今も現在進行形で。


サッカーって、怒りとか、鬱憤晴らしとか、嘆きを表現が出来たから、子供の頃から大好きだったのよ。
ゴールを決めたら「ざまあみろ、こんちくしょー!」って日頃の苦しみを爆発させて解放させたり。
キーパーなら、スーパーセーブして雄叫びを上げたり。

俺、サッカーが「楽しい」だけのスポーツなら、もうサッカー辞めてる可能性もあるんだよなあ。円堂守が「俺たちの一点は、全員で取る一点なんだ!」って帝国学園に立ち向かったり剣城優一が「それが本当の運命なら、受け入れた上で乗り越えてみせる!」ってやるから、心を打たれて、サッカーを始めたんよね。

円堂守は情熱を、辺見渡はプライドを、西園信助は身体の苦労を、それぞれ表現してサッカーをしていた訳で。
その為に負けられなかった訳で。
アニメの世界だけどさ。
そういうエネルギーをサッカーでは発揮出来たのよね。

マラドーナは神の手ゴールと5人抜きをフォークランド紛争の意趣返しと言ったし、多くのブラジル人はファベーラから抜け出す為の数少ない手段としてサッカーで彼と彼自身の家族の為に戦って来たし、バルセロナはフランコ政権への復讐心と解放運動の魂がクラブの根底に流れている訳で。

そんな感情を込めて戦うスポーツがサッカーだから、僕は魅力に感じて、サッカーを続けてるんよね。学校で馬鹿にされたり、「この下手くそがー!」って言われる鬱憤をサッカーに込めてプレーしていたからね、小学生の頃から。思い切り相手に蹴りを叩き込めば問題だけど、ゴールを叩き込む事は許されていた訳でね。

その時からサッカーは楽しいことばかりじゃなかったんよ。フランコ政権の独裁への復讐が、楽しい訳ないんだよね。それを超えた何かだったんだけどね、サッカーって。

「サッカーって楽しい」って言うけど、アスレチック・ビルバオのバスク人が楽しさの為に純血主義を続けて戦っている訳ではないと思うし、レアル・ベティスは楽しみの為だけににアンダルシアダービーを戦うんじゃないと思うんだよな。

「サッカーは皆が楽しいもの」ではないんよね。

日本代表がアジア地区最終予選で韓国や北朝鮮、中東のチームと戦う時、相手は足を狩りに行くじゃないかってくらい球際激しく来るでしょ?
でも相手は日本とは比べ物にならないような政治的な背景があって家族のため、国のために命をかけて戦ってると思うんよ。

いつかのアジア最終予選でヨルダンが日本に勝った時とかね。当時小学生だった民生少年はテレビで見てたんだけどさ。
勝った瞬間アンマンのスタジアムはお祭り騒ぎ。
そりゃそうさ、アジア最強の日本に勝ったんだもん。
日本がブラジルやドイツに勝つくらい向こうからしたら嬉しいよね。
政治的な背景を考えればなお胸熱の展開だよね。

でも、そんなスタジアムの大ブーイングとか相手から反則に次ぐ反則を喰らって、楽しい訳ないのよ。
でも、それに負けずに戦うことが、やっぱり人々のハートを打つ訳で。
お豆腐のような人間のメンタリティで「楽しもう」なんてやってもね。
それを求めるならば、ディズニーに行くよ、僕は。

ディズニーみたいな世界じゃないから、サッカーは面白かった。

生きるとか、勝ち取るとか、意地とか、尊厳とか。
人の人生を熱くする。
感情的で、壮観。
それがフットボールだなって。

子供の頃から「感情を出すのは悪あるいは恥」と教わる日本社会では、それを爆発されられたのはサッカーかロックンロールぐらいしかなくて。
だから僕はサッカーを選んだ。

楽しい日もある、悲しい日もある、絶望する日もある。
そりゃ、そうだ。
それこそがサッカーだし、それこそが人生だ。

楽しいことばかり、嬉しいことばかり、いつもハッピーで。
それはおままごとしかあり得ない。
苦しいことがあれば「誰かのせいでサッカーが楽しくない。誰かのせいで辞めたい」と言うのは簡単。
その誰かを排除しても何も変わらない。
自分が変わらないからだ。

何度も言うが、サッカーはおままごとではない。
サッカーはエモーショナルだ。
怒り、嘆き、感情を爆発させることが出来る。

っていう所まで、理解出来ない母親なんだろうな。
現実は酷くて残酷だという現実とは一切向き合わない。
そりゃ、そうだ。プレーして苦しむのは母ではなく、選手(俺)だから。
選手自身が苦しんでいても、理想論と自分の基準と感情だけを押し付けて過ごす。母親なんだよな。

簡単じゃない。
何故ならサッカーは遊戯じゃなくて競技だから。
何処でも点数を競う。
楽しむだけでも簡単なものじゃない。

最後に伝えたいこと。

っていうことでこれらを踏まえて、僕がいずれサッカーを引退して指導する立場になった時、どこ行ったとしても一人でも多くプロにさせることよりも、どんだけ本気でやれたか。
だって正直ほとんどの人がプロになれないわけだし多くの人が夢半ばで現実を突きつけられ絶望する。
そりゃ自分の見る子達全員プロになってほしいよ。
それでも叶えさせてやりたいよ、一歩でも2歩でも夢や目標に対して近づけてやりたい、少しでも良いサッカー人生歩んでほしい。
俺みたいな傷の多いサッカー人生になってほしくない。
でも「本気でやった、ここまでやったけどなれなかった」「民生は本気で、ガチでやってくれた。本気で叶える方法を考えてくれた。民生に出会えて良かった」ってそう思われる大人になりたい。
せめて「ここまでやってダメだった、でもこんだけ本気でやった」って納得させてやりたい。
俺はそれを知ってるよ、最初から無理だって言われることが大人になってどれだけ心に深い傷を負うことになることが。
そんな馬鹿げた大人になりたくない。自分が将来関わる子供達にはそんな思いしてほしくない。
だから今日も本気で生きる。
本気の基準を示し続けるためにね。


どうだったでしょうか。
少し長くはなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
これが今まで僕が生きて来て、見てきた世界です。
少しでも何か感じ取ってくれたら幸いです。

それではまた。

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