トギョカン

 私は司書だ。ただ、私が囲まれているのは書架ではない。生け簀だ。
「お、開館の時間だ」
 私は独りごちると、前掛けの紐を締め直して、和帽子を整えた。それと同時に、引き戸が開いた。
「大将、良いの入ってる?」
 明るい声で入って来たのは、若いサラリーマンの常連だ。スーツ姿で額の汗を拭き取りながら、席に着く。今日も仕事帰りの様だ。
「今日はPCスキルをアップさせるのは如何でしょう」
「それそれ。そういうの! 大将の腕は確かだから、うま〜く捌いてくれて食べやすいし、分かりやすいから助かるよ。最近仕事の調べ物でちょっと参っててね」
 私は生け簀から魚を網で取る。銀色の細かい鱗に黒い筋が2本入っている。卸から旬で一番のオススメと言われ、今日仕入れた魚だ。ちょっと小骨の処理に苦労するかもね、と言われたが、私は難なくそれを捌き、衣をつける。熱した油に滑り込ませると、徐々に全体がきつね色になってくる。さっと取り出し、千切りにしておいたキャベツを添える。
「お待ちどう」
「頂きます! うーん良いお味、そして良い情報!」
 ──ここはトショカンではなくトギョカン。ここに泳いでいる魚たちは、食べると本を一冊読んだのと同じように、知識を得ることができるのだ。私はこのトギョカンの板前だ。いや、司書である。
 図書館には本をジャンルごとに0から9の数字で分類する、日本十進分類法というものがある。ここトギョカンでは魚たちは食べることで得られる知識によって、0から9の生け簀に分かれている。例えば先程のサラリーマン。PCスキルに関する魚は、『0:総記』の生け簀にある。同じ生け簀でも、内容によって細分化されるが、0から9の大きな生け簀から魚を選ぶのが私の仕事であり、やりがいを感じるところでもある。
 サラリーマンが熱そうに揚げたての魚のフライにソースをかけて、はふはふ白飯と食べていると、これまた見知った顔が入って来た。先代からの常連で、高齢の御婦人だ。若々しい、しゃんとした足取りで店内に入ると、着席する。勝手知ったる素振りで『5』と書かれた生け簀を指差す。分類は『5:技術』だ。技術というと幅広く感じるが、料理のレシピに関する魚はここに分類される。
「最近料理のアレンジに凝ってるの。アジヘン? っていうの? そういうのないかしら」
 店内の空調が寒いのか、深緑のストールを羽織りながら呟く。シルバーヘアと相まっておしゃれな印象だ。
「良いの入ってますよ。煮付けでどうでしょう。少々お時間頂きますが」
「待ってる時間も大将とお話できるから、楽しくて良いのよ。とびきりのお願い」
 私は、はいと頷くと、また生け簀から網で魚を取った。赤とオレンジと黄色とが入り組んだ柄の魚だ。まるで熱帯魚の様で、とても食べられる様な見た目ではないが、味は確かだ。鱗を取り、内臓の処理をする。継ぎ足しつつ使っているタレと魚を圧力鍋に入れる。
 サラリーマンが食後のお茶を飲み、御婦人が料理が出来上がるのを待っている間に、また引き戸が開いた。親子らしき二人組が入って来た。運動部出身と言ったような、小麦色の肌で引き締まった体型の母親と、小学校に入る前くらいの女の子だ。こんばんは、と言うとカウンター席に着く。「あの、ここ初めてなんですけど、泣けるやつありますか…? 小さい子向けの魚で……」
 母親の女性が快活そうな見た目に反して、恐る恐る言う。女の子の方は落ち着かないのか、並んだ生け簀を、言葉は発さないがきょろきょろ見ている。
「はい、もちろんご用意ございます」
 先程調理した『0』や『5』の生け簀は実用魚という分類だ。ここトギョカンには、文芸魚というものもある。『9:文学』の生け簀だ。利用者一番の人気で、一番多く仕入れている。食べるとそのストーリーで心が暖かくなったり、爽快な気持ちになる為、リピーターも多い。
「今日入ったお子様にもジンと来るのを、お造りで如何でしょう」
 お願いします、と母親は言って女の子と生け簀を観察している。
「お待ちどう」
母娘が二人で一口。
「わあ。脂が乗っておいしいねえ。アブラガノルって分からないか。あぁ。切ないお話」
と母親が女の子に話しかける。しかし女の子の顔は何故か曇っている。
「──これじゃない。こんな面白いのじゃない」と言って女の子は俯いてしまった。母親は焦った様子で、
「せっかく作って下さったのに、そういう言い方はないでしょ! ごちそうさまは!? 何が違ったの!?」
と捲し立てている。その剣幕に、館内にピリッとした空気が流れる。サラリーマンは湯呑みを置き、御婦人は大将と目を合わせる。すると女の子は静かに、
「みどりのなの。暑い時だったの」
と、御婦人の深緑のストールを見つめて言った。「緑色のお魚さんが食べたかったの? どんなお味かな?」
 視線を受けた御婦人は、女の子に優しい口調で問いかける。それにサラリーマンも加わる。
「他に覚えていることはないかな?」
ノートPCを鞄から取り出し、検索し始める。 そうこうしていると、煮付けが出来上がった。御婦人は困ったままの表情で、箸を付ける。
「おいしいわあ。明日試してみたいアレンジばっかり。それよりお兄さん、何か分かった?」
 サラリーマンは女の子と目線を合わせ、単語を組み合わせつつ熱心に検索している。先程食べた魚のフライの情報をフルに活用している。数分して、
「大将、この魚今日入ってる?」
サラリーマンは私にノートPCの画面を見せた。「これは暑い地方で取れる、昔うちで入れたことがあるやつだ。生はないけど、冷凍があるよ! 今持って来る。ソテーにしよう!」
 私は心弾ませつつ、調理場の奥にある冷凍庫から、魚を探し出した。捌いた後に冷凍しているので白身魚だが、チャック付きビニール袋に魚の名前が書いてある。確かに元は深緑色の魚だ。
 さっそく私は注意深く魚を解凍し、熱したフライパンでソテーにする。付け合わせの人参とほうれん草を添えて、女の子の前に出す。
 一口食べる。女の子の顔がおいしいと綻ぶ。私は内心ガッツポーズをしていたら、
「──おいしいけど違う。もっとさみしいおはなし」
 私は落胆してしまった。顔に出そうになるのを必死に堪える。女の子の母親が
「また今度来ましょう。美味しかったからね!」となだめている。
 すると、サラリーマンがまたキーボードを叩き、御婦人に耳打ちしている。私はその様子を脱力したまま見つめていた。
「あら、分かったわ。ちょっと貸してちょうだい」
と言うと御婦人はすっと席を立ち、腕まくりをしながらずんずんと調理場に入って来た。素早く手を洗うと、冷蔵庫からトマトケチャップ、酢、砂糖など取り出す。
「このお魚はね、このスイートチリソースが合わせるのが良いらしいのよ。さっき私が頂いた煮付けで作り方を覚えたの。アジヘンよ、アジヘン!」
 御婦人が数分で作ったスイートチリソースを残ったソテーに優しくかける。女の子が口にする。「これ! この味! 悲しいけど大切なわたしの大好きなおはなし!」
目を輝かせて言った。
 サラリーマンと御婦人はお互いにグッと親指を立てて健闘を称え合い、私は今度は実際にガッツポーズをしていた。母親も一口食べ、ハッとした顔で女の子に話しかける。
「ダイビングに一緒に行った南国の島にあったトギョカンで食べたお魚さんじゃない! それを探してたのね! おいしくて切ないおはなし。良かったね、また来ようね」
 館内に温かい空気が流れる。やがてサラリーマン、御婦人、親子がごちそうさまと言い店を出る。私は鍋や包丁の手入れをしつつ、
「今日はこれで店仕舞いでも良いかな」
とまた独りごちる。
 ──ここはトショカンではなくトギョカン。私はこのトギョカンの板前だ。いや、司書である。
 今日もきっと明日も、知識を求めて、感動を求めて、何より美味しさを求めてトギョカンに利用者がやってくることだろう。


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