星の海を探して
静かな海は、まるで巨大な手のひらがそっと背中を押してくれるようだった。波は寄せては返し、さざめく水面には夕焼けが映り、赤や橙のきらめきが揺れている。コハルは桟橋の先端に立ち、そんな光景をじっと見つめていた。
「ここは、ばあちゃんとの思い出が詰まった場所だ。」
海の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、遠くからカモメの鳴き声が聞こえてきた。それは、どこか気の抜けたような、けれど郷愁を誘う声だった。コハルは、桟橋の木板を軽く踏みしめる。年季の入ったその感触は、幼い頃、祖母と手をつないで歩いた時の温もりを思い出させた。
「コハルや、海の底には星の海があるんやで」
祖母はそう言って、幼いコハルを膝に乗せ、海の神秘について語ってくれた。光る魚たちが星のように輝き、海藻は夜空を映すカーテンとなり、巨大なクジラは宇宙の秘密を囁くのだと。その話がどれほど現実離れしていようと、祖母の語る世界は、温かく、優しく、そして信じたくなるほど美しかった。
だが、その祖母はもういない。病に倒れ、あっという間に天へと昇ってしまったのだ。
高校を卒業間近のコハルは、進路に悩んでいた。友人たちは未来の話を弾ませ、大学や就職の準備に勤しんでいる。だが、コハルだけが時間の流れに取り残されたような気がしていた。
「私のやりたいことって、なんだろう……？」
その問いの答えは、いくら考えても見つからなかった。そんなある日、ふと祖母の言葉が蘇る。
「心の声に従いなさい。それが一番大切なことやで。」
だが、今のコハルには、その心の声すら聞こえない。世間の喧騒に紛れ、胸の奥に眠る本当の気持ちがどこかへ行ってしまったようだった。
――カシャ。
何の気なしに、祖母がプレゼントしてくれた古い一眼レフカメラのシャッターを切った。
レンズ越しに見る夕日は、まるで新しい世界の扉を開いたかのように、鮮やかに見えた。波の輝き、空を舞うカモメ、そして遠くの漁船の灯り……。
その瞬間、コハルの心に一筋の光が差し込んだ。
「そうだ。私は、この景色を残したい。この海を、ばあちゃんとの思い出を、写真に収めて、誰かに伝えたい。」
それが、コハルの答えだった。
その日から、コハルは夢中で写真を撮り続けた。夕焼けの海、朝焼けの波間、雨に濡れる浜辺……。レンズを通して世界を見るたび、心は軽くなり、胸の奥に眠っていた情熱が目を覚ましていった。
数週間後、コハルは写真学校の願書を取り寄せた。そこに、自分の撮った海の写真を添え、素直な想いを綴った手紙を同封した。
「私の心には、祖母が語ってくれた『星の海』があります。この写真を通じて、その美しさを伝えたいです。」
結果を待つ間、不安はあった。だが、もう迷いはなかった。
そして、ついに合格通知が届いた。
コハルの目は、喜びに輝いた。
彼女は、もう立ち止まらない。祖母の愛に導かれながら、カメラを手に、新たな世界へと踏み出していく。
カシャ、カシャ。
シャッター音が、未来への扉を開くように、静かに響いていた。
それから数年後、コハルはプロの写真家として活動していた。雑誌や個展で彼女の写真は高く評価され、多くの人の心を打った。彼女のレンズは、海の美しさと祖母の思いを切り取り、人々に伝えていった。
ある日、彼女の元に一通の手紙が届いた。
「あなたの写真を見て、私も写真を始めました。星の海を探しに行きたいです。」
コハルは微笑んだ。祖母が教えてくれた『星の海』は、確かに誰かの心に届いたのだ。
彼女は再び海へと向かう。今日もまた、新たな『星の海』を探しに。
カシャ、カシャ。
シャッター音が、未来へと続く旅路を告げていた。
（完）
おわりに：
コハルの物語は、喪失という悲しみを乗り越え、心の声に従って夢を追いかけることの大切さを教えてくれます。そして、過去の経験を未来への糧とし、自分の才能を通して人々に感動と希望を与えることの素晴らしさを伝えてくれます。
私たちもまた、人生の中で様々な困難に直面することがあるでしょう。しかし、コハルのように、喪失と向き合い、心の声に耳を傾け、過去の経験を活かすことで、新たな道を見つけ、夢を実現することができるはずです。
この物語が、読者の皆様にとって、自分の心の声に耳を傾け、夢に向かって一歩踏み出す勇気を与え、未来への希望を抱くきっかけとなることを願っています。
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