親のこと

親というのは自分にとって、良くも悪くも特別な存在あることは間違いないのかなと思います。

何を当たり前のことを言ってるんだ?という感じですが、だからこそ、付き合い方とか自分の中での位置付けを良く考えた方が良いなと思うのです。一番のネックは「親を選べない」ということ。

生まれ変わる時に親を選んでいる説もありますが…そのことは科学的には証明できないので、ひとまず無かったこととして置いておきます(汗)

一般的な感覚だと、「親は自分にとって大事な人」という感覚が常識のようなところがあります。老後に親の面倒見て当たり前、親なんだから、親に育ててもらったんだから感謝しなさいよと。

それはもちろんそうなんですけど、そうはいっても世の中には様々な親子関係が存在します。

「うちの親は毒親だから縁を切りました」とか、「戸籍上の親は血は繋がってないです」とか、「単純に仲が悪いです」とか色々あると思います。

こんなことを書いていると私の生い立ちが壮絶なのかと匂わせてる感じにもなりますが、私の親はまぁまぁ巷で良く居るタイプの親であり、わりと良くある親子関係だと思います。普通に愛情ももらい、育ててもらい、感謝してます。

今日は何を書きたかったのかというと、「親は自分とは違う別の人間として、自分と同じように赤ん坊として生まれて今まで生きてきたのだ」ということを理解するまでに、ずいぶん時間がかかるものだなぁと改めて感じたということです。

どうしても親のことを「自分にとってのアイテム」のような目線で見てしまうようなところが誰しもあったりはしないでしょうか。優しいか優しくないか。怖いのか怖くないのか。自分のやりたいことをやらせてくれるのかやらせてくれないのか。自分のことを理解してくれるのか理解してくれないのか。自分が尊敬できるような生き方をしているのかしていないのか。お金があるのかないのか。…等々。

うちの場合は、父親が母親より三歳年上で、社会人一年目で職場で父と出会った世間知らずの母がそのまま結婚退職してしまい、昭和の典型的な男尊女卑の渦に巻き込まれて、父はだんだんとワガママに威張り散らし、母は悲しみ、父を憎み、私たちの為に経済的な理由で離婚をせず、7年前に癌で他界しました。

私は母親のことを「優しい母」「母に愛されていた」と思う反面、「世間のことを知らな過ぎて思春期以降の私のことが理解できない人」「趣味が合わない、つまらない人」と思っていました。

父親のことは、「母にいじわるでワガママでひどい父」「理不尽に威張っている」「こんな男は旦那とした最低だ」と思う反面、「多趣味で面白い」「個性が面白い」「世間を知っているので思春期以降の私のことを理解できていた部分がある」などとも分析していて、10代後半の頃は父と討論など理屈合戦をするのも好きでした。

それでも、人として好きなのは母。

なんとなく通づるところがあるのは父。(でもここ15年くらいは大嫌いだった)

そして今書いた内容のことは、書いていても自覚があったけれど、「自分軸」での評価。

付き合う友達や恋人や配偶者を選ぶ時、「自分軸」で選ぶのが一般的ですよね。自分にとって居心地が良いだとか趣味が合うだとか価値観が合うだとか。居心地が悪い人とわざわざ一緒にいる選択はしないはず。

だから親のことも、「自分にとって居心地や都合が良いのかどうか」で判断して、親のこと好きだとか嫌いだとか言って、一緒に居たり居なかったりする。しかし親のことは友達や恋人と違って、残念ながら選べない。だから人々は親のことで葛藤したり悩むことも多々ある。

友達の親と比べて、羨ましいと思ったり、またその逆も。

しかし、親はまた1人の人間なのだ。そのことは理屈ではけっこう前からわかっているんだけど、でもどこか自分軸で考えてしまっている。

私の場合は、母が他界した時に初めて母に対して1人の人間として見れるようになった。死んじゃってるから私の人生に対して何か言ったりやったりすることももうないから。「私の母」ではなくて「ケイコさん」としての人生であり生き様であり、その途中でたまたま縁あって私を産んだだけの話。私にとっては母でしかないんだけど、彼女は私の母ということだけが彼女のアイデンティティではなく、学生時代や職場や趣味の会で、又は親戚やママ友達の間での多面性もあるアイデンティティを持つ1人の人間だったと。

そう思うと彼女をますます好きになれた。私とは趣味が合わないから仲良しの友達になれるかどうかはわからないけれど、気持ちの温かい人だからやっぱり仲良くなりたいかもしれないなぁなんて、「もしも同世代だったら」なんて妄想をしたら面白い。

それで、母のことは個人として見れるようになったのだけど、まだ存命の父に対してはなかなかそう思えないでいた。

私の親として、大好きな母を死ぬ直前まで精神的に苦しめた存在。

男だからって女を見下して、自分勝手な父。

相変わらず嫌いだった。しかし、妻を亡くしてしょんぼりしてしまってどんどん老けていく父。弱っている人を見捨てるのもどうかと思うので、できる範囲で父を気にかけ、近所にも住み続けて現在に至る。幸い父は「孫大好き」なのでうちの息子のために色々してくれていて(息子は反抗期で酷いけどめげずに笑)、そこそこ友好な関係は築いている。

そして父も、日に日に体力や知力の衰えも自覚があるようで、妻を亡くしてからは日に日に気持ちも丸くなり、ずいぶんと傲慢さが削げて以前よりは私も付き合いやすくなった。

そんな時ふと、父の実家を継いでいる私の従兄から、何年も前の祖母の葬儀の時の写真があったとCD-Rが送られてきたようで、中のデータを見てみた。

その中になぜか、従兄が家のどこかから発見したらしく、うちの父の若い時の写真が混ざっていた。フイルムの白黒写真をわざわざデータ化してくれたのか。

たぶん従兄が赤ちゃんの時らしい。うちの父はたぶん大学生で、実家に帰省した時の写真なのだろう。赤ちゃんを肩車して嬉しそうに笑う若かりし父。

「おや?意外とイケメンだったんだなこの人」と思う私(笑)

そして、父の若い時の写真は以前にも見たことはあったけれど、内弁慶だからか、静かにはに噛むような写真しか見たことなくて。

その、赤ん坊を肩車した写真は、なんだか楽しそうで嬉しそうだったから、そんな表情は初めて見たし根は悪い人じゃないのだな?と思ったりして。

あとは、庭でタライに赤ちゃん(従兄)を行水させている叔父(父の兄)と叔母(その妻)の後ろではにかむ学生時代の父…なんて写真も。

田舎の三男坊で兄が偉い時代で、でも女よりは男の方が偉い時代で(本当に山と田畑しかない田舎)、世襲で実家は兄しか継げないから1人で東京に出てきて、神経質な性格ながらも頑張って彼なりに都会で戦い、昭和と平成を生き抜いてきたのだなと思う。

妻が世間知らずの年下の優しい女性だったから、年々調子に乗ってワガママになってしまったのだろう。昭和の旦那あるあるだ。妻を亡くしてからもうすぐ8年。最近は時折り、俺がワガママだったと反省のセリフをこぼすこともある。

そんな父を1人の人間として、ようやく好きになれそうだと感じる自分がいる。

母が末期癌だと宣告された時に「私がいなくなって、あなたたち(父と私)仲良くやっていけるのかしら」と心配していた。(私も、仲良くは無理ですよと思っていた…)

それから8年。とりあえずはお互い大人だし、表面的に争わないようにやり過ごそうくらいの気持ちだったけれど。

父が他界するのはいつの日になるのかはまだわからないけれど(田舎育ちの父がわりかし健康なので私が先に死ぬかもしれないけど)、心から彼の生き様を受け入れ、そして親としてしてくれたことに感謝もして、いつか天命を全うする父を見送ることができるのならば、人生って捨てたもんじゃないし人間って深みのある生き物だなぁと思う。

自分ももう40代半ば。本当の意味で親を受け入れるのに、ずいぶん時間がかかっているなぁと思う。

そしてまた、自分の息子も。私たち親のことをどう思っているか知らないけれど(私に関してはすごい嫌われてはないけど尊敬もされてないと思う笑)、彼なりに親の存在を今後どう消化していくのだろうかとも思う。

友達と縁を切りたかったらわりと簡単に切れる。(今なんてLINEなどブロックすればいいなんて思ってる人も多いはず)

でも親のことは、簡単には縁は切れない。切るならよほどの覚悟がいる。だから人は悩み、惑う。

縁を切っても切らなくても、とりあえずは親も1人の人間なのだと。それを受け入れるのって、なかなかに難しいことなのだよなぁと。それをできそうな自分に驚いていたりして、この文章を書きました。誰かに一部分でも共感してもらえたら嬉しいなという気持ちを込めて。

お読みいただき、ありがとうございます。

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