勝手に訪れる人生の転換期、普通だったら選ばない未知の方向へ進むのも悪くないんです。
自分の人生を振り返るのは、書くのが一番だとツイッターで学んだので、ツイッターと同じく備忘録的な感じで、海外就職したときのことをブログに書き留めていきたいと思います。
私は2011年にトルコで現地就職して、その後ベルギーで駐在・現地採用を経験して、今年日本にで転職しました。
海外にかぶれて帰ってきた私は、久しぶりの日本に、初めての労働環境に戸惑ったりして生きているただのサラリーウーマンです。猫二匹飼ってます。
2011年3月に日本にいた私は、まさか自分みたいな、大した取り柄もない、英語も対して話せない、可愛くもない(関係ないけど)、人間が海外で就職することになるとは思いませんでした。今考えるとほんとコンプレックスの塊かってくらい自分に自信がなくて、「海外で働いてみたい」って思ってたけど、それは何十年後かに実現するかもしれない遠い夢だと思ってたしね。
家庭環境について話すと、両親は英語喋れないし、海外経験なんてほぼないし、兄弟もみんな日本にいるし、海外とはほぼほぼ無縁。海外旅行行きたくてもそんなお金もない。何もない。英語も勉強してたけど、話せなかったし。(今でも英語は苦手だが、、、
父にいたっては「海外に留学したい?だったらまず日本のことをよく学びなさい」って言う人だったしね。
そんな超ドメスティックな家庭で育った私が、なぜ海外で就職することができたのか、海外ではどんな生活を送ってきたのかを少しずつ書いて行きたいなと思います。
最初の最初、私が海外で就職した理由は、東北大震災で内定が取り消しになったからです。2011年4月から働く予定だった外資の小さな旅行会社は、日本のビジネスを縮小させなければならなくなり、新卒採用した私を採用するどころではなくなってしまったのです。
ショックで何をしていいか分からなかった。だって第二新卒で就職活動するのは、大変だって思ったから。新卒ブランドを失った私にはもう何もないって思っちゃった。
あの大地震によって運命を変えられた人、きっとたくさんいて、私なんかよりもっと辛い人もたくさんいたと思う。
でもあの時はそのことも考えられないほど、気が動転してた。4月にはいって同期が働き出してみんなが忙しくて会えなくなった時、対象的に家で何もすることがない自分に涙が出た。「自分の人生はもう終わった」って本当にそう思った。
今まで小学校の次は中学校、その次は高校、大学って決められた通りに進んでただけだった。結構優等生でいい成績も取ってたし。でもいざ、「じゃあ好きなことやってください」ってなったとき、何していいかわからなかった。
そんな時に「トルコ語の大会出ませんか?」ってとある団体に声かけられてたけど就職するからってことで断ったことを思い出して、「まだ出れますか?」って連絡したんだった。何もすることがない私は、なにか目指すところが欲しかった。藁にもすがる思いってやつだね。それでトルコ行きが決まりました。
その後にトルコへの就職の道が開かれるのですが、、、
その時に「変に理性を働かせなくてよかった」って思う。あの時なにも考えずにトルコ行きを模索しなければ、今の私はなかった。現実から逃げただけかもしれない。でもあれがなければ、私は今何をしていたんだろうか、、、
そもそも地震が起きていなければ、、、とか思うこともあるんだけどね。日本いようとしていたのに、無理やり海外に出された感じがした。トルコに行くって決めた後、なんだかすごいドキドキしたけど、でも日本での決められたレール(新卒就職)を外れちゃった今、簡単には元に戻れないってことを感じてたから、だから「えいやーっ」って行動したんだろう。でも訪れた転換期の流れに身を任すことは悪いことではないです。
自分の予期せぬことが起きたとき、あなたの人生は変わるかもしれない。
でもそれは、最善の結果への一ステップに過ぎないかもしれないんです。人生で何か起きても、どうにかなるんだなっていう実感。
こんな感じで書いていきます。
トップ画はトルコにあるアタテュルク廟。トルコのお陰で今の私があるのです。第二の故郷、トルコ。
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