トルコへ移住前の一時帰国。出国前日の父親との大喧嘩。喧嘩別れするかと思いきや・・・
内定後の一時帰国
内定を貰ったあと、お世話になった人々に感謝を申し上げて、一度日本に帰国しました。
国を出るために必要な書類や、持っていく荷物を選定するため。
日本からトルコに行くときは将来に対する不安で一杯だったけど、日本に戻る時は意気揚々と戻ってこれた。
「トルコで働くんですよ!」って言える喜びを心から噛み締めていました。
親にもやっと顔向けが出来る。
日本の旅行会社で内定が取り消しになった時に、親が何も言わないでいてくれてほんとうに助かったなって思うんだよね。
ただ4月に名刺入れを親からプレゼントされて、就職が決まったら使いなさいって。
本当は普通に「就職祝い」として買ってくれてたんだと思う。
でももらった時は使いみちがなかったから、悲しくて部屋で号泣したよね笑。
だからやっともらった名刺入れ使うことができるんだよって親に言いたかったんですね。
私もまだまだ若かったな笑。
そして親への感謝を照れながらこっそり伝えつつ、また周りの友人にしばしの別れを告げて、一時帰国の期間を過ごしました。
父親へマジ切れ
このまま和やかに出発可と思いきや、
最後の最後の夕食で、お父さんと喧嘩しました。
父の一言にイラッとしたから。
父「トルコに骨を埋めるつもりで行って来い、もう帰ってこなくていいからな」
私「そんな言い方しなくてもよくない、私は帰ってきたい時に帰るよ!」
父「そんな中途半端な思いじゃ、海外でなんてやってけるわけないだろ」
私「じゃあもういい、帰らない!!!!」
喧嘩モードに突入し、話は平行線。
不器用な父親。
売り言葉に買い言葉。
引かない私。
蛙の子は蛙?
その日はもうそれ以上口を聞きませんでした。高校生以来に父親とまじ喧嘩しました。母は笑ってました。(←おい笑)
普通、子供が遠いところで働くって決まったら、
- 体にきをつけてな
- 頑張りすぎるなよ
- 何かあればいつでも連絡しなさい
とか優しい言葉かけるもんじゃないのか、とプンプンしてました。
出国当日
平日だったので誰も見送りに行けないかもという中、父親だけがスケジュールなし。気まずい雰囲気が流れるものの、ふたりとも、あたかも任務のような無表情な顔をしてバスに乗り込みました。
車中、会話なし。
空港到着会話なし。
しかしまだ出発まで4時間くらいある。(早く着きすぎ)
このまま暗い感じで出発かな、、って思ったその時、
父「寿司でも食べるか」
無言で頷く私。
寿司屋でも終始無言だったけど、お父さんがまた一言、
父「昨日はな、お父さんはああ言ったけど、帰ってきたくなったら帰ってきてもいいからな」
静かに早口で言う。
私「うん、分かった、、、、」
高倉健もびっくりな不器用父娘、どうにかしてくれって感じ。
それからは普通に今後の展望についてポツポツと語り、
出発する頃には普通に会話が出来るようになった。
お父さんのスケジュールだけが空いているなんて、奇跡的だった。二人だけにならなければ関係が修復することはなかっただろうと思われる。不思議。(母の策略家か?)
そうして父からもきちんと見送られて、成田空港を出発しました。
大きいスーツケースひとつとパソコンバッグひとつだけを持って、23歳の女の子は海外に移住していきました。