心には理性にはわからない理由がある
感情を抜いて理性だけで判断することができたのなら、物事はもっとうまくいくかもしれない。
感情や心はいつも僕らの邪魔をする。
期日が迫っているのにどうしても先延ばしにしてしまったり、言わなくてもいいことをどうしても言いたくなって口にしてしまったり、もっと落ち着いて行動すればうまくいったかもしれない出来事というのは、誰しもあると思う。
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『選択の科学』という本を読んだ。様々な心理学実験をもとに、ある状況下における人間の取る選択の傾向がなどが書かれていた。その中でも、興味深かったのが、「人間は物事を直感的に選んだほうが、満足度が高く幸福である」ということだ。
何か自分の人生にとって重大な決断をするとき、就職なんかがその最たる例だと思うけど、自分にとって最良な決断ができるように、いろんな情報をかき集めてあれこれ比較する。
収入はいくらくらいになるか、休みはしっかり取れるのか、仕事内容が自分に合っているか、職場の雰囲気など、比較することが難しいことですら僕らは天秤にかけて見たりする。
実験の結果は、あれこれ情報収集して準備を入念に行った方が、将来的に収入が高かったり、地位の高いポジションに就く人が多い。
なんだ~ならちゃんと準備した方がいいじゃん!
と思うがここがミソとなっている。
その人たちが今の自分の立場に満足しているかというと、実は直感的に選んだ人たち(そこまで準備はせずなんとなくで選んだ人たち)と比べるとそうでもなかった。
考えられる理由としては、いろんなところと比較したがゆえに、自分の選ばなかった方が気になり後悔が募るからだそうだ。
世の中会社なんて何万社とあるのだから、その中から自分と最も合う条件のところを見つけるのは相当難しい。というか誰もできない。
その中でも比較的自分に合うものを選びたいという気持ちは誰しもあると思うけど、求人票に載っている情報だけで、その会社のことをすべて把握したり、それらを比較したりすることはできない。
だから、どこかで諦めることも必要なのだと思う。すべてを知り尽くすことはできないのだから、ある程度「思い切り」というのが大事になってくる。
理性=目に見えるものを観察する
直感=目に見えないものを見ている
僕らは目に映るものを頼りに物事を判断しがちだけど、本質というのは目には見えなかったりする。
たとえ間違った判断を下したとしても、その選択を正解にできるようにまた頑張っていけばいい。
未来のことなんて誰にもわからないのだから、いろいろ経験を積むチャンスだと思って、気軽に考えたらいい。
人生とは選択の連続なのだから、僕らはもう一度選び直すことができる。
そう思ったのでした。