「正解するカド」は『正解』していたんじゃないか?(完結) 神に迫る話
この記事は3本立ての最終篇です。
この記事では、「正解するカド」のメインのSF的アイデアとなっている、『異邦存在の来訪目的』について。それが優れたアイデアであることを書いています。
直下は前2篇のリンクです。
異邦存在が地球に来た理由
我々地球・人類が存在する次元を3次元とすると、異邦存在の世界は40次元(「この宇宙より37次元多い」劇中台詞より)で、我々宇宙の37乗倍の情報処理速度を持っているとザシュミナが説明しています。
なので、異邦存在はその膨大な情報処理能力を持って、どんな膨大な情報もすぐに処理してしまって、深刻な情報不足に悩んでいるというのです。
これは、言い換えると、異邦は「退屈だ」ということです。
例えるなら、大のオトナが3かける3マスの井の字を描いた紙で行う「丸ばつゲーム」とでも言いましょうか。将棋くらいの複雑さがあれば、人は十分に楽しんで、むしろそれを極めるのが至難の技であるくらいなのでしょうが、9マスで行う丸ばつゲームは退屈です。
真道は劇中で違う言い方で表現しています。
「ザシュニナは驚きたいんだ」と。
おそるべき処理速度を持っているので、どんなことも予測可能・想定範囲内の出来事。良くも悪しくも、予期しなかったことが起きて驚くということがないのが異邦の世界。
つまり、退屈だということです。
超次元存在、神のような存在ザシュニナは、退屈から逃れて、たくさんの情報を得て、もう、処理しきれなくて想定外や予想外が起きて、びっくり驚いたりして、その状況を楽しみ、喜びたかったわけです。
それで彼らは、情報量の特異点である人類が存在するこの宇宙にやって来た。何をしでかすかわからない人類は、異邦にとって格好の退屈しのぎになるわけです。興味津々の研究対象と言うべきか。
40次元の存在、人間から見たら神のごとき超存在も、自分だけでは退屈しており。何をしでかすかわからない、自由意志を持った別存在が来て、自分に日々新しい情報、つまり刺激を提供してくれることを求めていたというのがこの「正解するカド」のSF的な核のアイデアですね。
劇中でクローズアップされなかったこのアイデア
しかし、劇中では、この「異邦は我々より37次元上の存在。埋もれるほどの情報が欲しくて地球にきた」というアイデアが提示された直後に、いろんなことが起こってしまって、アイデアの印象が薄くなってしまったのかもしれません。
異邦が高次元存在とわかった直後、善良だと思っていたザシュミナが邪性を現し歪んだ表情を見せるのはちょっとショック、いや、かなりショック。このザシュニナと言う異世界の住人を視聴者はだいぶ好きになっていた頃なので・・・。そして、今や親友関係のようにさえ見えていたザシュニナと真道なのに、ザシュニナは真道を殺そうとします。この展開の衝撃・・・衝撃すぎてみんな嫌悪感をいただき、この作品全体に嫌悪感を抱いてしまったのかもしれない! それって、脚本的には視聴者の予想を超えるすごい展開という事で、すごい脚本だ! と、褒められるべき作品だったはずが・・・すご過ぎて、視聴者を追い抜いてしまったのかもしれないです。
さらには、真道絶対死ぬじゃん! と、思った瞬間、助けに来たのが、まさかの「徭沙羅花 (つかいさらか)」(読めないよ!)。しかも、え!?と驚くヒラヒラスーパーヒーロー・コスチューム。
そのひらひらコスチュームで、この第9話が終了し、エンディング曲が流れます。
えーっ! っていう叫びとともに、『重要なSF的アイデア』は視聴者の驚きと情報処理能力オーバーの中、かき消されてしまったのではないかと。
ザシュニナなら、異邦存在なら処理可能だったかもしれませんが、人間には処理不可能。
もしかしたら、脚本家たちが、ザシュニナという高次存在が処理不可能な複雑な状況を作り出そうと考えているうちに、状況が複雑になりすぎて、人間である視聴者が置いてきぼりになってしまった脚本・・・が、出来上がっていたのかもしれません。残念ながら・・・。
これは、もう、微妙なところですよね。このさじ加減が本当に難しい。
そして、その後の第10話からは、ちょっとしたバトルアニメになっていく・・・。それが許せないという方も多かったようです。
でも! でもですよ。宇宙人が来ちゃって世界がひっくり返ってですね、今となってはもう全く物語に関係ないと思っていた序章エピソードで登場した例の工場! その工場もちゃんとこの最後のバトルに絡んでくるというですね、素晴らしく計算された脚本であるとわたしは思うのでありますが・・・。
しかし、もう、視聴者の多くは、第9話のエンディングからの混乱・憤りでそれどころではなかったのかもしれません。
「異邦が来た理由」のアイデアは、人間が神に迫る発想を包含している
昨今は、進化ではなくて創造、などと、宇宙の創造論から神を解く話などもネットの動画だったり、書籍だったり、あちこちで見られます。
進化論は、もともと「論」と称していますし、真理として定説になった内容ではなくて、いろいろある論の中の一つということなのですね。
一方、物理学の方面では量子力学が進む中で、宗教と科学の融合が進んで来ていたりするようです。
最先端の物理学の研究成果で初めてわかった内容が、実は瞑想で悟った仏教の真理の中に書いてあったことを、物理学者が発見したり。
そうして物理学などの科学が進んでいくと、宇宙を創造したある意思的な存在を想定しないと説明がつかなくなっていると、言うのです。
詳細はまた、専門書などで学んでいただくとして、わたしの拙い聞きかじりの知識を披露させていただくと・・・
例えば、素粒子。最近は、超ひも理論などと言って、物質を究極までに細分化していくと、最後には「振動するヒモ」になるという話ですね。ヒモが振動しているので、波動です。波動エネルギー。(ヒモなので縄で、縄文だったりもしますね)
それで、そうやって、素粒子というのは、人が見ていない時はヒモ状のエネルギーとして存在しているのですが、人が・・・すなわち何らかの意思を持った者が観察すると粒子状になるというのです。
つまりそれは、宇宙が創造された、ビッグバンの時から・・・それは138億年くらい前だそうですが・・・その時から意思というものが存在していたということになる。そうしないと、粒子化できませんからね。
しかし、当然、人類はまだ、138億前にはいないわけです。人類に変わる何か、ビッグソール、偉大なる意思体がその時には存在して、その意思が宇宙を形成して来た・・・という。そういう話になっていきます。
それを、宇宙意思と呼んでもいいですし、サムシンググレートでもいいでしょうし、神でもいいのですが、まあ、何かが居たと。笑
それで、宇宙を作り(その意思がないと、宇宙が具体的な形をとれませんからね)、地球も作り、人も作ったと。それを神と呼ぶことにしましょう。一文字でいけますので。笑
では、神、という存在があったとして。
その存在が、なぜ、森羅万象、宇宙、そして人を創造したのでしょうか? 全知全能と言われる、人間よりもはるかに高い能力を持つ神が、どうして宇宙を作ったり、人間を作ったりしたのでしょうか?
実は、その答えが、「正解するカド」には示されているなと思ったのです。
高次元存在は、予想不可能な情報を求める。想定外、それが喜びの基本! サプライズパーティーとか、サプライズプレゼントね。
異邦存在は、人間宇宙より37次元高い存在として、優れた情報処理能力を持っています。10の37乗ではなくて、この宇宙の37乗倍ですから、すごい桁数倍です。
ちなみに、10の36乗は「澗(かん)」おいう単位になるそうです。初めて聞いた単位です。
日本の数字の単位(参考にしたページ)
http://www2.ucatv.ne.jp/~jay_ion.sun/write%20file/sugaku/01%20tani.htm
それだけの処理能力があれば、何が善で何が悪か、行動の全ての結果や周りへの影響も全て予想できますので、何が正しい判断か、全部計算可能になっちゃいます。そうすると、多数の意思体が居たとしても、自ずと一つの考えに集約されてくる事になるかもしれません。
それって、涼宮ハルヒに出て来た、長門さんのボスの「情報統合思念体」ってのがきっと、異邦存在に近いんですよね。集合意識。異邦存在もそんなふうになっている。たくさんあるけど一つの存在みたいな事になっている。
あるいは、もっと古いところでいうと、富野さんの「伝説巨人イデオン」の『イデ』。これも、集合意識で、人間からすると神的な存在として描かれていましたね。
意思も、無限の処理能力を持って、賢い判断・結論を出せるようになると、一つに集約していくんですね。それ、わたし自身は、何となく感覚的にわかる氣がするんですよね。
例えば、一番身近な例では、親。
親という、子を愛する存在がありますが、これは本当は、父母という2人の人格からなっています。だから、男だし女だし、別の個人が2人居るんですけど、子を思う親という存在になると、もう、一つの存在のようにになってしまう。
そんな風に、神という存在があった時、その神は、もし複数意思がいた種族であっても、知能が高くなり善と愛が高まると、一つのような存在になっちゃう。1個体のような存在になる。
そして、それは、完全で完結している。全部のことがわかっちゃうから。失敗はしないわけ。常に全部正しい選択と行動で、その結果が平穏無事な事もすでに知っている・・・そういう存在。
もし、そういう存在があったら、さぞかし、退屈ですよね。
寂しい。刺激がない。
そこで、別の個体が欲しくなりますよね。自分たちと同等のレベルの知性や内容を備えているんだけど、でも、予測不可能で、様々な刺激を与えてくれる存在。それを求める。
ああ、だから、神がいたとしても、神は人類を作らなければならなかったんだなと。それは、喜びのため、刺激のため。
刺激といっても、親が子から受ける刺激のように。愛と、成長とがあって。その育成を見守る刺激。
神が、いるとしたら、神は喜びたい衝動を持って、創造をするに違いない。
わたしは、「正解するカド」に、神の、人類創造の目的を見たんです。
これって、なかなかすごい、SF的なアイデアだと、思うんです。
「正解するカド」って、なかなか大したアニメだったのではないか。
それが、Amazonプライムに繁茂する残念レビューへの、わたしの反論です。
おしまい