「正解するカド」は『正解』していたんじゃないか?(中編) どんでん返しの功罪
<前編のおさらい>
前編では、2017年TVアニメ「正解するカド」の良さについて、まず、0話の序編からして良い! と書きました。
作品本編がわりかしハードなSFなのに対し、序編は下町ヒューマンドラマ的な内容なのですが、渋いおっさんたちの人情のヒダがしっかり描かれていて、そういう能力も持ったチームが、この後、バリ固SFを紡いでいくという期待感!
そして、本編のSFは、9話くらいまでは期待通りだったのだけれど、その後、おやおや・・・という。
予想外の、それがおおかたの人にとっては良い方の予想ではなくて、悪い方の予想外、つまり期待外れな方向で進行した・・・。
その結果、Amazonプライムのレビューには酷評がずらりと・・・。
「正解するカド」前半のあらすじって、こんな感じ。きっとみんな、ここら辺で『むむ、面白い!』と思ったはずだ。
「正解するカド」の『正解』していた前半とはどんな内容か、ここで初めておさらい。前編の最初に書いておくべきだった・・・。
ある日、日本に、突如上空より巨大な立方体が現れる。(一辺は2km。スタートレック・ネクスト・ジェネレーションズのヴォーグのキューブみたいな感じか)
それは、異邦という別次元からやってきた「ヤハクィザシュニナ」という存在だった。立方体は彼の乗り物とでもいうべきもので「カド」と呼ばれる。(8つの角っこがあるしね)
人類の技術では、この、ザシュニナやカドには全く歯が立たない。2kmの立方体「カド」の外壁がどんな物質でできているか物性も全くわからなくて、オーバーテクノロジーっぽい。いや、そもそもそれがテクノロジーなのかさえわからない。
そんな、超技術を持った異邦存在のザシュニナが、人類にプレゼントを贈る。その一つが無限の電力供給システム。卵大のふたつの物体でどんな電力も供給可能になる。
これを受け入れれば人類のエネルギー問題は解決してしまう。環境問題にも歯止めをかけられる。二酸化炭素を出して発電する行為、放射能の期間がある発電などを全てストップすることができるからだ。
これに対して、人類がどんな反応をするか・・・。
ここら辺から「正解するカド」がSF・社会派作品として面白くなってくる。ザシュニナはわざと日本を接触窓口に選んで現れ、ザシュニナの提案は日本を通して国連に提示されるが・・・国連は、世界は、どんな反応をするか。ここら辺で、視聴者は、「うむ。これは面白い!」と、思ったはずだ。
どんなSFもテーマに『人類』を含んでいる
「全てのSF作品はテーマが『人類』である」
とは、中学生くらいに傾倒した作家:高千穂遥氏の書き物で読んだ一文だ。もしかすると彼も、誰かの発言を引用していたのかもしれない。
ともあれ、その通りだなと、この一文を思い出すたびに思う。
ガンダムであれ、ヤマトであれ、エヴァであれ、スタートレックであれ、アルマゲドンであれ、エイリアンであれ、涼宮ハルヒであれ。「人類」という存在の認識を問うような問題が出てくる。
(これを考え進めていくと、全ての文学のテーマの中に「人類」があるのかも、と、考えるかもしれないが。「人」ではなく「人類」としている部分がポイントだ。)
(ただ、涼宮ハルヒ的な、近年台頭してきたライトノベル系のSFは、もしかすると「萌え」が「人類」を凌駕しているかもしれないという氣はしなくもない。「萌え」って強いんだね。これがおたくが強い理由か。人類文明は絶えず変化するのだな。笑)
そんな中、「正解するカド」は、直球ど真ん中で『人類』を考える作品になっている。そういう意味で、わたしはこの作品を多くの人、特にアニメを観る世代が観ると良いなと思うのだ。
「正解するカド」は、例えば、第5話までを、「社会科」の補助教材として扱っても面白いかもしれない。「正解するカド」そういう作品だ。
第0話から第9話までの流れ(以降、本格的にネタバレします)
第0話は、序編的な下町人情ドラマ。
第1話から第5話までは、宇宙人が来訪して、超技術を人類に提供することになった際の人類の反応のお話。
第2話で、ザシュニナが人類に語りかけます「あらゆる事象において100%という確率は存在しない。わたしがあなた方の敵なのか味方なのか、あなた方は考え続けなければならない。常に思考し続けることが、世界において唯一の正解だから」と。
第6話は、メインストーリー小休止的な、脇道引っ越しエピソード。
第7話と第8話は、ザシュニナから人類に、第2の異邦技術が供与される話。同時に、ザシュニナと人間、真道とヒロインの一人である徭沙羅花 (つかいさらか)の心の交流が描かれます。
第9話。ここで、物語が大きく飛躍します。
この飛躍が、期待と違った! ということで、Amazonプライムビデオに嘆きのレビューが多投されることになったと思われます。
なので、この第9話の分析が我々人類にとって重要だと考えますわい。
問題の第9話 (引き続きネタバレ氣味です。)
第9話で、異邦存在のヤハクィザシュニナが、異邦から我々の宇宙にやってきた目的が明かされます。
それまでは、なんとなく、高次元の存在・・・真道が「お前は神か?」と思わず言ってしまうような存在・・・ザシュニナが地球に来て、人類を新しい段階に導く物語なのかなあ。そんな風に感じながら観ていた物語だったと思います。
それが、ここで大どんでん返し。
まあ、大どんでん返しをすることは、エンターテインメント作品において定石と言いますか、歓迎されることだと思います。
具体的には、その大どんでんが、どんなふうに行われるかと言いますと・・・
ザシュニナ来訪の目的は、ザシュニナと真道の二人だけの会話の中で明かされ、真道はそのザシュニナの目的というか希望をにわかには受け入れられなかったのです。
その、動揺する真道を見て、ザシュニナが、今まで見せたことのなかったような(悪者)表情で、「ち、まだ早かったか・・・」みたいなセリフを吐き捨てて、真道を殺そうとします。あちゃー!
我々の心が受け止めきれなかったほどの大どんでん返し。仕掛け過ぎた故の失敗か・・・
この、第9話では、2つ以上のどんでん返しが用意されていました。
1:神のごとき高次の異邦存在ザシュニナが、人類を導くためにやってきていたのかと思ったら、実は、彼らにも利己的な目的があった。良い者(いいもん)だと思っていたら悪者(わるもん)だった。<人類への裏切り>
2:異邦存在はザシュニナだけだと思っていたら、別の異邦存在が突然出てきた。しかもそれは、異邦と日本政府の交渉で日本側の窓口になっている人物、ヒロインの一人:徭沙羅花 (つかいさらか)だった。
大要素としては、この2つ。
この大要素に補足して・・・
3:異邦側には何か目的があったとしても、ザシュニナと真道の間には友情が芽生えていたと思っていた。しかし、ザシュニナは真道を殺そうとした。殺す・殺さないよりも、真道を物扱いした。何時間か前の真道のデータからコピーを作っていて、本物の真道を殺してそのコピー真道と入れ替えて、引き続き作戦遂行をしようとしていた。<友情への裏切り>
4:新たな異邦存在:徭沙羅花が、スーパーヒーローみたいな格好で登場した! ザシュニナに殺されそうな真道を救ったのは、別の異邦存在である徭沙羅花だったのだが、その、登場の時のコスチュームが、スーパーヒーローといいますか、変身ヒーローといいますか。。。まあ、異邦存在だからスペーシーなコスチュームでもいいわけなんだけど。
なにか、急に作品の傾向が変わったように見えた!
これまで「人類とは・・・」を考えるような、静・動でいうと、比較的「静」な感じの作品と思って観ていたものが、急に変身ヒーローもの(「動」)的な作品に変容した! ように見えた・・・。
こんなことが、ドバーッと起きたのです。
エンタメ作品の演出、脚本の構成として捉えると、この、いくつものどんでん返しを、しかも一氣に1シーンに集約して見せており、なかなかよく作られている・・・と、評価されても良い内容のようにも思うのでが・・・。
どうも、そうはならなかったようです。
この第9話の、わずか2分くらいの内容によって、多くの人が落胆してしまったようなのです。
何が悪かったのでしょうか・・・。
感情的な衝撃が大きく、SF的なアイデアを味わう時間がなかった可能性はないか・・・
視聴者のみんなは、わたしを含めて、謎の異邦存在:ザシュニナをだいぶ好きになっていたのかもしれないです。ザシュニナ、いやつじゃん。と。
その、ザシュニナが急に悪者になっちゃったから・・・。それで、感情がついていかなかったのか。視聴者の感情がフリーズした。
しかし、そこに追い打ちをかけるように、他のどんでん返しも打ち込まれて来るわけですね。
大した役ではないと思っていた徭沙羅花がヒラヒラのヒーロー・コスチュームで登場しちゃった! みんな、まだザシュニナの件で心の着地点を探している時なのに、次のどんでんが来て、受け止めきれなくて、容量オーバー故の怒りに転じたのかも。。。
そんなこんなで、ザシュニナの友情的裏切りと、ハードSFと思って見ていたらソフトな変身ヒーローものに変容するという作品性の裏切りとに目(心?)がいってしまい、この作品の一番の核であると思われる、「異邦存在とは何か」というSF的な大アイデアを味わうことができないまま、視聴者の感情が置いてけぼりのまま、9話が終了します。
今年の5月に、二回目に視聴した時はもう展開が分かっていますから、第9話も冷静に見ることができました。
そうしますとね、この、第9話のどんでん返しの中でまず最初に起こる第1どんでん、「異邦存在の目的」。実は、この異邦存在の目的に、すごく大きなSF的なアイデアがあったわけなのだと思うのですが、それに目がいくようになりました。
改めて考えると、この「異邦存在の目的」の部分、なかなか良いSFアイデアだと思うのですよ。でも、それが、のちに起こる2つのどんでん返しに消されちゃって・・・もったいない事になっているのではないかと思ったのです。
この、「異邦存在の目的」のどこが素晴らしいのか・・・下記リンクの、別記事に続きますです。