デザイナー せりたひろしさん

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​☆せりたひろしさん プロフィール☆

【肩書き】せりたPR企画代表・広告デザイナー、NPO法人とねりこ 理事

1967年佐賀市生まれ
福岡大学中退後、印刷関連会社で校正の仕事に出会う。
面白い仕事ではあったが、契約社員以上になる気はなかった。

1990年代後半には、印刷業界のPC(DTP)化の波が福岡にも押し寄せ、それまでは縁のなかった出版やデザインの業界に関わっていくこととなる。

仕事にできそうな予感だけで、27歳の時にデザインの実務経験ゼロで独立。
最初のころの仕事は、今から思えばパソコン入力のアシスタント程度の仕事だった気もするものの、煩わしい会社勤務からの開放感と仕事を自分で切り開いているような充実感の方が、遥かに優っていた。

この後、この実務経験ゼロは次第に仕事の根幹を揺るがしていくことになり、徐々に仕事は減少。その都度、変わらない自分と向き合うことになる。

40歳を過ぎてからは徐々に決心がついていき、それまで関心のあったNPOの世界の門を叩く。
2011年からは福岡県NPO・ボランティアセンターの相談員として勤務するようになり、いわゆるダブルワークを開始。
それから、「NPOもデザインもわかるひと」として自分の役割、仕事としての居場所を確保していく。

同時にこの頃から禁煙、脱マイカーとプライベートでも変化が生じるように。47歳で通信制ながら念願の芸大生になり、勉強時間はこれまでにないくらい最大となった。

50代となった現在は、お金はないながらも「リア充」な毎日を過ごすと言い切る(願望も含めて)。
今になって急につくりだした自身初となるサイト「悩める人に向けたデザイン相談室(仮)」オープンが当面の目標。

現在、京都造形芸術大学通信教育部芸術学部芸術教養学科在学中。
福岡市博多区在住。

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#福岡デザイナー #フリーランス   #NPO   #広報 #講座 #社会人学生 #HP作成 #デザイン相談室  


はじめに

今回、インタビューをお引き受けくださったのは
福岡を中心にデザイナーとして活躍中のせりたひろしさん(52)です。

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HP制作をはじめとしてチラシや名刺等の紙媒体まで幅広いデザインの制作を行なわれており、初心者向けのSNS広報講座なども行われています。
2016年からは、デザインの学びを深めるべく、通信制の大学にも通われており、せりたさんの社会人学生ならではの視点と、NPO中間支援の業務に携わってこられた経験などがかけあわさっている話を聞くのは、すごく面白かったです。「自分にしかできないこと。自分だからできること」を特に大切に、日々の仕事に励んでいる著者なので、せりたさんの仕事観にはすごく共感できました。また、ブックカバー作り等のハンドメイドが趣味だったり、自宅のプランターでお野菜を育てていたり・・手料理が好きという一面にも驚き!!

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幼少期から50代に至る現在まで・・・どんな人生を歩んでこられたのでしょうか?
せりたさんをよく知る方も、初めまして!の方にも、
少しでもせりたさんの魅力が伝わればいいなと思います。
ぜひ、最後までご覧ください。


第1章.フリーとして生きる


Q、せりたさんの幼少期のエピソードを聞かせてください。幼い頃から「デザイン」への興味はありましたか?


幼少期の私と、「デザイン」を紐づけるエピソードというのは、うーん・・ちょっと思い浮かばないですね・・。

「デザイン」というくくりでみれば、「芸術」や「美術」の分野を想像する方も多いでしょうか?

小学校の図工や美術の授業は、嫌いではなかったという印象ですが、特別好きということもなく・・。(笑)

まあ、小中高と進むにつれて、「写生」とかできたらいいよねーって!デッサンしてみたいなーって願望は、どこか芽生えていました。

直接デザインと関わる話なのかは別として、実は、小さい頃の私はてっちゃん(鉄道大好き少年)で!!

目の前に迫りくる電車を写真に撮って楽しむことが大好きでした。当時、カメラフィルムの現像には結構お金がかかったから、撮影して満足!という感じだったのですが。

なんかワクワクしていたなーってことは覚えています。

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そうだったんですね!意外なエピソードをありがとうございます!

かわいらしい幼少期ですね!よければ学生時代のことも聞かせてください!


最初の学生時代

大学から、地元の佐賀を離れて、福岡大学(商学部)へ入学しました。

商学部への入学を決めたのも、特別な理由とかはなくて・・大学の講義内容もほとんど記憶に残ってない・・です(笑)

大学は1浪後の入学だったこともあり、大学4年生の時に同級生は一足早く社会に出ていたので・・。
当時から、「誰も興味をもたないだろうなー」って思えるものへの興味と関心は人一倍強かったでしょうか。

新聞社と、とある市議会議員の事務所の2つのバイトを掛け持ちしていた時期もありました。

新聞社でのアルバイトは、深夜1時くらいまでは現場に待機していましたが、それでも、辛かった、眠かった・・という思い出ではないですね。

印刷前の生原稿が読める楽しさ。刷りたての新聞をお届けすることができる面白さ。。情報がいち早く伝わる嬉しさ。自分もその情報伝達の役割のひとつを担っているという喜びのようなものが明らかに勝っていました。

市議の事務所での仕事も、そうですね・・。選挙カーに一緒に乗って地域の方々に手を振ったり、講演会の準備を手伝ったり・・。

みんなの先頭に立って指示を出すとか、人前で話すといったことは当時、とてもできなかったですが、それでも、私が加わることで、何かの役に立たないかな・・という思いは芽生えつつあった学生時代だったと思います。

2つのアルバイトのかけもち・・。実際は大変だったのでは!?と思いますが。自分の仕事が何かの役に立たないかという思いが、この頃から芽生えてきたのですね!その後の就職の話を聞かせてください。

その後の仕事

結局、大学は中退します。

ですが1990年代前半当時は、バブルが弾けたとはいえ、仕事探しにはそれほど困らなかったです。

印刷会社の関連会社で契約社員として、すぐさま採用が決まって働くことになりました。

印刷の現場は、職人気質の方が多くて、 印刷=THE 手仕事!職人の仕事!!というイメージが大きかったのですが、これから、印刷業界でもパソコン仕事、いわゆるDTP化が進むという噂を先輩から小耳にはさみます。

アナログな時代からデジタルな時代がやってくるのであれば、時代にあわせて適応できたらいいな。パソコンで仕事するって単純にかっこいいかもと思いました。

そして、全くわけがわからないパソコン用語の勉強を一から行いました。

いまさらこんなこと直接聞けないなあ・・って質問は、飲みに行きましょう!と先輩を強引に誘って、それとなく聞いてみたりもしましたね(笑)

とにかく、あの手この手をつかって、なんとかパソコン技術を習得していこうと必死でした。

今のようにネットショップも普及していない時代だったので、PCは雑誌を読んで、秋葉原のPCショップから直接購入しました。

20万円という価格のローンを組み、初めて購入した当時のこと。。

今振り返ってみれば、Mac(当時はMacintosh)を「なんだあのりんごマークは!ほしい!」くらいの軽い気持ちだったと思います。


※DTPとは・・DTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシングの略)日本語で卓上出版を意味する。書籍、新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をパーソナルコンピュータ上で行い、プリンターで出力を行うこと。


「印刷」と聞くと私もどうしても手仕事をイメージしてしまいがちですが、この頃から印刷業界もデジタルな時代への移行に向けて、少しずつ舵がきられていたのですね・・。せりたさんが独立されるのは、もう少し先の話でしょうか?


そして独立


独立したのは、今から20数年前。27歳の時です。

当時の福岡って、デザイナーや美容師などの職業では独立する人がすごく多かった印象です。

契約社員として働くなかで、このまま仕事を続けてもなぁ・・ということと、この時代の波に乗ってみるか!!と。「フリー」という言葉の響きに憧れる気持ちが後押しして、晴れて独立しました。

フリーになるとは、自分の力だけで仕事をする!ということ!これまで経験したことがないくらい強い覚悟の表れでした。

そして、フリーになってすぐに、別府の観光ガイドブック製作や、九州じゃらんの創刊号の外注スタッフとして携わらせていただけたことは、クリエーターの新人としてもとても良い経験をさせてもらったと思っています。

もちろん、創刊号=「一から作り上げる」ということの難しさや大変さも味わいましたが(笑)

観光ガイドブック製作では、今でいうバーチャル的な編集部(フリーのクリエーターさんの集まり)に入れてもらったことで、いわば編集や出版のイロハを先輩クリエーターさんから報酬をもらいながら学べました。

当時少しずつ進化していたDTPの技術的の習得にも大いに役立ったと思っています。


第1章では、独立当時のお話までをありがとうございました。
印刷屋さんの校正業務の仕事を経て、これからは自分の力で道を切り開いていこう!と独立を決意されたんですね。27歳、、、まだまだ若いですよね!
プライベートな面も知りたいと思いまして。
ぜひ、せりたさんの好きなコトやモノに関して教えてください!


第2章.好きなコト。好きなモノ。

映画、音楽、スポーツ。モノづくりなどが日々を輝かせてくれる

その1【映画】

私は、映画館での映画鑑賞が好きなんですが、これにはきっかけがあって。当時仕事場が一緒だった映画好きからアドバイスされたんです。

ストーリーは追っかけなくていいんだと。これは衝撃でしたね!

この女優さんのこのしぐさが素敵だなとか、この場面でかかる音楽が良かったなーとか!そんな感覚で鑑賞してみたらと。

これで結構、映画の敷居が下がった気がしました。

これまで映画館での鑑賞といえば、当然お金を払っているし、どんなシーンも1つも見逃さないようにしなければ!!!

字幕一字も見逃さない!という意識が強かったですが、例えば、イヴ・サンローランの伝記っぽい映画を観たんですが、「色の使い方」が素晴らしいという新しい見方で最後まで楽しむことができました。

これまではとにかくストーリーを追っかけなきゃって思ってましたが、スクリーン上では細かい工夫が巧みに表現されていて、視点を変えてみれば、180度違った見方が楽しめるんですね。

ストーリーはあんましわかんなかったけど、まあいっかと。映画監督の意図を考えてみると、奥深い世界ですね。


以下、 気持ちを高揚させた映画
2019年 ニューヨーク公共図書館(ナレーションのないドキュメント!)
2018年 ブエナビスタ ソシアルクラブ アディオス(キューバ音楽に心酔)
2017年 リップブァンウィンクルの花嫁(岩井俊二&黒木華の魅力炸裂)


その2【音楽】


普段は、博多駅近郊の福岡NPO共同事務所「びおとーぷ」で仕事を行なっています。

デザイン作業中や、大学のテスト中にクラシック音楽を流しながら作業することになったのも、実は1つ前でお話しした映画が影響しています。

映画って、クラシック音楽がよく使われていますよね。

音楽を聴くと、緊張がほぐれるというかリラックスしてるんです。

知らずに口ずさんでいたり(笑)。

それから、大学の試験はいつもオンラインで受験しているのですが、終了まであと何分かな?と時計をみると気持ちがすごく焦るので、1時間で終わる音楽を流して、受験することにしました。

一種の砂時計みたいな感覚ですね。

曲のこの辺りが流れはじめたらもう後半戦突入だな、とかわかるのがしっくりきて、「音楽=時間」として楽しんでいます。

一定のリズムの繰り返しが、気持ちを安定させてくれるのでしょう。

音楽から少し話題はそれますが、この繰り返し理論は実はデザインの世界でも共通だったりします。

その1つの例が「ドット柄」。

同じ一定の感覚で並んでいるドット柄ってそんなに気にならないですが、1つのドットをずらすだけで違和感があるんですよね。。

それをあえて崩してみるのか?崩さず安定させるのか?それもデザインの面白さだと思います。


以下、 気持ちを安定させる音楽
チャイコフスキー交響曲第5番(特に第1楽章、ほぼ毎日聞いてる)
フジコ・ヘミングのピアノ(特にショパン)

その3【サッカー観戦】

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20代の頃、大阪からプロ野球球団の南海ホークスが福岡にやってきました。

地元の球場でプロ野球を観ることができることが新鮮で、当時の平和台球場が天神から歩いて行ける距離にあったこともありがたくて、よく観戦していました。

そして野球を嫌いになったわけではないのですが、それを上回る楽しさを教えてくれたのがJリーグ!といっても鳥栖限定ですが(笑)。

もともと、J2時代から父親が熱心に試合観戦をしていたんですね。

実家に帰る度、観戦記を聞かされていましたが、、サッカーのどこが面白いんだろう・・と父親をずっと不思議に思っていました。

観戦を始めたら90分間、トイレにもいけないだろうし、0対0なんて点も入らないし、何が楽しいのかと。。

2012年にサガン鳥栖がJ1に昇格して、実際に試合をスタジアムで観戦したら、気持ちが180度変わりました(笑)

選手は90分間走りっぱなしで、体を守る防具もほぼ身に着けていない。

走る、蹴る、また走る、また蹴る、大の大人がそんなシンプルな動作に集中してるわけですよ。

サポーターも含めてスタジアムに集う全員が!!!

これがJリーグかー!!と。

あんまり間を置かず本格的にスタジアムに通うようになって、いつしかスポーツライブ中継 DAZN【ダゾーン】も契約してしまって・・(笑)

しっかりと、どっぷりとサッカー観戦にのめり込んでしまいました。


その4【ものづくり】

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自分の「手」を使って、何かに取り組むことが好きになりました。

大学の入学式の時に、副学長が祝辞のなかで『芸術家は、手でものを考える』と、フランスの美術史家であるアンリ・フォシヨンの言葉を引用されたのですが、これがきっかけです。

当時はアンリ・フォシヨンも知らないし、しっかり名前を聞き取ることもできませんでしたが。そうか、「手で考えるのか」と。

しかし、どうやったら、手で考えることができるのか。

それがわからない訳です。

その日から探してるのですが、これがなかなか大変です(苦笑)。

それから趣味でも、仕事においてもそう、ものの質感や手ざわり・・を大事に丁寧な作業ができたら、と思っています。。

あと料理というか日々の食事は基本的に作っていますね。

小さい頃から母親が作る料理をそばで見るのが好きだったので、キッチンに立つことは全然違和感なかったです。

しょうゆやジャムづくりなどの調味料作り、ダンボールの堆肥づくりも実感が伴いやすいので、面白いですね。

料理だけでなく、牛乳パックをつかっての紙すきなんかも好きです。

この間読書イベントへ参加した際に、卒業間近の学生さんに、手作りのブックカバーをプレゼントしました。

「手作りですか?すごいです!」と喜んでもらえたから、あの時は嬉しかったです。

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第2章では、「手作り」をはじめとして、趣味のスポーツ観戦。映画鑑賞の話などを熱く語っていただき、ありがとうございました!特にサッカーの話は、檄アツでしたね!(笑)せりたさんがこれまで過ごしてきた中で、このあたりから自分の意識がガラッと変わったなー・・仕事にしてもプライベートにしても、変化を遂げたなあー・・と感じたのはどの辺りの年齢ですか?


第3章.40歳からの大変革

人生のターニングポイントは、40歳から!!!

意図したわけではないですが40歳から、生活のスタイルはガラッと変わりました。

まず20代から吸い続けていたタバコをやめたところ、タバコ代が浮いて、本物のビールが買えました。

禁煙は大変でしたが、発泡酒をやめたら本物のビールが飲めるなんて最高!!そんな始まりでした。(笑)


この時期に車を手放したことも、経済的な意味以上に大きかったです。

それまでは、車がないと生活できない!と思っていて、家を出て向かいのコンビニに行くのにも、わざわざ車を使っていたくらいでしたが(笑)

車を手放してからは、自転車をよく使うようになりました。

週3,4回近く仕事場へ行く時にも7kmほどの距離を自転車で走りました。

自転車に乗っているとどこか気が紛れて、喫煙対策にはとてもよかったです!タバコをやめるとご飯がとてもおいしく感じられて、これはちょっと体重増えそうだなーと恐れていたのですが、意外とそうでもなかったのは、自転車に乗ることで良い運動ができていたのかな。。とか!


「運動」の話とも少しリンクしますが、「健康」に関する意識が少しずつ変わってきたのもこの頃からです。

健康診断は「成績表!」1年間頑張ってきた証として写し出されるもの!と思って毎年、健康診断は必ず受けるようにしました。

私の周囲でも、体調不良を感じる人がでてきたり、気づいた時にはかなり病状が進行していた人もいて、1年くらい健康診断を受けなくても大丈夫!と思っていた気持ちは随分と変わりました。

「成績表」は、自分の身体を見つめなおすきっかけにとてもいいと思います。。病気になって、人に迷惑をかけるのは良くないですから。


また、30代まではどこか型にはまった自分がいて、「~しなければならない」と考えることが多かったのですが、「たまにはこんなこともあるよね・・。うまくいかない日もあるよね・・」という考え方へとシフトするようになりました。

仕事はひとりで行うことが多いので、自分の中に「もう一人の自分」をたてて、「これって本当に今日終わらせとかないといけない案件だっけ?」と問いかけてみたり、気持ちに余裕が生まれてきたんですかね。。

客観視して「自分」を見ることができるようになったのかもしれません。

すぐに上手く行くなんて保証はどこにもありませんが、仕事に関しても自分の幅を広げていこうと!

今までと全然違うことをやってみようと思うそんなきっかけがありました。

ライフスタイルの変化に加えて、仕事への取り組み方といいますか・・
意識的ににも大きな変化が出てきた40代だったんですね。
デザイナーとしての自分なりのスタイル、
そしてここまでの軌跡をどう感じますか?


1万分の1の現実を突き付けられたそのときから


第1章 そして独立 の項目でもお話ししたように、私が独立した27歳の時、周囲は同じく独立する人だらけで・・。

福岡市内にはデザイナーや美容師といったフリーランスが1万人いると、講座へ参加した際に聞かされました。。


1万分の1・・
えー そんなにいるのーという不安は頭の中をぐるぐるめぐっていました。

果たして、専門の学校も行ってない、デザイン事務所で働いた経験もない自分が、そもそもデザイナーという職業を名乗って良いのか?という葛藤もずっとありました。

自分にできる要素は何がある??と探り続けた20代後半。

PCのスキルを磨きながら試行錯誤を繰り返した30代。

そして、自分はこれかな?がようやく見えてきた40代という感じでしょうか。

手さぐり状態でありながらもここまで突き進んできたので、

何だってやってみよう!チャレンジだ!という気持ちで、

40歳からまた新しいドアを開くことができたんでしょうね。


20代、30代、そして大きく変化を遂げた40代を経て、
今のせりたさんがいらっしゃるんですよね。
40代からは、新たにNPOにまつわる知識を深めて行こうと
新しい扉を開けたせりたさん。
そのあたりのお話も少し聞かせてください!


NPO中間支援の経験


2011年の初春に、当時福岡県NPO・ボランティアセンター(県ボラ)で相談員をしていた今村晃章さんに、仕事の相談をしたくて久しぶりに連絡をしました。

どうしたら自分が1万分の1から抜けられるか、どんな選択肢があるのかを考えていた頃だったので、県ボラの仕事というか、今村さんが携わられているNPOの中間支援のお話を詳しく聞きたかったんです。

自分が働くというか関わることはできるのだろうかと。

後日今村さんからは「働いてみますか」と快く受け入れてもらったこともあって、その年の4月1日から働くことになりました。


最近では、「NPOの広報」にまつわるお話を仕事とすることも増えてきたのですが、当時はまず「NPOとは何か?」を学びたくて働きました。

ただ、20年近く個人で仕事をしていたので、お給料をいただくというのも久しぶりの経験。

新聞記事を読んだり、先輩相談員の今村さんが窓口で相談に来られた方へ対応するのを間近で見て勉強しました。

まさしく、「学びながら働く」という言葉がふさわしかったです。


特に、仕事を始めてすぐに経験した東日本大震災時の対応は貴重でした。

窓口で勤務していた私が電話を受けると、「東北が大変な時に、おまえはオフィスで何のうのうとしているんだ」と結構な勢いで怒られたんです。

県の対応に対するクレームをまともに受けたかんじでしょうか。

仕事を始めてすぐだったので電話の切り返し方も上手じゃなくて・・

すごく悶々としました。

9年ほど前のエピソードで今となっては懐かしい話ですが(笑)


相談業務も講座も「傾聴」を大切に


こうして相談員としての業務も行いながら、自身がインプットし続けてきたNPOや広報にまつわる知識をアウトプットする、

「講座」の仕事が近年では新たに加わっていきました。

と同時に、相談員の業務にしても講座にしても「どう思われますか?」と質問を投げかけられることも増えてきました。

当初は、スムーズな提案、回答が相手を喜ばせるだろうと思い、真っ先に「答え」を伝えようとしていましたが、

経験を積み重ねる中で、次第にいわゆる「傾聴」を大事にしなければならないと。

相手が本当に聞きたいことは何か?何が本当に困っているのかをしっかり聞き出すことが大事だと気づいてきました。

ここですぐに答え(自分なりの見解)を言ってしまうと、確かに喜んではもらえるのですが。。

例えば、その場合は「A」ですね!と言いきってしまうと、その他の「B」や「C」に顧客が目を向けなくなってしまうかもしれない・・

そもそも本当に聞きたいことはそこだったのか、わからなくなってしまうんです。。

NPO法人設立の話などになると、手続きを詳しく把握しないまま、設立後に困ってしまって相談するというケースは多くあります。。

まずは相手のお話をじっくり聞くことから始めて、培った経験を活かしながらアドバイスするよう心がけています。


これまで、ひとはずっと変わらないことがいいこと、

かっこいいことだと思っていました。

しかし、ひとは変わっていくもの、

変わっていってもいいものだと気づきました。

そう思うと随分心持ちが楽になりました。


やるもやらないもすべては自分次第なんですね。


人前で話すことはとても。。

と思っていた学生時代からは少し想像しがたいくらい、

人前で話す仕事が増えてきた現在の自分の姿を見てもそう思います。


そう考えると「1万分の1の現実」をどう捉えるのか自体が、

自分の捉え方次第ということに気づかれます。

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40代からNPOに関する知識を深めるべく、新しい世界の扉を開いたせりたさん。「変わること」を恐れない姿勢。やるもやらないも全ては自分次第だという言葉。フリーランスになりたての私に、すごくグッときました。さらに近年では、Wワークのみならず、通信制大学に通う学生として、勉強も行われている芹田さん。これもまた新しいチャレンジですよね!


第4章.社会人学生


場所が離れていても人とは繋がることができる

2016年からは、社会人学生として1歩を踏み出しました。

京都芸術大学(旧京都芸術造形大学)の通信教育部で、オンライン講義(テストもオンライン)を受け、単位取得に励んでいます。

最大9年通えること、長きに渡って1つの場所で勉強ができることに魅力を感じました。

講義に関しては、99%が知らなかったことで、こういった学ぶ機会がなければ、知りもしなかったという内容だったので、入学して本当に良かったと思います。

今年で早くも5年目となる社会人学生生活ですが、普段の仕事を行いながら学生としての勉強をするという日々のスケジュール管理は試行錯誤の連続。。

最初の1年くらいはとても苦労しました。

もちろん普段の仕事も学びの1つではありますが、学生というと、期限までにレポートの提出が求められたりするわけです。

私の場合、「レポートってなんだろう・・どんな風に書くのだろう」という、実に初歩的なところからのスタートで(笑)

最初の頃に「レポートは感想文ではありませんよ。」と先生からアドバイスをいただいたことは、今では懐かしい思い出です。

例えば歴史の講義に関しても、その時起こった出来事を、「ふーんそうなんだ。」と鵜呑みにして解釈してはいけないと。

「なぜ、その出来事が起こったのか?」の問いを持ちなさい。問いを持つことが大事です。とご指導をいただきました。

入学は47歳ですが、この年齢になるまで、こんな大切なことを知らなかったんだなと。。そんなエピソードがたくさんあります。

学生だからこその特権を噛みしめながら(映画や美術館が学割とか)、また大学で学んでいる知識が、実際の仕事にも役立つことも増えてきました。

社会人学生は楽しいですよ!やめられません 笑


オンラインコミュニティーづくり


今は日本中、世界中どこにいても誰とでも繋がることができる、そんな便利な時代になりました。

現在、私が所属する学科(芸術教養学科)には、2,000人近くの仲間が在籍しているそうです。

年齢でいうと、40、50、60歳が多く、通信といいながらネット環境に慣れていなくて、オンラインが苦手な方も少なくないのが実情だったりします。


大学は京都にあるので、京都近隣の方であれば、直接大学に行って、先生や仲間とのコミュ二ケーションをとることも可能でしょうが、九州というと距離もあってなかなかそうもいかない・・。

ならば、九州に住んでいる学生の方を集めたコミュ二ティーを作ってみてはどうだろうか??と思うようになりました。

オンラインではできないことをこのコミュニティではやってみようと、オンラインで行われている「レポ見せ」(学生同士が履修し終わったレポートを共有し振り返りを行うイベント)をあえてオフラインでやってみたり、時には皆さんで美術館に行ったりしています。

私の役割は、そういったイベント企画や先生への交渉、参加者集めなどなど。

今は10〜15人くらいに(それも九州一円、山口、関西、関東、昨年はイタリアから佐賀に帰省中という学生もいる)ご参加いただいていて、今後も年2回ペースくらいで企画できたらと思っています。

通信制の大学や高校などが、近年すごく増えてきましたよね。社会人であっても時間を有効利用しながら通える、そんな仕組みも随分と整ってきたなと感じています。オンラインだからこその利点ももちろんですが、オンラインでは難しいこと(学生同士が直接会える仕組みを作る、ツアーイベントを組むなど)を自発的に考えて行われているせりたさん。驚きました!!メンバーにとっても、忘れられない、楽しいイベントになっているはずです。年2回くらいのペースで是非是非交流を続けていただきたいです。


第5章.これから取り組みたいこと

デザイン全般で悩める方のための相談室を開設できたら良いな・・と思っていて、現在サイトを誠意制作中です。

デザインと聞くと腰が引けたり、よくわからない、不安だという人たちに向けて、オンラインでの相談や講座などを準備中です。

デザイン学校に行ったり、デザイン事務所の経験がない分、今でも素人に近いので、その目線にたって相談しやすい雰囲気をつくりたいですね。

ぜひ、気になることがございましたら直接、

下記の問合せフォームに記載しております

メールアドレスよりご連絡いただけましたら嬉しいです。



【問合せフォーム】
せりたさんへの質問はこちらまでどうぞ!!
E-mail seriplus@gmail.com


【編集後記】


せりたさん、長きにわたるインタビュー、お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

当初、2時間で予定していたものの、インタビュー終わりに時計をみたら、まさかの2時間超過!!(笑)

想像上に盛り上がり、会話が止まりませんでした。

お知り合いになってからは、まだ2年余りかと思うのですが、インタビュー中に見えてきたせりたさんの素顔は、今まで見たことないものに感じられました。

どちらかというと、「冷静で、落ち着きある大人」というイメージが強かったせりたさんで、イメージカラーは紛れもなく、ブルー!でしたが、インタビューを終えた私が感じたカラーは情熱や熱血!に近いイメージをもつ「オレンジ」です。真逆・・・(笑)

「デザイナーという職業柄、おうちのインテリアにもこだわりをもったりするのですか?食事の時のお皿の柄やデザインなんかも気になったりするのですか?」なんて質問を投げかけると、

「いいえ。あまり暮らしの中のデザインは気にならない・・というか気にしていないです。」とのお返事がかえってきたのですが、

日々の過ごし方のお話をうかがっていると、デザインの規則性にまつわるお話しがわんさか飛び出してきましたね。(笑)

無意識なのかもしれないけれど、・・せりたさんの頭の中にはデザインに関することがぎゅーぎゅーに詰まっている。。

というかあふれかえっている!!!と笑ってしました。(笑)

せりたさん、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。


【キャッチコピー案】

インタビューをもとに、
お人柄や、仕事観などをイメージして、
世界にたった一人の
デザイナーのせりたさんに向けた【キャッチコピー】を作りました☆


相感(そうかん)デザイン
意味:相手のことを思う気持ちをデザインに活かす。
感じたことを思いのままに表現する。
使い方:デザインをそうかんする など


作成する中で【そうかん】という言葉はすぐぱっと浮かんだのですが、
漢字の組み合わせをどうするのかですごく迷いました。。。


候補は以下の4つ。
創感 感じたものをそのままに創り上げる。
相関 あるものの影響を受けてかかわり合う。
想感 思う。感じる。
奏感 かなで。を感じる。(音楽好きということなので・・)

せりたさんにもご意見をお伺いしたところ
」 と 「」 の 2文字をお選びいただきました!
わっ!この漢字の組み合わせもあったか!と
ちょっぴりしてやられた気持ちになりました(笑)
相手のことを思う気持ちを大切にしてこられたせりたさんにぴったりです!

お仕事の中などで使っていただけると、とても嬉しいです。


「伝える」達人 目指します! 伝達屋 高橋 加央里


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