元テーマパークダンサー無職8日目の記録
無職生活も、はや8日が経過。
最近はただただひたすら一日が過ぎるのが早く、何か行動を起こさねば、という焦燥感に駆られているかもしれない。
今無職で時間があるという利を最大限活かし、今まで会いたかったけど会えなかった人等にひたすら会ったり電話をしたりしている。
・職場で作ったアメリカ人の友人
・高校の部活で一緒だった友人
・大学時代の後輩
・ダンススタジオの先輩
・そして家族
日程も幾らでも相手に合わせられるので、ひたすら会いに行き、近況を報告しあい、その人その人と楽しめるトピックについて語り合う。
考えてみればこんなにも素晴らしい友人知人に恵まれているのは感謝したいことだな。皆優秀で自らの道を走っている。
自分だってそうだ。自分だって今までダンサーとして毎日舞台に立ってお客様に向かって仕事をしてきた。
正直なところを伝えると、毎日必死こきながら舞台に立って、その板の上で見せている笑顔が真の笑顔なのか偽りの笑顔なのか、分からなくなった時もある。
正直、今何故ここにいて、何故この仕事をして、これからどうしたいのか、毎日舞台に立ってはいるけれど、正体不明の様な感覚に陥った時もある。
それでも時間が来たら会社に行き、時間が来たら踊り、という生活を送っていた。勿論今は「ありがたさ」の繭で包まれているかもしれないけど、その芯にはモヤモヤとした疑念が渦巻いていたのも事実である。
ただ、そんな状況から抜け出して、今は何も自分を縛ることもなく、大きなプレッシャーや精神的肉体的な疲労に苛まれることもなく、言ってみれば平和な生活を送っている。
それは自分の表情にも出ているようで、今日お会いしたダンススタジオの先輩には「顔がスッキリしている」と言われた。
確かに、自分でもスッキリしていると思う。
以前は汚泥のようなものを心に抱えながらジョッキを傾けていた記憶があるもの。
「良い形で終われたんだね」そうその人は言った。
僕もそれは間違いが無いと思う。
最終日が近づくに連れ、まるでそれは人生を幕を自発的に閉じるか如く、お世話になった人に手紙を書き、挨拶に行き、そして最後の最後まで命を燃やし舞台に立つ。
多くの先輩方や後輩に見守られながら最後の舞台を終え、最後に緞帳が降りた時の景色は忘れられない。僕の横にいた先輩の素敵な笑顔も。
だからこそ、こんなに幸せな形で、有終の美を飾れたのは本当に良かったと思う。
多くの人に感謝をし、多くの人に感謝をされ、別れを惜しまれ、しかしながら去ってゆく。
いずれ自分も人生を終える日が来る。
その時も、こんなふうに終われたら、と思う様な完璧な、この上ない終わり方だったと思う。
なんだかしんみりしてしまったけれど笑、今はゆっくり時間を取りながら、それでいて時間の制限は決めながら自分の心と身体をぴったり合わせていく作業を行いたいと思う。
そう、それは掌と掌をゆっくりと合わせるようにー。
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