「アルゴリズムの外側」へ行ってみよう。友と2人で
VOGUE JAPANのこちらの記事がおもしろかったです。
アルゴリズムによって制御された、くるくる回るタイムライン。
そこで情報が消費されるのが当たり前になった今、ファッションもそのスピード感に合わせて消費されるようになったと。
それに疲れた人たちが「目立たない格好」をするようになった。
というような内容だ。(しかし「目立たない格好」もそれはそれでトレンドのようだけど)
わたしも日々、思うことだが
アルゴリズムの外側
に対する需要は、日に日に高まっているように感じる。
レコメンドではない、ほんとうの偶然がある場所。
そこでの人と人との繋がりや、喜び、楽しさ。
競争意識が緩められ、ほっと一息つけるような場所。
伊藤洋志さんという方が、それを「イドコロ」という言葉で表現されていたように思う。
しかしSNSとかタイムラインの難しいところは、その「アルゴリズムの外側」すら、SNSで消費するための対象になり得ることだ。
例えばサウナやキャンプといったことは、そもそもは五感をフルに働かせるアルゴリズムの外側に属する行為だと思う。
しかし、SNSでシェアしたいがためにそれらの行為を行う人も少なくないと思われる。
そうなった時、「外側」が途端に「内側」へと変貌し、件のスピード感というものに、自らすすんで巻き込まれる事態になる。
しかしシェアしなければそのコンテンツは広がりを見せることはなく、それはそれで人は寂しさを感じるだろう。
そして何より、冒頭のニュースも実はGoogle Discoverから読んだ記事だ。
思いっきり、アルゴリズムによってデリバリーされた情報なのである。(そしてそれをまたnoteでシェアするのも、アルゴリズムの内側かもしれない)
アルゴリズムの外側に逃れるのは、容易なことではない。
だからこそ「アルゴリズムの外側」は、コンテンツを消費した上で、さらにその場で共有・共感できて完結できる場所であることがが求められる。
さて、それはなんだろうか。
「家族」か「友達」か、または「田舎」なのか。
もはや「アルゴリズムの外側」がどこにあるか、わたしたちは思い出せなくなっているのかもしれない。
全てではないにせよ、自分もそんな場所や時間をコツコツとつくっていけたら良いなと思う。
とりあえず、古い友人に声かけてどこかに遊びに行こうかな。
シェアなんてしないで。