買い物のハードルが爆上がり

この半年ぐらいの顕著な変化としては、買い物が本当に苦手になってしまいました。

特に、平日夜や週末に激混みする食品スーパーが苦手で足が遠のいています。

食品や日用品など、生活に密接に関わることゆえに、そこに集まる人々は決して楽しい気分ばかりの人ではないのかもしれません。生活に対する焦りや不安などの想念が集まっている「氣」のエネルギーにやられがちです。

気のせいかもしれませんが、周りのお客さんと歩調が合わなかったり、店員さんとのやりとりで、イライラしてしまうことも増えました。人が多く集まれば必然的にそういうことが増えるというシンプルな話なのかもしれませんが、波長が合わない感覚がひしひしとあります。

日用消耗品はなるべくネットで購入。そもそも厳選し、必要なものはそれほど多くないため、値段はあまり気になりません。また、当然割高にはなりますが、人が少なく、行列に並んだりのストレスがないため、スーパーよりコンビニを選ぶことが増えました。こちらもそもそも買うものがありませんが。

しかし、買い物を通じても、食べるということから距離を置くタイミングなのではという気づきをもらっている気がしました。

食に限らず、衣・食・住に関して、私たちは過剰に取り込んで疲弊してしまっているのかもしれません。現代人が、最も時間とエネルギーを割いている家事は買い物。稲垣えみ子さんの最新作でもそのことが述べられていて非常に共感しました。
家事は面倒なものではなく、私たちに生きる自信と希望を与えてくれるもの。

極論ですが、全ての行動が自分の幸せにつながっていなければ、それをする意味がないと思います。小さな日用品の買い物ひとつを取っても、です。

自分自身も経験があり、いまだに精進中の身ですので、骨身に染み渡るほど気持ちがわかるのですが、洋服売り場の女性たちが発するエネルギーも超苦手です。女性にとって洋服とは、生きる楽しみや自己表現もあるでしょうが、周りから求められる、巷に溢れるこうあるべきというイメージ像に苦しめられている気もします。そして、現状に不満がある場合、手っ取り早く自分を変えてくれそうな気もする。

可愛い服に心躍る反面、生活の予算やクローゼットの片付けの事が頭をよぎり、まるでため息をつきながら、服を手に取り、棚に戻す様子を見て、これを買ったとしてもきっと幸せには繋がっていかないよな〜などと考えてしまいました。失礼ながら。

私の場合、自分の着たい服がわかっているつもりでした。でも現状は買っては捨てて(捨てることには躊躇ない)の繰り返しで、そこに大きなストレスを感じていました。理想はもっと目の前の物を長く大切にしていたかったし、常に新しい服のことを考え、暇さえあれば服の情報を漁ることにも疲れていました。

改めて、服に求めることを明確にしたら、なぜ結局捨てるはめになってしまっていたのかが分かり、世の中の服の99%が自分の選択肢から消えました。笑
例えば、デニムは着回しが効くし、丈夫だし、一本は持っていて当たり前という固定観念がありましたが、デニムのゴワゴワ感が全然好きじゃなかったことに数十年も気づかずに生きてきました。こういうことって他のことにも言えることなんじゃないかと。

仕事や日常生活では、楽しいことばかりではないはずですが、自分がストレスに感じているなら、心の声を無視せずに、どんな気づきを与えてくれようとしているのか、どうしたら自分にとってより良くなるのか、過剰すぎないか、そもそも食べたいのか?着たいのか?立ち止まってみるのがいいかもしれません。

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