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そんなにセミリタイヤしたいですか?

最近よく聞く言葉に、「セミリタイヤ」というのがあります。
株やアフィリエイトで稼いでセミリタイヤしたい、とか、実際にセミリタイヤ中とか。

自称ミニマリストのブロガーの中にも結構いますね。小さく暮らしたらセミリタイヤも可能だろうから断捨離に励む、とか、まるでそれが人生のゴールみたいな言い方をしている人もいます。

でも、セミリタイヤ(もしくは普通にリタイヤ)とか、そんなにしたいですか? 私はいやです。できることなら生涯現役でいたいです。

「セミリタイヤ」の意味

そもそも「セミリタイヤ」という言葉を使う人は、それをどういう意味で使っているんでしょう。会社勤めやフルタイムの仕事から離れて、余暇を楽しみながら生きる、という感じでしょうか。

セミリタイヤは和製英語だという記述も見受けられますが、そんなことはありません。英語でも semi-retire という言葉は使います。 アーリー・リタイヤ(早期退職)と同義語のように使う人もいますが、厳密にいうと違います。

英語の表記に沿うなら、アーリー・リタイヤは定年する年齢に達する前に、第一線から退く、退職をする、ということです。これは主にタイミングの問題です。

これに対して、セミリタイヤは、英語のオンライン辞書によると、「Working only on a part-time basis, as for reasons of ill health or advanced age」(健康上の理由や加齢のため)パートタイムでのみ働くこと、とあります。

「セミリタイヤ」の目的はなんなのか

健康上の理由、または家庭の事情で、フルタイムでの就業を断念する、というなら仕方ありませんが、「セミリタイヤしたい!」と言ったりブログに書いたりしている人達の大半は、そうではないと思います。

会社勤めであれ、自営業であれ、今はフルタイムで働いているけど、しんどいからパートの仕事にかわりたい、というわけじゃないですよね?(そういうケースもあるかもしれませんが)。

おそらくは、「好きな時間に好きなことだけして、楽して生きたい」っていうことなのかなと思います。当人の意味するところが定かでないので、憶測にすぎませんが。

でも、それって、はやくボケそうです。

仕事というのは、こなすべきノルマ(仕事量)、困難なこと、締め切りなどの「負荷」があるから、技術や能力がアップするのです。もちろん限度もありますし、ストレスいっぱいのブラック企業にとどまれと言っているわけではありません。

ただ、自分の楽しみのためにだけ生きていると、結局は薄っぺらい人生しか生きられないように思います。

仕事がある=「仕事をする能力がある」のは恵み

仕事をする能力や機会が与えられている人が「セミリタイヤしたい」という言葉を使うとき、なんだか「働く」ということへのネガティブ・キャンペーンみたいな気がして、どうも引っかかります。フルタイムで仕事をしたくても、いろんな事情でできない人もいるのに。

「割に合わないから辞める」というのも一つの選択かもしれませんが、仕事というのは、給料だけで測られるべきではありません。どんな仕事でも、何らかの形で他の人や社会の役にたっているはずです。(当然、まっとうな仕事であるなら、ですが)

私が出勤するとき、毎朝会う初老の男性(というか、おじいさん)がいます。彼の仕事は窓ふきで、この街の主だったショーウィンドウのクリーニングを請け負っており、月曜から金曜は、毎朝バケツ片手にショーウィンドウをきれいにして回っています。

一度、「頑張ってるねぇ。どのくらいこの仕事やってるの」と声をかけたら、「もう、長いことやってる。ずっとやるで」(英語でですが)、と言っていました。生涯現役を絵に描いたようなひとだなぁ、とちょっと感動しました。

むろん、楽しんで仕事ができればそれにこしたことはありません。ただ、楽しんで仕事をする(またはそうしようと努める)ことと、「ラクして仕事する」「しんどいことは一切やらない」ということとは違います。

経済活動、社会貢献の一端を担う「仕事」という機会を放棄して、ただ楽して悠々自適したい、というのなら、もったいない生き方だと言わざるを得ません。