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親の死とどう向き合うか
父が死んで2週間たちました。84歳でした。
ブログに書くことではない、と最初は思っていましたが、似たような状況にあるかたもおられるかもしれないので、気持ちの上でどう対処すべきかについて書き留めておこうと思います。
「ブログに書くことではない」と書きましたが、それは私が海外でひとり暮らしであるがゆえに、感情のむくままブログに吐露すると、父の他界について最初にアウトプットする相手がネット上の不特定多数になるからです。
父の死をそういうふうに扱いたくはありませんでした。
でも、ふつうは親しい誰かがそばにいて、まずはその人に話すでしょう。あるいは、死亡の通知は近しい人から電話でうけ、その時点でいろいろ話す機会があるかもしれません。
なので、ご親戚や知人を亡くされた方は、遠慮せずにブログでもほかのSNSにでも書いていいと思います。それが慰めになるのであれば。
ここでは、親(またはそれに代わる人)との死別がどんな心理的影響を及ぼすか、また、それとどう向き合うかをできるだけ客観的に書いておきます。
大事なことなので、以下はイギリスのホスピスの資料を参考にし、自分に照らし合わせて書きました。
親との死別:いろんな感情が無秩序におそってくる
亡くなった人との関係や個人の性格によって影響は異なりますが、死別を知らされた際には、様々な感情が交錯します。そのサイクルは一定ではありません。
覚えておくべきことは、コントロールを失ったかのように感じるのはたいてい一時のことであり、それによってパニックに陥らないようにすることです。
1. ショックおよび麻痺状態:
私は、日本にいる姉からのメールで父の死を知りました。予期していたとは言え、やはりショックでした。
これは親しい人の死を経験したことがある人なら誰でもわかると思いますが、一瞬、何もかもが止まるというか、言葉を失う、という状態です。
たとえ親が長い間危篤状態で、死が目前であることを知らされていた場合でも、これは起こります。
60代半ばの私の同僚ですら、長年寝たきりだった90代のお母さんが亡くなった時、「何も考えられなかった」と言っていました。たとえ高齢であっても、親を亡くす喪失感はつらいものです。
なので、もしそういう人が身近にいたら、亡くなった人の年齢にかかわらず、いたわってあげましょう。
2. 号泣をともなう悲しみ:
悲しみゆえに、日常の生活がまったく手につかなくなる人もいます。そう言う場合は、迷うことなく休んで下さい。
私の場合は、休むことなく通常通り講義をし、学生の指導にもあたり、ブログの更新すら普通にして過ごしました。今思えば、休めばいいところを無理矢理こなしていた感じがします。
父とは地理的な距離だけでなく、心理的にも距離があったので、自分は大丈夫だと思っていましたが、死別の悲しみというのは、ボディーブローのように後になって徐々に効いてきます。
私が最初に泣いたのは、父の死を知らされてから10日ほどたった時でした。なんとなく気持ちがすっきりしない日が続いたので、自宅でアルコールの助けをかりて、ひとりで泣き疲れるまで泣きました。
ただし、お酒に頼るのはやめた方がいいです。しても一回きりでとどめるべきです。ましてや、お酒が弱い人は絶対に避けてください。
私はお酒は随分まえにやめていますが、体質的にかなり飲めるほうで、このくらい飲んだらこうなる、という見当がつきますが、そうでない人はストップが効かなくなるおそれがあります。(死別が原因でアルコール中毒になるパターンが非常に多いです)
3. 疲労、倦怠感
私は、疲労や倦怠感というものはほとんど感じませんでした。でも、父の看病をしていた姉はかなりあったようです。
介護疲れから解放されたのもつかの間、介護していた親の死によって、今度は無気力になる人も多いそうです。また、喪主であれば、心理的なものに加えて、葬儀の準備などの重荷も加わります。
死別によって鬱の症状が出ることもあり、眠れなかったり、逆に、延々と眠り続けたりする場合もあります。
これは時間をかけて改善したほうがいいです。あせりは禁物です。
4. 自責の念
もっと親孝行できたはずなのに、あの時会っておくべきだったのに、あんな態度はするべきではなかった、と自責の念は際限なくわき起こります。
わが身を振り返って思うに、これは後悔先に立たず、です。相手が死んでからでは何もできません。謝罪することも感謝の念を伝えることもできません。
生きているうちがすべてです。
自責の念にさいなまれるよりも、いま誰になにがしてあげられるのかを考えましょう。
5. 怒り
死別の際にはいろんなものへの怒りがわきあがることがあります。それは、死の原因になった病気や事故、亡くなった当人、さらには運命や神など、対象は様々です。
また、自分の悲しみを理解しない人や、それを知る由もない世間にたいして腹が立ったりします。その反面、同情されたらされたで、それをむしろ不快に感じたりもします。
怒りの感情が起こったら、まず、
他人にはそれぞれ重荷があり、自分もその人の重荷や悲しみを知らない、
親との死別は、誰もが遅かれ早かれ経験するものである、
死別の悲しみを分かち合えるのは、結局、亡くなったその人を直接知っていた人だけである、
ということを覚えましょう。
気持ちを分かち合う、という点において、葬儀は良い機会だと思います。ですが、私は葬儀には参列できませんでした。
父の葬儀は、没後2日後に早々と行われたので、時間的・距離的に帰国するのは無理でした。これは、私も家族も前から承知していたことです。
とはいえ、最後にひと目、父の死に顔を見られなかったのはやはり残念です。姉が、「おだやかな、きれいな顔だった」、と言っていたのが、せめてもの慰めです。