見出し画像

メンタルミニマリズム:心の余白の必要性

私は日記をつけることが大好きです。
自分の人生を振り返り、成長すべき点や課題を見つけ、今後の作戦を練るのが楽しみなのです。
そんなある日、私は「意見」というものについて考えてみました。
このデジタル時代には、意見が蔓延しているように思われます。
誰もが何か言いたいことがあるのです。
そして、インターネットでは、これらの声はすべて一回り一回り大きくなっていきます。

私たちは、どこを見ても他人の意見に振り回されています。
どのように人生を歩むべきか、どのようにお金を使うべきか、などなど。
それらのことに関して、誰もが最善の意見を持っているように思われます。

私たちは、オンラインでもオフラインでも、ヒントやコツ、秘密であふれかえっています。
ライフハックが溢れています。
なぜ、誰も彼もが何かをもっと効率よくしようしていのでしょうか?
あれやこれやと効率化することばかりです。

Googleで検索したり、SNSをスクロールしていると、毎日たくさんの意見に出会います。
レビュー、キュレーションコンテンツ、インタビュー、上達ガイド、記事…
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
数え切れないほどあります。
私たちは毎日、何千もの意見の海にさらされているのです。

不安やうつ病が増加しているのも不思議ではありません。

外部の雑音から切り離され、自分の内なる知恵に触れるスペースを確保する必要があります。
時には、私たちに必要なのは自分の意見だけなのです。

意見が多すぎて、心の向き先が見えない

私自身、ネットで他人の考えを読んでいると、頭の中がすぐにごちゃごちゃになってしまう時があります。
自分の人生にポジティブな変化をもたらす力が弱くなるのです。
他人の意見からくる雑音や心の中のおしゃべりで麻痺しているような感じです。
混乱し、焦点や方向性を失ってしまいます。
とっ散らかった脳みそになってしまいます。
私は、自分の内なる声に耳を貸すことができなくなって、他人の意見を消費することに埋め尽くされてしまいます。

人間は、意見の過多に耐えられるよう設計されているのでしょうか?

私の意見は「ノー」です。

とにかく長時間、大勢の他人の思考にさらされるのは不自然なことです。
SNS、ダイレクトメッセージ、電子メール、24時間ニュースなどのプラットフォームは、常に身近にあります。
つまり、私たちはほとんど一日中、他人の思考にさらされているのです。
これは決して良いことではありません。

これらの意見に耳を傾けたり、読んだりしているうちに、自分自身の方向感覚を失いかねないのです。自分の考えと他人の考えが簡単に合体してしまうのです。
これでは、本当に自由な発想なんてできるわけがありません。

心の余白の必要性

情報を得ることは大切なことです。
自分より知識も知恵もある人に助言を求めること。
知識欲の塊である私は、人から学ぶことにかけては右に出るものはいないと自負しています。
しかし、自分自身の考えを振り返る余裕を持つことも大切です。

他人の意見を聞かない時間を作ることは、良いことだと思います。
精神的なセルフケアです。
また、メンタルミニマリズムや意図的な生き方の重要な側面でもあります。
自分はいつも、どのように他人の意見と接しているかを考えてみてほしいのです。
もし多すぎるなら、それに晒されている時間を減らすことで、メリットが得られるかもしれません。
今まで持っていなかった明晰さや、心がクリアになった感覚を発見して、驚くかもしれません。


最後までお読みいただきありがとうございました🙏
ブログも書いているので、よかったら覗いてみてください♪





いいなと思ったら応援しよう!