モンテゴ川のほとり、それは時計の針が止まる場所
大学3年目の夏、私の時間の感覚はそれまでとはまるで別物になりました。
思い起こせば、大学を1年休学して、大きなキャリーバックにすべての荷物を詰め込み、ヨーロッパ最西端の国へ旅立ったとき、それがすべてのはじまりです。
ポルトガルはコインブラ。誰も知らない異国の小さな町。そこで一体どんな出会いが私を待っていたのでしょうか。それはまだ知る由もありません。
その夏、私はポルトガルの文学について本格的に学ぶために、コインブラへの留学を決めたのです。せっかくの機会なので、頭の先から足の先まで現地の生活にずっぷり浸かってやろうと考えていました。
しかし、ポルトガル語漬けになりながら、私はすぐに何かがおかしいことに気がつきました。いつものペースを乱されているような奇妙な感覚がありました。当たり前ですが、ポルトガルでも1日は24時間であり、それは何も変わらないはずなのに...。ポルトガルの人たちは、どんなときも、決して急いでいるようには見えないのです。
とくに、モンテゴ川のほとりには、真の豊かさと呼べるものが確かに存在していました。それはつまり、川べりでギターを弾く人のことであり、家族でピクニックに来ている人のことです。何のことない普通の光景ですが、あまりにも「焦りと対極にあるようなもの」で満ちているような気がしました。
人々は着実に自分の道を進んでいます。ポルトガル人も、日本人と同じように、未来に向かって歩みを進めています。しかし、彼らの足取りには中庸なバランスがあり、無為無策でもなければ、どこかに行き着くという一心でもありませんでした。
…その歩みは、まさに今を生きるための歩みでした。そして、彼らは野心に駆り立てられて今を失うこともなければ、時間の浪費を恐れることもありません。少なくとも、私の眼には、そのように映りました。
「時は金なり」を信条とする日本的の感覚からすると、時間は無駄にしてはいけない貴重なリソースです。のんびりしてはいられません。日本では、いつも何かに向かって勤勉に励んでいるのが美徳とされるのです。
しかし、所変われば品変わる。ポルトガルでは全く違いました。
そこで私は、かつて読んだアン・ヴォスカンプの言葉を思い起こしました。"WayMaker: Finding the Way to the Life You’ve Always Dreamed Of" というベストセラーのとてもシンプルに真理を射抜いた言葉です。
蓋し、モンテゴ川に憩う人々は、これを頭ではなく”心で”熟知しているのでしょう。
ところが、私は同じ国で同じように24時間を生きていても、なかなか彼らの時間感覚に馴染むことができないでないでいました。「なぜポルトガルの時間感覚に慣れることが、どうしてそれほどまでに困難なのだろう」。これが、日本人の私にとって、厄介な疑問となりました。
モンテゴ川の傍にある私の借りたアパートから、大学へと続く長い長い階段を登りながら、そのことについて深く考えました。
人は、急ぐことで、時間を節約したような感覚を得ることができます。しかし、実際はその逆で、急ぐとは時間を捨てているということです。これは甘い罠なのかもしれません。
私たちは今という瞬間を捨てて、次の瞬間に早く行こう、早く行こうとしているのです。
そして、駆け足で生きていると、目の前にあるものに完全に愉しむことができなくなることに気づきました。急いてばかりいると、今この瞬間にある光は掌からこぼれおちていきます。素敵な光景が目の前に広がっていたとしても、見逃してしまいます。やがては、人生が空っぽに感じられるのです。
このポルトガルでの1年間で、私は急ぐことのない生き方を学ぶことができたでしょうか? そうともいえるし、完全にはそうともいえない部分もあります。でも、学んだことの大きさは、測りきれません。
では改めて、ポルトガルで学んだ、ゆっくり生きることに関する教訓を3つ紹介します。私自身、あまりにせわしく生きすぎていることに気づいたとき、この3つの教訓に立ち返ることにしています。
1. 考え方でペースが決まる
私たちが自分自身や他者に発する言葉には、強い力があります。「あぁ、忙しい!」と怒りの愚痴をこぼすとき、心の余裕はさらに半減し、慌ててしまい、結局は余計に進捗が芳しくない結果となります。そして、ますます忙しくなるのです。
試してみてください。「あぁ、時間がない!」と言うのと「マイペースで行こう!」と言うのでは、脳の活性化する場所が違います。どちらを自分に言い聞かせるかは、あなた次第です。一方の言葉は、コルチゾール(脳内のストレスホルモン)を上昇させるのに、一方の言葉は一旦、落ち着いて、静けさのある心で仕事に当たるのを許します。結果として、「マイペースで行こう」と意識したほうがタスクは早く片付きます。
ところで、ポルトガルで最初に覚えた言い回しの1つに、「eu me recurso hora vou na valsa(時間がワルツを刻むのを拒もう=ゆっくりしていこう)」というフレーズがあります。また、「tranquilo(まったりしよう)」とか、「que descanses(肩の力を抜いて)」といった言葉も、頻繁に耳にすることがありました。
ポルトガル人の言葉遣いは、リラックスした気持ちを与えてくれます。
私は、焦りそうになったとき、これらの言葉を頭の中で繰り返しています。eu me recurso hora vou na valsa.
何をそんなに急ぐことがあるでしょうか。人生は長いのに。
そして、忙しいときは、本当にそんなに忙しくする必要があるのか、考えるようにしています。どんなに忙しいときでも、物事は捉え方1つで大きく変わります。
2. つながりは人生の基盤
ポルトガルの人々は、人生を楽しむことに重きを置いています。長い会話、おいしい食事やワイン、毎日のシエスタ(昼寝)など、何をするにも時間をかけてゆっくり味わうのが当たり前です。ランチタイムは午後2時頃で、これはちょっとしたイベントです。食事は「Bom proveito」(いただきます)の言葉で始まります。それから、食事に1時間以上かけて、会話に華をさかせ、コース料理を味わいます。午後の授業は、なかなか時間通りはじまりません。
慌ただしい毎日を過ごしていると、大切な人たちとのつながりが忘れそうになります。でも、ときどきは一緒に食事して、一緒に話しているときは、会話を楽しむことだけに集中しましょう。味を楽しみ、香りを吸い込み、話を聞き、分かち合う。そうすることで、毎回、心がゆっくりと満たされるのです。
誰かと一緒に楽しく美味しいものを食べる。このあまりにも単純な幸福の公式は、定期的に思い出しておきたいものです。
3. 時間は文化的概念である
日本人は勤勉ですが、その性格には、リラックスすることの重要性を忘れがちになるという欠点も存在します。勤勉すぎて、働きずめになり、時間に追われる生活を送る人も多くいます。それゆえ、「時間がない」という言葉がいたるところで発せられます。忙しく慌ただしい生き方が成功者の証とされることもあります。
ポルトガルは、日本よりも「今」を重視する文化です。ポルトガルの人々は時間を流動的なものと考え、締切よりも人間関係を重視します。
急いでいる自分に気づいたら、立ち止まって、「この行動にはちゃんとした理由があるのだろうか、それともただ理由もなく、せかせかしているのだろうか」と問いかけます。たいていの場合、答えは後者です。
深呼吸をし、次の瞬間に移る前に、焦らず生きようと自分に言い聞かせます。大切なのは「今、ここ」であるということ、それは常に心に留めておくようにしたです。
ハイペースで、しゃかりきになって、「すべてをやり遂げる」ことが人生ではありません。時には、休息と誰かとつながる時間を作るために、予定をキャンセルしたり、ノーと断ることが必要です。相手と一緒にいて、時計もなく、次の出来事への期待もなく、耳を傾けること。それこそが、目の前の人に対する最大の敬意であり、究極の褒め言葉です。
ポルトガル文化に浸り1年、スローライフの価値をようやく理解することができました。慌ただしい生活は、大切な時間が欠けている生活なのだと。
いつか人生を振り返ったとき、「私は急いでいたいので、出会ってきた物事の表面をなぞった終わっただけの人生だった」と言うようなことにはなりたくないのです。その代わり、何が一番大切なのか、そして、誰が一番大切なのかを考えて、深く生きてきたと、間違いなく言えるようになりたいのです。