コロナウェディング
私の妹はコロナの花嫁でした。
昨年の春の終わり、彼女と婚約者は9月の結婚式をキャンセルしました。
コロナウイルスの先行きが不確かであったため、あまり迷うこともなかったようです。
賢明な決断でした。
残念ではありますが、仕方のないことで、それほどがっかりはしていません。
数週間後、
妹が「市役所で結婚式を挙げるんだ」と、嬉しそうに教えてくれました。
「届け出挙式」というものなんだそうです。
結婚式は新型コロナウイルス感染症への対応ガイドを遵守する形で行われました。
式の後に、リスクを避けるために少人数で、青空の下で小さなパーティーを行いました。
それは私が想像していたものとは異なる結婚式でした。
家族や友人に囲まれてバージンロードを歩く妹の姿を思い描いていましたが、その姿を見ることはありませんでした。
ゲストが乾杯の音頭をとるだけの挙式に、私たちが「結婚式」という言葉でイメージするような華やかさは、(妹に対して失礼かもしれないですが...)ありませんでした。
「誓います」と言った瞬間に、オーケストラがパッヘルベルのカノンD調を演奏し、白い鳩が放たれる………
正直なことを言えば、ミニマリストで現実的な姉でさえ、そんなおとぎ話のようなウェディングを期待していたのです。
しかし、決して写真映えする式ではなはなくとも、妹がしきり何度も心のシャッターを切っているのを私は感じ取ることができました。
そうです。
妹は、最愛の人と結婚したのです。
柔和で優しい人と出会い、素晴らしい夫婦になったのです。
二人の結婚式は終わり、確かにそれは完璧なものでした。
喜びの涙を拭きながら,この経験から学んだ3つの教訓をお話しします。
コロナウェディングの教訓
1. ありのままを受け入れる
コロナの流行によって、結婚式の予定が狂わされることがなければよかった...?
たしかに、そうですが、それはそうなってしまったのです。
誰にも変えられない、嘆いても仕方のないことです。
私は、ストア学派の「アモール・ファティ」(運命を愛する)という考え方を思い出しました。
ストア学者のエピクテトスは、「自分の思い通りに出来事が起こることを求めず、起こったとおりに起こることを願えば、すべてはうまくいく」と語っています。
2. コントロールを放棄する
私はお節介で、時々、無用に他人をコントロールしようとしてしまいます。
心の中でただ助けたいと思っていも、それは良いことではありません。
それは他者の能力を低く見ることや、信頼の欠如を示すことにつながってしまいます。
しかし、妹の結婚式については、余計な口出しをしませんでした。
一瞬、後悔しそうになった瞬間がありましたが、妹は満足ています。
だから、それはとても素晴らしいものだったのです。
もしコントロールしようとしていたら、妹と今も仲良しであることはできなかったかもしれません。
コロナの流行は、予想外の事態、自分で制御できないことの最たるものです。
それは、何でも自分の力でコントロールできると信じることがいかに愚かなことか、私たちに気づかせてくれます。
3. 比較をやめる
SNSやPinterest、結婚式の広告、ゼクシィ、結婚式のドキュメンタリー動画のおかげで、完璧な結婚式に関するアイデアは事欠きません。
しかし、ネット上にある理想像と現実を比較すると、いつも現実の方が見劣りしてしまいます。
比べることによってに不幸になる。
これは、人生におけるあらゆることに当てはまるのではないでしょうか?
アメリカの第26代大統領、セオドア・ルーズベルトも「比較は喜びの泥棒だ」と警告しています。
…私は、妹の結婚式で学んだこれらの教訓を決して忘れないようにしようと決意しました。健やかなる時も病める時も、これらの教訓を胸に留めておこうと思います。
「誓いますか?」
「誓います。」
最後までお読みいただきありがとうございました🙏
ブログも書いているので、よかったら覗いてみてください♪